「ジェフリー、忙しいときにごめん」
「気にするな。ティナの為ならいつだって時間をとるからよ」

 ジェフリーはいつものようにニカッと笑うと、私の差し向かいの席に座る。

 今日は≪魔女の隠れ家≫の定休日。ジェフリーの仕事に定休日はないのだけど、「聞きたいことがある」と手紙に書いて相談したところ、私の休日に合わせて時間を設けてくれのだ。
 
 領主としての仕事は大変だろうに、時間を作って会ってくれるのはありがたく、それと同時に申し訳なくなる。
 この恩を返すためにも、街に保護結界を張ってジェフリーの悩みを減らしておこうと心に誓った。

「今はアビーさんの店で働いるんだってな。仕事には慣れたか?」
「よかった。ジェフリーはアビーさんのこと、知ってるんだね」
「アビーさんはこの街じゃ知らない人なんていないくらい有名人だぞ。なんせ、不老不死の薬を飲んでいるって噂だからな」
「ふ、不老不死?」
「そうだ。ああ見えて、武器屋の大将や大衆食堂の女将さんとは幼馴染らしいぞ。初めて聞いた時は驚いたよ。親と娘くらいの年の差がありそうなのに同い年なんだからさ」

 いささか信じられない話だが、言われてみると確かに、アビーさんには年輩の知り合いが多い。それに、基本的に誰に対しても気さくに話しかけるアビーさんだけど、お年寄りを相手にした時はいつも以上に砕けた調子で話しているのだ。

 とはいえ、まだアビーさんが自分よりも遥かに年上だなんて半信半疑だ。

「謎が解けたようで深まるばかりだよ」
「魔女の家系に生まれた人は総じて長生きで年をとるのが遅いからな。アビーさんの姿が変わらないのはその血が関わっているんだろうよ」
 
 ジェフリーの話によると、昔からフローレスには魔女が一人いて、街の人たちのために薬を売ってくれているらしい。
 魔女たちはある年齢になると魔女の仲間から弟子をとって、何十年もかけて自分が得た知識を教え込むのだとか。そうして彼らは、知恵を受け継いでいくのだと言う。

「ねぇ、アビーさんのところにいた弟子のことも知ってる?」
「う~ん……俺が生まれる前の話だから詳しくは知らないが、人づてになら聞いたことがある」

 するとジェフリーはティーカップをソーサーに戻すと、腕を組んで小さく唸った。眉間にきゅっと皺を寄せていて、記憶の奥深くにある件の話題を思い出すべく
手繰り寄せているように見える。

「……噂によると、その弟子はアビーさんと仲違いして出て行ってしまったらしいんだ。騎士と恋に落ちて、そいつについて行くと言ったのが原因らしい。当時のアビーさんはかなり落ち込んでいたんだとよ。実の娘のように可愛がっていた弟子を失ったからな」
「そうだったんだ……」

 弟子のことを話していたアビーさんの、悲しそうな表情の理由――それは、いなくなった弟子を今も恋しく思っているからなのだろう。
 それほどまでに大切に想われているその弟子を、羨ましく思う。アビーさんは私の姿を通してその弟子のことを思い出しているのだから、なおのこと。

 嫉妬に似た感情を抱き始めているのに気づき、慌てて頭を横に振った。こんな気持ちをアビーさんが知れば良く思わないだろうから。
 だから考えてしまわないように、浮かんだ気持ちを心の隅に追いやった。

「浮かない顔するなよ。サディアスが見たらまた騒ぎ始めるぞ」
「どうしてサディアスが出てくるの?」
「あいつはティナの事となるとなりふり構わなくなるんだよ。きっと俺の所まで来て問い質し始めるだろうよ」
「そんなことないよ」

 サディアスがそれほど気にかけてくれていたのは、私が聖女だったからだ。いかなるものからも聖女を守り抜くと女神様に誓いを立てた護衛騎士の、本能にも似た行動であって。
 聖女を辞めてしまったけど、この先も保護の対象であり続けられたらいいのに、なんて考えてしまい、サディアスが次に仕えるであろうシャーロットのことを妬ましく思ってしまいそうになる。

 するとジェフリーはふと、笑うのを止めた。

「もしかして、サディアスにはここにいることを話してないのか?」
「話してないけど? アビーさんの過去を聞きに来たのに無関係なサディアスを呼ぶわけにもいかないし」
「俺に手紙を送ったことも言ってない?」
「言ってないけど?」

 いちいちサディアスに報告する必要なんてないはずだ。それなのに、ジェフリーの表情はみるみるうちに蒼ざめて。

「サディアスの事だから、知っていたら意地でもついて来るよな……だとすると、今ここにいないということは知らないということで……自分が知らない所でティナが男と話していたなんて知ったらただでは済まないはず。まずいぞこれは。非常にまずい」

 おまけに何やら小声でブツブツと呟き始めた。
 深刻そうな姿を見て、なんて声をかけたらいいのかわからず見守っていると、誰かが部屋の外から扉を叩く音がする。

「なっ、何だ?」

 ジェフリーが裏返った声で返事をすると、ブラックウェル家に仕える執事が「ハルフォード卿がお見えです」と粛々と答えた。

 サディアスとも会う約束をしていたのだろうか?

 そんなことを考えているうちに、扉はジェフリーの許可を待たずに開いてサディアスが現れる。するとあっという間に視界を黒色が占めて、それがサディアスの上着だと気づいた時には身を捩ることもできないくらい強く抱きしめられていた。

「ティナ、一人でどこに行っていた? 俺から離れたらお仕置きだ」
「……はい?」

 まるで私が失踪していたかのような言い草に呆れてしまう。おまけに貴重な「俺」が聞こえてくるし、なぜか罰をちらつかせてくるしで、どこから突っ込めばいいのかわからない。

「私はジェフリーと話すためにここに来たんだけど?」

 私はなにも悪くないぞと抗議を込めて言い返すと、目の前に迫るサディアスの金色の瞳に仄暗い影が落ちた。

 あまりにも強い感情を込めた眼差しに、ただただ魅せられるように視線が吸い込まれてしまい――。


 目が離せなくなってしまった。