忘れられないよ君は―初恋だけでは終われない―

「亜美ちゃん、今日はここまででいいよ」

 寧々に言われて、亜美は時計を見た。

「もう?」

「もうって、結構やったよ」

「でも、まだ……」

「明日」

「…………」

「また全部やろうとしてる」

 寧々が笑う。

「帰れるとき帰っとかないと、本当に帰れなくなるよ」

「……はい」

「よろしい」

 荷物をまとめる。

「お疲れさまでした」

「お疲れー」

 練習場所を出ると、さっきまで響いていた音が遠くなった。

「…………」

 少しだけ。

 耳が静かになった気がした。

 亜美は鞄を肩にかけ直して歩き出す。

 今日は塾がない。

 このまま帰ったら、久しぶりに少し早く家に着ける。

 そう思っていた。

「亜美」

「…………?」

 足が止まる。

 聞き慣れた声。

 振り返った。

「先生?」

 丈がいた。

「お疲れ」

「……何で?」

「何でって」

 丈が笑う。

「来たから」

「それは分かるけど」

「じゃあいいじゃん」

「よくない」

「何で」

「だって……」

 ここは大学だ。

 塾じゃない。

 いつもの帰り道でもない。

 だから。

 少しだけ、変な感じがした。

「先生、今日塾は?」

「ないよ」

「そうなんだ」

「うん」

「…………」

 丈を見る。

 本当にいる。

 それだけなのに。

 さっきまで感じていた疲れが、少しだけ軽くなった気がした。

「どうしたの?」

 丈が聞く。

「何が?」

「嬉しそう」

「…………」

「違う?」

「嬉しい」

「そっか」

 丈が笑う。

「何」

「何でもない」

「絶対何かある」

「ないよ」

「…………」

 亜美は丈を見る。

 やっぱり。

 嬉しい。

 この前。

 駅まで歩きながら思い出したばかりだった。

 最近。

 先生とゆっくり話してないなって。

 何か送ろうか迷って。

 結局、送らなかった。

 なのに。

 今日は丈の方から来た。

「先生」

「ん?」

「私に会いに来たの?」

「…………」

 丈が一瞬、黙った。

「そうだけど」

「…………」

 今度は亜美が黙った。

「何その顔」

「だって」

「うん」

「先生が?」

「僕が」

「私に?」

「亜美に」

「…………」

 変なの。

 いつもは。

 亜美が丈のところへ行く。

 塾で待っている丈に会って。

 一緒に帰って。

 そのままついていく。

 それが当たり前だった。

 丈が自分のいる場所まで来るなんて。

「……珍しい」

「そう?」

「うん」

「最近忙しそうだから」

「…………」

「全然ゆっくり話してないでしょ」

 胸の奥が、少しだけ揺れた。

 同じことを。

 思っていた。

「……うん」

「だから来た」

「そっか」

「迷惑だった?」

「ううん」

 すぐに答えた。

「全然」

 むしろ。

 嬉しかった。