王都に戻って一年が経った。
 私は新しい生活に慣れて、侯爵夫人としての日々を送っている。

 今はサディアスに用意してもらった私専用の執務室で、アビーさんへの手紙を書いているところだ。

「この手紙をフローレスにいるアビーさんに送って」

 側で控えている侍女に手紙を預けると、侍女は粛々と手紙を預かり、部屋の外に出る。

 初めは侯爵夫人としての生活に多少なりとも不安があったものの、サディアスが一緒になって私の不安を取り除いてくれた。

 礼儀作法や侯爵家の財政管理についてはサディアスがいい先生を呼んでくれたおかげで勉強できたし、使用人や家臣のみんなが支えてくれているおかげでなんとかこなせるようになったのだ。

 義理の家族や使用人たちとの交流も上手くいっている。
 サディアスの結婚を諦めていた義理の両親はサディアスが結婚するのがよほど嬉しかったようで、ご挨拶に行くと二人そろって涙を流しつつ何度も感謝の言葉を口にしていた。

「ティ~ナ~、そろそろ出かける支度をするぞ」
「えっ?! もう?」

 部屋に入ってきたサディアスは既に身支度を完璧に整えており、紺地に金色の刺繡が施された上品なデザインの上下を身に纏う姿は正真正銘の貴公子だ。
 綺麗に手入れされた髪は一つに纏めて肩から胸へと流し、サディアスの動きに合わせてさらりと揺れる。

 今日はサディアスの一番上のお兄さんが開く舞踏会に招待されているのだけれど、舞踏会は夜に始まるというのにこんな朝っぱらから準備するとは何事だ。

「ほら、ティナの私室に移動するぞ」
「ひぇっ!」

 抱き上げられて強制的に連れていかれると、私室には何人ものメイドたちが待機している。
 それからあっという間にドレスを着替えさせられて、気づけば鏡台の前に座っている。早業過ぎて一瞬の出来事だった。

「いいか? 今から流行の化粧を実践して見せるから俺が遠征に行っている間でも再現できるよう覚えろよ?」

 サディアスの呼びかけにメイドたちは目を輝かせて「かしこまりました!」「待ってました!」と口々に返事をする。
 四方八方からの熱い視線を浴びつつサディアスに化粧をしてもらい、髪を結んでもらった。

 私を妻に迎えてからと言うもの、サディアスはメイドたちに肌の手入れや化粧について厳しく指導をしているようで、日に日にみんなの腕が上がっている。
 噂を聞きつけた王妃様や他家のご婦人方が自分の専属メイドを修行させたいと相談しに来ることもあるほどだ。

「それでは、愛する妻の身支度が終わったところで出かけるとするかな」
「出かけるって……舞踏会が始まるまでに何時間あると思ってるの?!」
「今からはデートだ。兄上に会うためだけならこんなに張り切って準備しねぇよ」

 サディアスは私の手を取って美麗な笑顔をお見舞いしてくれた。あまりにも眩くて直視できない。

「頑張り屋な妻には息抜きしてもらいたいからな」
「うっ……お、お気遣いありがとう」

 しかしその微笑みは次第に邪悪なものになる。

「昨日まで王太子殿下に付き添っていたせいでティナが足りないし」

 そっちの方が本音に近い気がする。
 というのも、サディアスは昨日まで一週間ほど王太子殿下と一緒に隣国を訪問していたのだ。
 サディアスは行きたくないと駄々をこねたけれど、騎士団の団長さんが私を護衛してくれると言う条件で説得してくれたおかげで旅立った。
 
 昨夜帰って来たサディアスはなぜかオネエに戻っていて、「ティナ不足で瀕死状態よ! ひ・ん・し!」と騒ぎ立てて、瀕死とは真逆のすこぶる元気な様子を見せてくれたから安心した。
 それからが……まあ、大変だったのだけれど。

「私不足はもう昨夜十分補っ……」
「はい、つべこべ言わないで馬車に乗る。ティナが好きな演劇の席をとってるからさっさと行くぞ」

 馬車に乗ったサディアスは私の隣に腰かけるとふにゃりと笑った。
 結婚してからよく見せてくれるようになったこの笑顔が好きだ。サディアスらしからぬ隙だらけな表情だけれど、私にしか見せない無防備な顔だから。

「サディアス、その笑顔は私以外の誰にも見せないでね」
「~~っティナに独占欲が芽生えた?!」
「う、うるさい!」
 
 口走ってしまった言葉を取り消すことはできず、顔がぼっと熱くなる。
 サディアスはそんな私が「可愛い」と言って、啄むようなキスをしてくれた。