忘れられないよ君は―初恋だけでは終われない―

 昼休み。

 亜美は購買で買ったパンと飲み物を持って、階段を上った。

 教室では食べない。

 いつの間にか、それが当たり前になっていた。

 屋上へ続く扉を開ける。

 夏の風が、長い黒髪を揺らした。

「……暑い」

 涼しくはない。

 それでも、教室よりずっといい。

 亜美は日陰を探して座る。

 イヤホンを耳につけた。

 再生する。

 ピアノの音が流れ始める。

 目を閉じる。

 学校にいる間。

 亜美はよく音楽を聴いていた。

 特に、ピアノを。

 歌詞のある曲は、ときどき疲れる。

 好き。

 嫌い。

 会いたい。

 寂しい。

 言葉があると、感情に名前をつけられてしまう。

 けれどピアノには、言葉がない。

 だから好きだった。

 自分が何を感じているのか分からない日でも。

 ただ聴いていられる。

 そして最近は。

 ピアノを聴くと、一人の人を思い出す。

 赤みのあるブラウンの髪。

 鍵盤の上を動く指。

 少し男っぽい話し方。

 自分の名前を呼んだ声。

『じゃ、またな。亜美ちゃん』

「……」

 また思い出した。

 亜美は膝に顔を埋める。

 丈に話して。

 何日も考えて。

 ようやく分かった。

 幸也先輩が好き。

 そう思うと、不思議だった。

 一度しか会っていない。

 それなのに。

 会いたい。

 また演奏を聴きたい。

 もっと話してみたい。

 そして。

 誠星大学へ行きたい。

 今までは、兄が通っている大学。

 それだけだった。

 けれど今は。

 あそこへ行けば。

 もう一度、幸也に会えるかもしれない。

 同じ大学に通えるかもしれない。

 そんな未来を考えると。

 今いるこの学校から、少しだけ遠くへ行けるような気がした。