忘れられないよ君は―初恋だけでは終われない―

 群司は自分の髪をくしゃっと掻いた。

「……あー」

「どうしたの?」

「何でもないって」

「さっきからそればっかり」

「亜美のせい」

「…………」

 言った。

 言ってしまった。

 自分でも分かるくらい。

 わざとだった。

 いつもなら。

 亜美さん。

 そう呼ぶのに。

 少しくらい。

 意識してくれたらいい。

 急に呼び捨てにされたら。

 何か思うだろ。

 そう思った。

 亜美が群司を見る。

「…………」

 群司も見る。

 数秒。

 亜美は黙っていた。

 そして。

「……ふふっ」

「は?」

 笑った。

「何で笑うんだよ」

「だって」

 亜美はまだ少し笑っている。

「急に亜美って」

「……悪い?」

「悪くないけど」

「じゃあ何だよ」

「変な感じ」

「変?」

「うん」

 亜美は自分の名前を確かめるように。

「亜美」

 と、小さく呟いた。

 それから。

「群司くんに呼ばれると、なんか変」

「…………」

 群司の胸が。

 どくん、と鳴る。

 違う。

 そうじゃない。

 こっちは。

 そういう意味で言ったんじゃない。

 いや。

 そういう意味で言ったんだけど。

「……それだけ?」

「何が?」

「いや」

「?」

 亜美は本当に分かっていないらしい。

 恥ずかしそうにもしない。

 目を逸らしもしない。

 ただ。

 いつもと違う呼ばれ方が面白かっただけ。

「……何だよ」

「何?」

「何でもない」

「また言った」

「うるさい」

 群司は顔を逸らした。

 ちょっとくらい。

 ドキッとするとか。

 ないのかよ。

 こっちは。

 名前を呼び捨てにしただけで。

 自分の方が変に緊張したのに。

「群司くん」

「ん?」

「もう一回呼んで」

「は!?」

「亜美って」

「何で!?」

「面白いから」

「面白いって何だよ!」

 亜美が笑う。

「だって、まだ慣れない」

「…………」

 完全に遊ばれている。

 いや。

 遊んでいるつもりすらないのかもしれない。

 ただ本当に。

 いつもと違うから面白い。

 それだけなのだ。

「……亜美」

 群司はもう一度呼んだ。

「ふふっ」

「笑うなよ!」

「ごめん」

「絶対思ってないだろ」

「思ってる」

「笑ってんじゃん!」

 亜美は楽しそうに笑っている。

 群司も。

 呆れながら笑った。

 でも。

 少し悔しい。

 自分だけだ。

 呼び方ひとつで。

 こんなに意識しているのは。

「……じゃあ俺も」

「何?」

「群司でいいよ」

「え?」

「『くん』いらない」

「…………」

 亜美が群司を見る。

 今度こそ。

 少しくらい意識するんじゃないか。

 群司は密かに期待した。

「群司」

「…………!」

 あっさり。

 呼ばれた。

「これでいい?」

「……うん」

「じゃあ群司」

「何で二回言うんだよ」

「慣れないから」

「…………」

 群司は視線を逸らした。

 まずい。

 これは。

 自分で言わせておいて。

 思ったより、くる。

「群司?」

「だから何回も呼ぶなって!」

「何で?」

「何でも!」

 亜美はまた笑った。

 何も分かっていない。

 自分が名前を呼ぶたび。

 群司の心臓がうるさくなっていることも。

 群司が呼び捨てにした理由も。

 何ひとつ。

 亜美にとっては。

 ただ呼び方が変わっただけ。

 それが何となく面白いだけ。

 群司は小さく息を吐いた。

「……全然ダメじゃん」

「何が?」

「こっちの話」

「変なの」

「知ってる」

 群司は苦笑した。

 そのまま。

 隣にいる亜美を見る。

 好きだと気づいた途端。

 こんなにも。

 同じ距離が違って見える。

 亜美にとって群司は。

 学校で初めてできた友達。

 それは。

 たぶん何も変わっていない。

 だけど。

 群司にとって亜美は。

 たった今。

 ただの友達ではなくなった。