「う~ん……集中できない……」

 手に持つ針を針山に戻して溜息をつく。
 作りかけのぬいぐるみを窓辺のチェストにおいて外を見ると、気持ちのいいくらい晴れ渡っていて爽やかな風が抜けていった。
 外の天気は恨めしいほど穏やかだ。

「今日はもう、出かけようかな」

 チラッと隣の部屋の窓を見てみるけど、サディアスの姿はなかった。代わりに開け放たれた窓からカーテンが翻る様子が見える。

 今にも私の名前を呼んでサディアスが顔を出しそうなのに、じっと見つめてもサディアスは現れない。

 ……って、私は何を考えてしまっているんだ。

 サディアスと野外演劇を観た日からずっとこんな感じで、一人でいるとふとした瞬間に、サディアスの顔や声を思い出してしまう。
 そうしているうちに夕食の時間にサディアスが部屋を訪ねてくると嬉しくなって、胸が高鳴って、はしゃぐ自分がいるのだ。

 まるで、またサディアスに恋でもしてしまったかのようで。
 そんな自分の変化に戸惑っている。

「うん、出かけよう。気分転換が必要だよね」

 ここ数日はそんな調子で、趣味のぬいぐるみ作りも読書も捗っていないからモヤモヤしていた。
 そんな時は外出するに限るってサディアスが……あぁ、そう、サディアスが言っていた。

「はぁぁぁぁ。なんでまたサディアスのことを思い出してるの?」

 サディアスのことを頭の中から追い出そうとしているのに、またもやサディアスのことを考えてしまったせいで頭を抱えたくなる。
 雑念を追い払うべく手早く外行きのワンピースに着替えて扉を開けた。

 外に出てサディアスの事なんて忘れてやる、と意気込んでいたのに、扉を開けるとすぐ隣にある壁にサディアスが背を預けていて。

「あら、ティナ。今日のお出かけはどこに行くのかしら?」

 なんて言ってにっこりと笑う。
 さすがに失礼だとはわかっているけど、予期せぬ遭遇に叫び声を上げたい気持ちになった。

「そ、そんなところで何してるの?」
「んー? 考え事してたのよ。で、どこに行くつもり?」
「……適当に、その辺をぶらぶら歩いてこようかなと思って」
「あらそう。じゃ、アタシがお供するわ」
「い、いらないっ!」
「ちょっと、待ちなさい!」

 サディアスの手が伸びてきたのを、身を躱してすり抜ける。
 こちとら伊達にサディアスとの付き合いが長いわけではない。サディアスの行動パターンは把握しているつもりだ。

「行ってきます!」
「んもぉ~! 待ちなさいよ~! ティ~ナ~?」

 背中から聞こえてくる声なんて気にしない。後ろ髪引かれたりなんてしない。
 そう自分に言い聞かせて全速力で走り、サディアスから逃げた。

     ◇

 幸いにも広場には人がたくさん行き交っていて、人の合間を縫って走るうちにサディアスの声は聞こえなくなった。街に流れる小川の近くまで辿り着いて、小さな橋の欄干にもたれかかる。

 久しぶりに走ったせいですっかり息が上がってしまった。
 
「ふぅ……。サディアスは……いなさそう」

 いかんせんサディアスは目立つ。
 あの容姿は然ることながら、背が高いし声が大きいから、どこにいたってすぐにわかる。
 右を見ても左を見ても、それらしき人影がないから上手く捲けたようだ。

「しばらくここで休憩しようかな」

 橋の上は開放的で、風が吹くと火照った体を冷やしてくれて心地よく、おまけに道行く人たちの様子を眺められるから暇つぶしにはうってつけの場所だ。

 じっと見ていると、目の前をありとあらゆる職業の住民たちが通り過ぎていく。
 幌馬車いっぱいに荷物を積んだ商人や、仕込みの材料の買い足しをしている料理人見習い、そして少し早めの昼食をとりに外に出ている職人など。

 仕事仲間やお客さんと話している彼らは楽しそうで羨ましい。
 私はまだこの街に溶け込めていないから、どうしても街の人と喋る時、よそよそしさを感じてしまうのだ。

「働いてみたら、もっとみんなと打ち解けられるかな?」

 今の私ははっきり言って、旅行客と大差ない。みんなの生活の隣に居るけれど、交わることがないから。
 よし。仕事をしてこの街の一員になってみよう。仕事で忙しくなればサディアスのことも忘れられるよね?
 
「さすがに仕事のことまでジェフリーを頼るわけにはいかないよね。商業ギルドにでも行こっかな」
「――ジェフリーを頼るですって?」
「いや、頼らないから。……ん?!」

 思いがけない合の手に違和感を覚えて横を向くと、腕を組んだサディアスがずいっと顔を近づけて睨んでいる。
 唇が触れ合ってしまいそうなほど近くに顔があって、思わず「ひえっ」と声が漏れた。