階段を降りきって、マンションの前を速足で通り過ぎようとしたとき。


「花樫さん」


 長嶺さんの声が降ってきた。

 ハッと顔をあげると、少し力の抜けた笑顔の長嶺さんがいた。 ベランダの柵に右ひじをついて頬杖をつき、もう片方の腕はだらんと柵の外に投げ出し、その手に煙草を挟んでいる。


「慌てて転ばないようにねー」


 ひらひらと手を振られたら、胸がキュンと切なくなった。


「っ、お疲れ様、です……」


 私は長嶺さんの視線から早く逃れようと、足を速めた。


 ……キュン、じゃない。 キュンじゃないのよ。

 もうやめて、私の心臓。 こないだからバグりすぎ。

 直属の上司だよ。 それも、クズの長嶺さんだよ。

 そう考えて早歩きする間も、心臓の音はドクドクとうるさくて、ちょっと息がしづらいほどに胸が苦しい。

 あーもう! ムカつく!

 子供だと思ってからかってくる長嶺さんにも、まんまと乗せられてドキドキしちゃってる自分にも!

 このバグ、早急に対処しないと!!