◯マンション、リビング(前述の続き)


階段から滑り落ちた2人は、ひいろが巧の上に覆いかぶさるようにして見つめ合っている。

顔がキスしそうなくらいの至近距離。


ひいろ「…わわわわわわ!!!!ごめん、重いよね…!」


慌てて巧の体の上から下りるひいろ。


ひいろ「たっくん、お風呂冷めちゃうから入ってきて…!」

巧「あ…、ああ」


立ち上がった巧の背中を押して、リビングから追いやるひいろ。

リビングのドアをパタンと閉め、ドアを背中にしてずるずるとその場へたり込む。


ひいろ「び…びっくりした…。危うく、たっくんにキスしちゃうところだった…」


徐ろに唇を指で触れるひいろ。


ひいろ(…わたしたちは恋人同士。もちろん今までだって、キスくらいしたことあるのに…婚約破棄前提で仕方なく付き合ってるわたしにキスなんてされたら、…たっくんにとっては迷惑なだけだよね)


寂しそうにため息をつくひいろ。



◯マンション、脱衣所(前述の続き)


お風呂へ入るため、上半身の服を脱ぐ巧。

その場でふと固まる。


巧(ひぃの濡れた髪、普段見ることのない部屋着姿だけでも内心ドキドキしてたのに…)


さっきの階段から落ちたことを思い返す。


巧(俺がひぃをかばってあんな体勢になったとはいえ、ひぃに至近距離で見つめられたら…正直、あのままキスしそうになった)


洗面台の鏡に映る自分に目を向ける巧。

握り拳で鏡をたたく。


巧「…でも、そんなことできるかよ。俺たち…別れなきゃいけないんだから」


悔しそうに唇を噛みしめる巧。



◯マンション前(朝)


翌週の月曜日。


学校に行くため、いっしょにマンションから出てくるひいろと巧。


加奈「あれっ?…ひいろ!?それと、巧くん!?」


登校途中の加奈が2人を見つけて声をかける。

その後ろには龍太郎もいる。


ひいろ「…あっ!おはよう、加奈ちゃん」

加奈「おはよ〜。2人とも、今このマンションから出てこなかった?」

龍太郎「もしかして、結婚に向けてこのマンションで同居始めたとか?」

加奈「まさか〜!それは言いすぎだよ、リュウ〜」


笑って龍太郎の肩をたたく加奈。

それを聞いて、気まずそうに答えるひいろ。


ひいろ「…実は、そのまさかなんだよね」

加奈・龍太郎「「えっ!?」」


目を丸くして驚く加奈と龍太郎。



◯学校、2年1組の教室(朝のホームルームが始まる前)


ひいろの前の席の加奈が後ろを向き、ひいろと対面するようにして座る。


加奈「そうだったんだ〜!巧くんのお父さんがそんなことを」

龍太郎「でも、あそこのマンションってすっげー高いんじゃねぇの?」

ひいろ「そうなの!夜は遠くまで夜景が見えて――」

龍太郎「…いや、ひいろちゃん。そういう意味の“高い”じゃないんだけど」


苦笑する龍太郎。

意味がわかっていないひいろはキョトンとする。


加奈「リュウ、バカじゃない〜?巧くんだよ?櫻木財閥なら、あのマンションごと買えちゃうんじゃないの?」

龍太郎「あ〜、たしかに。ねぇ、今度加奈といっしょに遊びに行かせてよ!」

ひいろ「うん、ぜひ!ねっ、たっくん」

巧「ああ」


笑ってみせるひいろ。


ひいろ(加奈ちゃんと龍太郎くんにはなんでも話せる仲とはいえ、婚約破棄になるまでの間、仕方なくあのマンションに同居してるなんて…さすがに言えないよ〜)


内心、ひいろは冷や汗をかく。



◯マンション、リビング(ある日)


あるときは、加奈と龍太郎が遊びにくる。

そしてあるときに、ひいろと巧の両親が遊びにくる。


ひいろの母「すてきなお家〜!こんなところに住まわせてもらえるだなんて、ひいろは幸せ者ね」

ひいろ「う…うん!」


母親に心配かけさせまいとするも、母親が思うような結婚前提の同居ではなく、婚約破棄前提の同居で複雑な気持ちのひいろ。


巧の父「巧、どうなんだ?ひいろちゃんとはうまくやってるのか?」


その言葉に、待ってましたと顔を向けるひいろと巧。


ひいろ「…実は、ケンカが多くて」

巧「やっぱりいっしょに住んでみないと、相手のことってわからないものだな」


自然な婚約破棄に向けて、同居を始めてからよくケンカすることをそれとなく伝える。

もちろん嘘だが、ケンカをきっかけに気持ちが離れかけているという設定で。

これで、婚約破棄することになったという流れに持っていけるかと思いきや――。


ひいろの父「まあ、ケンカするほど仲がいいって言うしな」

巧の母「そうねっ。2人がうまくいってるのなら、それでよかった」

ひいろ・巧「「だから、うまくいってるわけでは――」」


ひいろ・巧((本当はうまくいってるけど…!))


結局ひいろたちは、この日は婚約破棄について言い出すことはできなかった。



◯とある保育園(朝)


それから1ヶ月後。


先生「今日は、高校生のお兄ちゃんとお姉ちゃんがきてくれています!」

園児たち「「わぁ〜い!」」


喜ぶ園児たち。

ひいろ、巧、加奈、龍太郎は保育園のエプロンを着て、園児たちの前に立っている。


今日は、学校の授業の一環である『職業体験』。

4人は学校近くの保育園に、1日だけ保育補助としてきていた。


加奈「仲よくしてね〜、みんな」

園児たち「「は〜い!」」


ひいろ、加奈、龍太郎は子ども好き。

加奈と龍太郎は、さっそく園児たちと遊んでいる。


女子園児たち「お姉ちゃん!あっちでいっしょに遊ぼ!」

ひいろ「うん、いいよ!」


ひいろも女子園児たちに手を引っ張られ、園庭の遊具で遊ぶ。

楽しく遊ぶひいろ。

園児たちと遊びながら、横目で巧の様子を見つめる。

巧も園児たちに囲まれているが、たじたじしている。


ひいろ(たっくん…大丈夫かな?わたしたちと違って、たっくんって小さい子が苦手だったはずだけど)



◯とある保育園(前述の続き)


午後。

園児たちがお昼寝をしている間に、先生から折り紙で鶴を折っておいてほしいと頼まれ、空き教室で折り紙の事務作業をする4人。


加奈「折り紙なんて、久しぶり〜」

ひいろ「わたしも。園児たちには知らないところで、こういう作業をして飾り付けするのも先生たちの仕事なんだね」

龍太郎「自分が保育園児のときはなんとも思ってなかったけど、保育園の先生ってマジですげーよな」


3人が話しながら折り紙をする中、1人で黙々と折り鶴を作りためていく巧。


加奈「すごい、巧くん!折り紙、得意なんだ!」

ひいろ「たっくんって、小さい頃から折り紙上手だったよね」

巧「…まあ、子どもの相手するよりはこっちのほうが楽だし」


それを聞いて、キョトンとする龍太郎。


龍太郎「え?巧って、子ども嫌いなの?」

巧「嫌いじゃない。苦手なだけ」

龍太郎「どっちもいっしょだろ〜!職業体験なら、他にもスーパーとかカフェとかパン屋とかあったのに、なんでわざわざここを選んだんだよ?」


龍太郎の言葉を聞いて、ひいろも巧の顔色をうかがう。


巧(…そんなの、ひぃと同じところがいいに決まってんじゃん)


巧は恥ずかしそうに頬をポリポリとかく。



◯とある保育園(前述の続き)


園児たちのお昼寝後。

再び、園児たちと遊ぶ4人。


男子園児たち「や〜い!きいろ〜!」

ひいろ「“きいろ”じゃなくて、“ひいろ”です」

男子園児たち「「“きいろ”〜!」」


やんちゃな男子園児たちにバカにされるひいろ。


女子園児たち「こら、そこー!いじめちゃダメだよ!」

女子園児たち「そうだよ!お姉ちゃんがかわいそうだよ!」

男子園児たち「「うるせ〜!」」


男子園児と女子園児のちょっとした言い争いが始まり、困惑するひいろ。


女子園児たち「お姉ちゃんに謝らないなら、先生に言うからね!」

男子園児たち「…なっ。なんだとー!」


ムキになった1人の男子園児が女子園児をたたこうと手を上げた。

とっさに女子園児をかばうように抱きしめるひいろ。

しかしなにも起こらず、つむった目をゆっくりと開けるひいろ。


巧「女の子はやさしく扱ってあげないとダメだろ?この手はたたくためにあるんじゃなくて、好きな人を守るためにあるんだから」


ひいろたちをたたこうとした男子園児の腕を後ろからつかむ巧。


巧「そんなに元気があり余ってるなら、あっちで俺が相手してやるから」


巧がそう声をかけると、男子園児は素直に巧についていく。

突然現れたヒーローのような巧につい見惚れてしまっていたひいろ。


女子園児たち「お兄ちゃんかっこいー!」

ひいろ「…そうだねっ。かっこよかったね」


ひいろの口から無意識にそんな言葉が出る。

直後に我に返ったひいろははっとして、女子園児と目を合わせる。


女子園児たち「もしかしてお姉ちゃん、お兄ちゃんのことが好きなの?」


女子園児に聞かれ、ひいろは頬を赤くしながらぎこちなくうなずく。


女子園児たち「やっぱり〜♪」


すると、その女子園児はどこかへ駆けていく。

ひいろが目で追うと、向かった場所は男子園児たちと遊ぶ巧のもと。

巧にしゃがむよう促し、なにかを耳打ちしてひいろのほうを指さす女子園児。

巧もひいろのほうを一瞬だけ見ると、女子園児になにかを耳打ちする。

ひいろのところへ帰ってくる女子園児。


女子園児「お兄ちゃんに言ってきたよ!」

ひいろ「え?」

女子園児「お姉ちゃんがお兄ちゃんのこと『好き』って言ってたよって」

ひいろ「…え!?」


思わぬ展開に顔を真っ赤にするひいろ。


ひいろ(…そ、そんな。たっくんのことは好きだけど、婚約破棄するからこの気持ちは隠しておこうと思っていたのに…)


女子園児たち「そうしたら、お兄ちゃんが言ってたよ」

ひいろ「な…なんて?」


冷や汗をかくひいろ。


ひいろ(さっき女の子に耳打ちしてたことだ。絶対よくないことに決まってる…。『迷惑』とかそんなことかな――)


肩を落とすひいろ。


女子園児たち「『俺も好きだよ』だって!」

ひいろ「…え…?」


ひいろは女子園児の言葉にキョトンとする。


ひいろ「あのお兄ちゃんが…本当にそんなことを?」

女子園児たち「うん!お姉ちゃんとお兄ちゃんって、ラブラブなんだね♪」


女子園児に冷やかされ、ひいろは頬を赤くする。

赤い顔を隠すように手で顔を覆いながら、指の隙間からチラリと横目で巧を見つめるひいろ。


ひいろ(わたしたち、近い将来別れるっていうのに――。たっくんが子どもたちと遊んでる姿を見たら、将来こんなパパになるのかな…とか勝手に想像しちゃう)