ブルーベル王女は形だけの外交官代理だと思っていたが、そうではなかった。

 我が国の外交官とも丁々発止で渡り合い、その知識は本物だという。



「参ったよ、上院の貴族たちはこぞってブルーベル王女の味方だ。下院議員と僕が反対しているけれど、このままでは関税の数値はディランシア王国の思惑通りになりそうだ」



 寝る前に、ソフィアとセオドアさまはワインとチーズを持ちより、ブルーベル王女対策の会議をしている。



「ディランシア王国は何を求めているのですか?」

「米の関税を下げろと言っている。我が国では現在、それほど多くの米を輸入していない。国内の生産量で消費量がほぼまかなえているからだ」

「そうですね、それに主食は小麦ですし」

「そこもうまいところだ。主食ではないのだから、目こぼしをしろと言いたいのだろう。だが、ディランシア王国から安価な米が輸入され始めたら、国内の少なくない米農家は打撃を受ける。軒並み廃業したあとに、米の価格を吊り上げられて困るのは我が国だ」



 セオドアさまは珍しく溜め息をこぼす。

 溜め息はソフィアの専売特許だったのに。



「それは高位貴族の方々も分かっていることでは? どうしてディランシア王国の言いなりになるのですか?」

「米の関税を下げてくれたら、高位貴族たちが喉から手が出るほど欲しがっている香辛料を優先的に輸出してもいいという条件をちらつかせているんだ。米農家が廃業しようが、米の価格が上がろうが、金のある彼らは困りはしないからね」



 なるほど、香辛料が縁となってディランシア王国と高位貴族たちは繋がっていたのか。

 密輸とまではいかなくても、これまでも融通を図ってもらっていたのだろう。

 高位貴族たちにとっては今後とも仲良くしたい相手というわけだ。

 自分たちのことしか考えられない高位貴族たちには辟易する。

 それに反対して、セオドアさまと庶民寄りの下院議員たちは頑張っているということか。



「そこまでして欲しい香辛料とは、どんなものなのですか?」



 ソフィアは呆れの混じった声でセオドアさまに尋ねる。

 セオドアさまはワイングラスのステムを品よく持ち、豊潤な香りを楽しみながら答える。



「我が国にはまだ入ってきたばかりの珍しい香辛料でね、だけどソフィアも食べたことがあるはずだ」



 ちなみにこのワインは国産で、ソフィアが第三王子にお勧めしようと用意していたものだ。

 ブルーベル王女はワインを飲まないとのことだったので、すごすご下げた記憶は新しい。



「いつだったか、金色に炊かれた米が晩餐に出ただろう? 発色がいいと料理長が絶賛していたサフランというのが、高位貴族たちが夢中になっている香辛料だ」



 サフラン?

 ソフィアはその晩餐で料理長から説明を受けたのだろうが、今の今まで名前を忘れていた。

 だが、どこかで目にした気がする。

 サフラン……どこだったかしら。



「ディランシア王国ではサフランの栽培に力を入れていて、販路の拡大をもくろんでいる。我が国ではまだ貴重で珍しく、高値で取引されるから狙われているんだ」

「ブルーベル王女はそれについてどのように関わっていると思いますか?」



 ちらつかせるものがサフランだけなら、第三王子でもよかったはずだ。

 ブルーベル王女が、王子妃に内定しているソフィアを引きずり下ろしたい理由は何なのか。



「単純に考えたら、王子妃になればその祖国はある程度の優遇をされるよね。米だけじゃなく、ほかの特産品についても関税を下げたりね」

「つまり、友好国の扱いになると」

「そういうことだね。少しずつ歩み寄って仲良くなるより、婚姻で結ばれるほうが手っ取り早く強固だ」



 ディランシア王国の目的はそこか。



「セオドアさまとしてはどうですか? ディランシア王国は友好国として迎え入れるに値する国だと思いますか?」

「僕としては、ちょっと強気なところが鼻につくね。今回のことも、そもそも第三王子が来るはずだったのに、僕になんの連絡もなく代理を寄こすなんて。下に見られている気がするよ」



 セオドアさまがディランシア王国を好意的に思っていなくて、ソフィアはちょっとホッとした。

 もし好意的に思っていたら、ブルーベル王女のことは渡りに船だ。

 まだ内定のソフィアには、セオドアさまを止める権利なんてない。



「おや、僕の可愛いソフィアは何か勘違いをしているようだね」



 サッとワイングラスをテーブルに戻すと、セオドアさまはソフィアを抱き上げて自分の膝に載せる。



「きゃ! セ、セオドアさま!」



 ソフィアが抗議をする前に、セオドアさまはぎゅうぎゅうと腕の中にソフィアを閉じ込めてしまう。



「僕が結婚する相手はソフィアだ。婚姻なんて手段で友好国を増やしたりしない。そんなことは政治の手腕でなんとかするものだ」



 セオドアさまはチュッチュとソフィアの頬に口づけを落としていく。



「いいかい、ソフィア。僕にとって癒しになりえるのはソフィアだけなんだよ。色味が地味だとか、華がないとか、まったくもってソフィアを何も理解していない者の言うことだ。ソフィアはこんなにも素晴らしい。僕がそれを教えてあげようね」



 この夜、セオドアさまはなかなか自室に戻られなかった。



 ソフィアのもとへブルーベル王女からお茶会のお誘いがきた。

 関税交渉の場の合間をぬって、息抜きがしたいそうだ。

 ソフィアは未来の王子妃として恥ずかしくないよう、がっちりとディランシア王国のことを頭に入れて挑んだ。



「お招きいただき、ありがとうございます。ブルーベル王女、こちらの国ではつつがなく過ごせていますか?」

「ソフィアさま、ようこそ。おかげさまで快適に毎日を送っています。さあ、ディランシア王国から持参したお茶を用意しています。おくつろぎになって」



 ソフィアの前には異国の香りがする、色味の変わったお茶が供される。



「このお茶も、香辛料に続いて力を入れている特産品です。ソフィアさまに気に入っていただけると嬉しいわ」



 お茶会で自国の品をアピールするのは、ソフィアも接待でよく使う手だ。

 勧められたら褒めないわけにはいかないし、簡単で有効な方法なのよね。



「独特な香りと色味ですね。こちらではあまり見かけないお茶のようですが?」

「ええ、まだあまり多くは世に出ていませんの。特殊な方法で栽培しているものですから」



 こうやって貴重であることを強調すると、珍しいもの好きな高位貴族たちはホイホイ釣れそうだ。



「おかげさまで、こちらの国の公爵さまに年間で売買契約を結んでいただきましたのよ」



 もう釣れていた!

 まったく、チョロいんだから。

 本当に我が国の高位貴族たちは、この王女さまにいいように扱われているわね。

 見た目で大人しいだけの王女さまだと思っていたら、とんだやり手だったわ。

 華奢な指でティーカップのハンドルを摘み、優雅にお茶を楽しんでいる姿は、清楚で儚げで男の庇護欲をそそるだろう。

 しかし黒い瞳に宿る光は、けっして護られる側のそれではない。

 今もソフィアに宣戦布告をしたいと伝えてきている。

 上辺で探り合いをするのも疲れたソフィアは、単刀直入に切り込んだ。



「それで、このお茶会の目的はなんですか?」

「あら、意外と好戦的なのね? そのほうが私もやりやすいわ。私ね、この国がすっかり気に入ってしまったの。味方についてくれる大勢の高位貴族たち、豊富な資源と可能性にあふれた広大な土地、なにより王子殿下があんなに麗しくて素敵だなんて」



 ここで王女さまは、頬にそっと手を添え、ほうと息をつく。

 はいはい、ソフィア相手に可憐なポーズは意味がないですよ。

 そんなソフィアの表情を解読したのか、クスリと笑うと王女さまはズバリと宣った。



「だからね、本気で狙ってみようかと思っているの、あなたが今いる王子殿下の隣を」