「指輪?」

 それは金色の華奢な環で、大きな黄色の宝石がついている。
 左手を持ち上げて空にかざせば、花火の光を受けた宝石が星のようにきらきらと輝く。

「そう、婚約指輪」
「こ、婚約?」
「ああ。大きさがぴったりで安心した。ティナに気づかれないように指の大きさを測るの苦労したんだよな」
「ええっ?! 婚約って……あ、あの、指輪って……どういう……」

 あまりにも予想外で規格外の贈り物に混乱して、思考が停止してしまう。
 婚約指輪を贈る意味は理解しているが、その意味とサディアスと私が上手く結びついていないのだ。

 そんな私を嘲笑うように、指輪につけられて黄色の宝石はなおも煌めいている。

「俺と結婚してくれないか? ティナの幸せを誰かに託すつもりはないし、ティナがまた誰かの代わりのように扱われるのなんて許しがたいから、これからも俺が近くにいられる理由を作りたい」

 サディアスは私の手を取って、黄色の宝石に口づけた。微かにかかる吐息の熱に指先が震えそうになる。

「この世で一番大切な人には一番幸せであって欲しいのに、人任せにはしたくねぇから」

 いつになく真剣な眼差しが、本気でそう思っているのだと教えてくれる。
 好きな人が、ずっと一緒に居てほしいと思っている人が、同じように自分を必要としてくれているのが嬉しくて。
 言葉だけでは伝えられない想いを込めてサディアスを抱きしめた。
 
「さっきティナが追いかけて来てくれて、すごく嬉しかった」
「そんな顔してなかった」
「驚いていたんだよ。いつもはそっけないティナが必死になって探しに来てくれたんだからな」

 そのまま私の顎に触れて、少しだけ上を向くように動かした。

「結婚の事、ティナの気持ちを聞かせて」

 誰よりも近く、そして過去の私たちよりも密接な距離。
 とくとくと心臓が駆け足になって、急かすように脈を打つ。
 
「でも……サディアスは『男にしか興味ない』って言ったのに」
「あれは風除けだったんだよ。侯爵夫人の座が欲しくてつきまとってくる令嬢が多かったから、演じてただけだ」
「それに、私は平民で身分が違うから」
「気にするな。外国には平民から王族になった例もある」
「サディアスに迷惑をかけるかもしれない」
「陰口を叩いた奴は黙らせてやるから心配するな」
「物騒な匂いがしてなおさら心配なんだけど?!」

 サディアスの目の奥で影が揺らいだように錯覚した。心なしかサディアスが悪魔のような笑みを浮かべたようにも見えたのだけれど、気のせいだろうか?

 たじろぐ体を引き寄せられ、ぐっと近づいたサディアスの額が私の額に当てられる。
 間近に迫る金色の瞳に見つめられると心に渦巻く不安が霧散して、ただただ愛おしいという気持ちだけが残った。

「俺と家族になって、ティナ」
「――うん」

 私は少し背伸びをし、サディアスの薄い唇に唇を触れ合わせた。初めて触れる柔らかい感触に驚いて、すぐに離れたのだけれど。

「サディアスと結婚したい。そしてずっと一緒に居て」

 見上げるとサディアスは虚を突かれたような顔になっている。やがてじわじわと頬が赤くなって、「もしかして照れているのかも?」と思い至った時にはすでに、サディアスに唇を塞がれていた。

 顎に添えられていた手はいつの間にか頭の後ろに回され、やんわりと支えられるままサディアスの口づけを受け止める。
 唇を食んだり、角度を変えたりして、互いが溶け合いそうなほど何度も重ねた。

 やがて息が継げず酸欠になりそうでサディアスの胸を両手で押し返すと、サディアスはくすりと笑って唇を離す。

「王都に帰るぞ、ティナ。王都にある家(タウン・ハウス)にティナの部屋を用意しているから案内するよ」
「すぐには無理だよ。みんなに挨拶しないといけないから」
「……早く独り占めできねぇかな」

 拗ねたような声で呟くと、サディアスは私を抱き上げた。

     ◇

 翌日、私とサディアスはジェフリーやアビーさんたちにサディアスとの結婚の話をして、フローレスを発つ準備に取り掛かった。

「あ~あ。私はまた可愛い子を騎士に盗られるのね」

 アビーさんは反対こそしなかったものの、一日中寂しそうだった。
 後でフェリシアさんから聞いた話によると、私のことを孫のように思ってくれているらしい。
 お仕事の最終日には、アビーさんから餞別で羽ペンやインクを貰った。
 
「ティナ、王都での生活が落ち着いたら手紙をちょうだい。王都での生活が辛くなったらいつでも帰ってきたらいいんだからね」

 帰る場所が二つもできるだなんて、なんと幸せなことだろう。
 贈り物以上に嬉しい言葉を聞けて泣きそうになった。

 大衆食堂の女将さんや《魔女の隠れ家》のお客さんたちもみんな別れを惜しんでくれて、フローレスを発つ前日は大衆食堂で盛大なお別れ会を開いてくれた。
 

 私はたくさんの人に見送られつつ、フローレスでの生活に終止符を打った。