忘れられないよ君は―初恋だけでは終われない―

「先生」

 その日の塾。

 授業が終わっても、亜美は席を立たなかった。

「ん?」

 丈が振り返る。

 亜美を見る。

 すぐに表情が変わった。

「どうした?」

「……ちょっと」

「何かあった?」

 亜美は鞄を開いた。

 奥から、小さく折り畳んだ紙を出す。

「これ」

「何?」

「学校で、机の中に入ってた」

 丈が紙を開く。

 その瞬間。

 目が変わった。

 いつもの柔らかい目ではなかった。

 けれど。

 亜美を見たときには、もう戻っていた。

「誰がやったか分かる?」

「分からない」

「こういうの、初めて?」

「紙は……初めて」

「紙は?」

「…………」

 亜美は黙った。

 しまった。

 そう思った。

 けれど丈は、それ以上聞かなかった。

「話せるところだけでいいよ」

 その言葉に。

 胸の奥で張っていたものが、少しだけ緩んだ。

「……前から」

「うん」

「ちょっと、嫌われてるのかも」

「誰に?」

「分からない」

「何か言われる?」

「直接じゃない」

「うん」

「聞こえるように言われたり」

「うん」

「男子と話したら、見られたり」

「うん」

「教室入ったら、話が止まったり」

 言葉にしていく。

 一つずつ。

 今まで、なかったことにしてきたものを。

「でも」

 声が小さくなる。

「私、本当に何もしてない」

 最後だけ。

 少し震えた。

「分かってるよ」

 丈はすぐに言った。

 あまりにも迷いなく返ってきたから。

 亜美は顔を上げた。

「でも、私が何かしたからかもしれない」

「何かした?」

「……分からない」

「じゃあ、亜美のせいって決める必要ないだろ」

「そうなの?」

「少なくとも」

 丈は紙を見る。

「何があったとしても、こんなの置いていい理由にはならない」

「…………」

「これは書いた方が悪い」

 亜美は何も言えなかった。

 胸の奥が痛い。

 泣きたいわけじゃない。

 なのに。

 目の奥が熱くなる。

「……先生」

「ん?」

「私、変なのかな」

「何が?」

「見た目と中身が違うって、よく言われる」

「ああ」

「先生も思う?」

「思うよ」

 胸が少し痛んだ。

「……先生まで」

「あ、違う」

 丈が少し笑った。

「悪い意味じゃない」

「じゃあ、どういう意味?」

「見た目はすごく大人っぽいのに」

「うん」

「中身は結構抜けてる」

「……悪口じゃん」

「最後まで聞いて」

「聞きました」

「可愛いってこと」

「…………」

 亜美が止まった。

 丈も。

 ほんの少しだけ、止まる。

「……先生」

「何?」

「今、可愛いって言った?」

「言った」

「珍しい」

「そう?」

「先生、いつも抜けてるとか変とかしか言わない」

「そんなことないだろ」

「言ってます」

「じゃあ訂正する」

 丈は亜美を見る。

 いつもの冗談っぽい顔ではなく。

 少しだけ優しい目で。

「亜美は可愛いよ」

「…………」

「だから」

 丈の声が柔らかくなる。

「誰かが嫌なこと言ったからって、自分まで自分のこと嫌いになる必要ないよ」

 亜美の胸が。

 ぎゅっと痛くなった。

 可愛い。

 綺麗。

 そんな言葉は、何度か言われたことがある。

 けれど最近は。

 褒められているはずなのに、怖かった。

 その言葉の後ろに。

 何か別の意味が隠れている気がしたから。

 でも。

 丈の言葉は。

 怖くなかった。