「どう……して?」

 自分の目が信じられない。王都に居るはずのサディアスが、今、目の前にいるのだから。

 目の前のサディアスは騎士服を着ていなくて、護衛騎士をしている時とは雰囲気が違う。
 上質な黒い生地で仕立てられた上下を纏い、いかにも貴族らしい気品を漂わせている。その姿に魅せられてしまった。
 私服のサディアスはスラリとした体躯がいっそう引き立てられていて、見る者の時間を止めてしまいそうなほど美しい。

 そして、サディアスが貴族であるということを改めて思い知らされる。

「サ……サディアス。どうして……どうしてここにいるの?」

 切れ切れに言葉を絞り出すと、サディアスは頬に手を添えてすっと目を伏せる。

「見てわからない? 長年仕えてきた主人にいきなり捨てられて納得いかなかったから、話をしに来たの。アタシ、すっごく傷ついているんだからね?」

 そう言って、わざとらしく溜息をついた。雰囲気が変わってもサディアスはサディアスだ。ちくちくネチネチと不満をぶつけられてしまい、言い返そうとしても勢いに押された私が口を挟むことなんてできず、そのまま、サディアスの独り舞台が始まってしまった。

「王都を出ていく前にせめて相談くらいしてくれたら良かったのに、な~んにも言わずに去っていったのよ? しかも、アタシから逃げるようにしてね。それはそれは、深ぁ~く傷ついたのよ?」

「ああ、アタシの可愛い主人は今ごろ元気にしてるかしら? 泣いていないか心配だし、ニブチンだから善人の皮を被った狼に狙われているんじゃないかって不安でならないのよぉ?」

 サディアスの瞳がすっと横に動くと、ジェフリーが「ひぇっ」と悲鳴を上げるのが聞こえてくる。振り向くと、ジェフリーは蛇に睨まれた蛙のように固まっていて、額にはじっとりと汗をかいている。

「ひ、人聞きが悪りぃぞ。ティナが一人で歩いてたから保護したのによ」
「んまぁっ! 誤魔化そうとしたってアタシの目は誤魔化せないわよ、この金ぴか狼ドスケベ野郎! アンタがエスコートするフリをしてティナのすべすべで小さくてほっそりした手を握る時にハアハア言ってたの知ってるんだからね! これ以上御託を並べるならそのキラッキラの髪を丸刈りにしてやるわ」

「ちょ、ちょっと! 物騒な事言わないで!」

 慌てて止めに入るとサディアスは不服そうに唇を尖らせた。そんな顔をしても絵になるんだから羨ましい。

「私はサディアスを捨てたんじゃなくて、サディアスに護ってもらう理由がなくなったから去っただけ。だからどうか、これからはシャーロットのことを護ってあげ――」
「ティナ、本当は急にクビにされて困惑してるでしょう?」
 
 弁明していると、サディアスは私の言葉を遮る。顔を上げれば金色の瞳が、しっかりと私を捕らえている。

「ティナの事だから強がって王都を出ていっただけで、不安なのを我慢しているんでしょう? それなら落ち着くまでアタシの家にいるといいわ。ティナは小さい頃から神殿にいたから外の世界のことはわからないだろうし、ずっとたくさんの人に囲まれていたから一人でいるのに慣れてないでしょう?」

 自分の本心をサディアスに言い当てられてしまい、言葉に詰まる。自由になれたのは嬉しいけど、それと同時に、急に一人になってしまったから不安を感じていた。
 これまで孤児院と神殿でしか生活したことがなく、外の世界は右も左もわからない状況だから。けれど、これからは一人でちゃんと生きていかなくちゃいけないからこそ、サディアスには頼れない。

「嫌。王都には戻らない。今まで仕事漬けだった分、のんびり生活したいから王都から離れたいもん」

 するとサディアスは溜息をついて、「困った子ねぇ」なんて言う。サディアスの方が私を困らせているのに、と睨んで威嚇しているのもお構いなしに、サディアスは話を続ける。

「それならウチの領地に来なさい。安全で長閑だからのんびりできるわ。土地をあげるからそこで生活すればいいのよ」
「い、嫌! サディアスにお世話になったって、今の私じゃ何も返せないんだし……」

 土地をあげるとか、簡単に言わないで欲しい。神殿の外の事情には疎い私だけど、平民たちが必死で働いて土地を手に入れていることくらい知っている。簡単に貰える物ではない上に、平民に戻った私がサディアスから土地を貰ったところで、何も返せないこともまた、わかりきっているから貰うわけにはいかない。
 
 けれど、サディアスは引き下がらなくて。

「返さなくていいわ」
「よくない! 私が嫌だから!」

 さらに信じ難いことを言い放って私を混乱させる。サディアスが世話焼きなのは知っているけど、どうしてそこまでしてくれるのかがわからないのだ。それに、サディアスが甘やかしてくれると、いつかサディアスが離れてしまう時が来るのが怖くなってしまうから、それなら今すぐにサディアスから離れたい。
 
 そう思っているのに――。

「嫌って言っても……ねぇ? だいいち、ティナは聖女以外の仕事をやったことないでしょう? そんな生活力ゼロで職務経験ゼロな丸腰同然のティナを一人で外の世界に出したくないのよ」
「馬鹿にするのもいい加減にして。私だって一人で生活することくらいできるって!」
「いいえ、強がってるのが丸わかりよ。いい子だから一緒に帰るわよ」

 サディアスはそのまま私の背と膝裏に手を回して抱き上げようとする。このままだと王都に連れ帰られてしまうと悟った私は、咄嗟にジェフリーの手を掴んだ。

「ジェフリー、この街の不動産屋に連れてって! 部屋を借りて、しばらくこの街に住むから」

「……へぇ? アタシの領地は嫌なのにジェフリーの領地に住むのはいいの? へぇ?」
「お、おい。ティナの方からサディアスに何か言ってやれ。今にもウチに戦争をけしかけてきそうな顔してるぞ」

 ガタガタと震えるジェフリーの視線の先に顔を向けてみるけど、サディアスはにっこりと笑っているだけで、不穏な空気はない。もう一度ジェフリーの方に顔を戻すと、ジェフリーは私の背後、つまりサディアスに向かって、「腹黒め」と零した。

「それならサディアスもしばらくここに滞在するのはどうだ? そうしたらティナは自立できるしサディアスもティナの様子がわかって安心だろ?」

「えっ?!」
「あら、名案ね。ティナが自立するのを見届けようかしら」

 サディアスの声が弾み、そのまま私を抱き上げる。

「そうと決まれば、服を見に行くわよ! 今までティナに可愛い服を着せたくてもできなかったから我慢していたのよ! とことんつき合いなさい!」
「ま、待って! 服より先に住居を見に行きたいんだけど?!」

 こうして私はまだ、サディアスと一緒にいて。
 サディアスに見守られながら新しい生活を始めることになった。