閑静な住宅街の一画に、枚岡家と藤田家は隣り合わせに建っている。

 私は産まれてからずっと、祖父母の代に建てられたこの家に住んでいた。
 ここは両親が結婚したのを機に祖父母から譲り受けた家だ。
 敷地はかなりの広さがあり、二世帯に建て替えることも可能だったが、祖父母はサッパリした性分で、お互い気兼ねなく過ごそうと別居を望んだらしい。
 現在祖父母は枚岡歯科医院に近い低層階マンションに住み、愛犬との生活を楽しんでいる。
 母は歯科医院の仕事を手伝いながらもリフォームされた家を存分に手入れし、趣味のガーデニングや家庭菜園を楽しんでいた。

 その隣に建つのが藤田家だ。
 藤田家はちょうど私が生まれた頃、隣に屋敷を建て引越ししてきたらしい。
 つまり私と亮平は生まれた時からの幼馴染なのだ。

 亮平の実家は関西の不動産業界では最大手の藤田コーポレーションを営んでいる。
 亮平が高校生の時にはご両親が引退し、長男である亮平の兄、純平くんが跡を継いだ。
 その後ご両親はハワイへ移住を決め、遅くに生まれた次男の亮平も連れていく予定だったが、亮平自身がハワイへの移住を拒み、日本に残ることになった。
 純平くんもすでにタワーマンションで新婚生活を始めていたため、亮平は高校時代から広い屋敷に一人暮らしをしている。
 
 掃除は家政婦さんがしてくれるため、邸内はいつも綺麗だ。
 食事は家政婦さんが作ることもできるのだけど、亮平のある事情によりそれは拒否。
 恵まれた一人暮らしと言えばそうなんだけど、うちの母にしてみれば、放っておけなかった。だから食事はほぼ毎日枚岡の家で食べていた。
 亮平が家政婦さんの作る料理を食べられないのは、あるトラウマが原因だった。

 亮平は手料理が食べられないという潔癖症なのだ。

 例外が、うちの母と私だけ……。