◯マンション、リビング(前述の続き)


放課後。


ひいろ「うわ〜!こんなに高いんだ〜!」


街を一望できるリビングの大きな窓から下を見下ろすひいろ。


ひいろと巧が同居することになったマンションは、学校からも近い駅前のタワーマンション。

その最上階で、1階には40畳の広々としたリビングがあり、スケルトン階段を上った2階に部屋が3つの3LDKの間取り。

家具家電は備え付け。

櫻木家が2人のためにと用意したマンション。


巧「どう?気に入った?」

ひいろ「うん!こんなところに住めるなんて夢みたい!」


子どものようにはしゃぐひいろ。

そんなひいろを愛おしそうに眺める巧。

しかし、なにを思ったのかピタリと動きが止まるひいろ。


ひいろ(…しまった!ついはしゃいでしまった…。わたしはたっくんと別れるのだから、こんな豪華なマンションに住むような資格なんてなのに…)


リビングには、段ボールがいたるところに転がっている。

すでに巧の両親とひいろの両親とで同居することは話がついていて、ひいろと巧の荷物や暮らすにあたっての最低限の物はすでにマンションに運び込まれている状態だった。

2人の両親は、2人が密かに婚約破棄しようとしていることは知らないし、同居の話が通っているのにいっしょに住まなければ怪しまれる。

そのため、ひいろと巧はとりあえずいっしょに住むことを選んだ。


ひいろ「そうだ…!荷解きして、部屋を片付けないとね」

巧「ああ。2人でしたら早く終わるだろうから」


荷解きをするひいろと巧。

色違いのマグカップや2組の食器をキッチンの棚に並べる。


ひいろ(…なんだか不思議な気分。たっくんとは婚約破棄前提でいつかは別れるはずなのに、まるで…新婚みたいなこの感じ)


棚を組み立てる巧の姿を見て、その男らしい行動にキュンとするひいろ。


巧(まさか別れることになるとは思ってなかったから、こうしてかたちだけの同居が始まったけど…)


チラリと鼻歌を歌いながら片付けするひいろの姿に目を移す巧。


巧(父さんに同居するように言われたときから、俺はこの日をずっと楽しみにしてた。…そんなこと、別れたがってるひいろには絶対に言えねぇけど)


時間も忘れて片付けをする2人。

ふと時計に目を移すひいろ。


ひいろ「…え!もう7時前!?」

巧「どおりで腹が減ったわけだ。なにか出前でも頼む?」

ひいろ「ううん、大丈夫!すぐ下がスーパーだし、なにか買ってきてわたしが作るよ」

巧「…えっ、ひぃの手作り?」
巧(ヤバ。絶対おいしいに決まってんじゃん)


ぽかんと口を開ける巧を見て、ひいろは慌てて否定する。


ひいろ「ご…ごめん!わたしの手作りなんていやだよね…!たっくんはなにか別に、ピザでも頼んで…!」

巧「…いや。ひぃが2人分作るのが面倒じゃなかったらそれでいいんだけど」
巧(むしろ、ひぃの手料理が食べたい)

ひいろ「…簡単なものだけどいい?パスタとか」

巧「ああ。俺も手伝うよ」
巧(ひぃが作る料理だったら、なんだっておいしいだろ)


もともと愛情表現下手なクールな姿しかひいろに見せてこなかった巧は、心ではひいろを溺愛する言葉をつぶやくも、決してそれを口には出さない。

婚約破棄するためにこれから徐々に気持ちは離れていかないといけないため、実はめちゃくちゃ好きだということは当の本人のひいろには悟られてはいけないから。

ひいろもまた同じことを考えていて、さらに甘え下手なため、本当は巧のことが好きでもそれを表に出すことはなかった。



◯マンション下のスーパー(前述の続き、夜)


すぐそこだから1人で行けると言って、巧には部屋の片付けの続きをお願いしていたひいろ。

エレベーターから降り、1人でスーパーへ買い物へ。


ひいろ(なんのパスタにしようかな。ナポリタン?それともカルボナーラ?)


手に取ったケチャップと卵を交互に見つめるひいろ。


ひいろ(そうだ!たっくんにどっちがいいか聞いてみよう)


そう考え、制服のスカートのポケットに手を伸ばすもスマホがなかった。


ひいろ(…ない!部屋に置き忘れてきちゃったんだ…!)


キッチンのカウンターにぽつんと置かれたひいろのスマホ。


ひいろ(たっくん、パスタならなんでも好きなはずだけど、…どっちの気分かなぁ。せっかく同居して初めての食事だし、たっくんが喜ぶほうがいいな)


一旦部屋に戻ろうか、この場で自分の判断で決めようかとスーパーの中て行ったりきたりするひいろ。


ひいろ(よし!やっぱり部屋にいるたっくんに聞きにいこう!)


そう考えたひいろの手から、持っていたケチャップが奪われる。

驚いて目を向けるひいろ。


巧「カルボナーラも好きだけど、今はナポリタンの気分かな」


ひいろからケチャップを取り、カゴに入れる巧。


ひいろ「…たっくん!どうしてここに…!?」

巧「スマホが部屋に置きっぱなしだったから届けにきた」
巧(本当は、ひぃのことが心配できただけ)


スマホをひいろに手渡す巧。


ひいろ「ありがとう、たっくん。それにしても、どうしてわたしがカルボナーラとナポリタンで迷ってるってわかったの?」

巧「俺たち、何年幼なじみしてんだよ。ひぃの考えてることならすぐにわかるって」


巧の微笑みにドキッとして、頬がほんのり赤くなるひいろ。


ひいろ「たっくん、部屋に戻る?」

巧「いや。大体は片付いたから、いっしょに買い物付き合うよ」
巧(すぐそこのスーパーとはいえ、夜にひぃを1人にさせたくない)


スーパーの中をいっしょに見て回るひいろと巧。

食材を選ぶ巧の姿を横目で見つめるひいろ。

ひいろが棚の高いところにある商品を取ろうして目一杯背伸びをするが取れず、斜め後ろからひょいっとその商品を取ってひいろに手渡す巧。


ひいろ(た…たっくん…!近すぎるよっ…)


背中に巧の胸板が触れ、ドキドキするひいろ。

ひいろは、下から見上げる巧の顔にときめく。


ひいろ・巧(こんなふうにいっしょに買い物をしていたら、まるで本当に新婚みたいだ)


同じ食材を取ろうとして手と手が重なり、顔を赤くして同時に手を引くひいろと巧。



◯マンション、リビング(前述の続き)


ダイニングテーブルで向かい合って座り、ナポリタンを食べるひいろと巧。


ひいろ「どう…かな?たっくんのお口に合えばいいんだけど…」


小声でつぶやきながら、巧の顔色をうかがうひいろ。

しかし、巧は黙って食べているだけ。


巧(…なんだよ、これ。…うまい!うますぎる!)


ひいろのおいしすぎる手料理に夢中の巧は、ひいろの話声が聞こえていなかった。


ひいろ(…たっくん、なにも言ってくれない。頬張ってくれてるみたいだけど、おいしくないから早く食べ終わりたいのかな…)


巧からの返事がなく、不安になったひいろは落ち込む。



◯マンション、2階(前述の続き)


22時。


先にお風呂に入っていたひいろがリビングに戻ってくる。


ひいろ「たっくん、お風呂空いたよ――」


しかし、巧はリビングにいない。


ひいろ(上かな?)


リビングのスケルトン階段から2階を見上げるひいろ。

ひいろは階段を上り、巧の2階の部屋へ向かう。


コンコン!

巧の部屋をノックするひいろ。


ひいろ「たっくん、次お風呂――」


そう言いながらドアを開けると、デスクのそばにいた巧と目が合う。

巧は少し驚いたような顔を見せると、慌ててデスクの一番上の引き出しを閉める。

そして鍵をかける。


巧「…ああ、風呂?わざわざ言いにきてくれたんだ」

ひいろ「うん。先に入らせてもらってありがとう」

巧「いいよ、そんなこと――」


と言いかけて、巧が固まる。

ひいろの濡れた髪にひいろに似合う薄ピンクのかわいいモコモコのパジャマに思わず見とれてしまっていた。


ひいろ「…どうかした?」

巧「いや…、なんでもない!」


頬が赤くなったのは隠して、部屋を出る巧。

いっしょに階段を下りるひいろと巧。


巧「ひぃ。明日は土曜日で学校が休みだから、今日足りなくて不便だったものを買いにいこう」

ひいろ「いいね。いっしょに住んでみると、意外と必要なものがまだたくさんあるんだね。でも…、あんまり買いすぎるのもよくないよね」

巧「どうして?」

ひいろ「だってわたしたち、…婚約破棄するんだよ?いつこの同居が終わったっておかしくないのに、買いすぎたら使わないままのものも出てきちゃうかもしれないし…」

巧「そう…だな」


大好きなひいろから『婚約破棄』というワードを出され、心がチクッと痛む巧。

そのとき、ふと隣にいたひいろが階段の途中で足を止める。


ひいろ「…あっ!今日はきれいな満月だね」


ひいろの言葉につられて巧が見上げると、天窓から顔をのぞかせるように月が見える。


巧「ほんとだ。きれいだな」


少しの間、いっしょに月を見上げるひいろと巧。


ひいろ「そういえば、さっきお母さんにこの部屋の写真を送ったらびっくりしてたよ。『たっくんと仲よくね』ってメッセージもきて――」


そう話しながら再び階段を下りようとするひいろ。

しかし、途中で足を踏み外す。

ひいろは、一瞬はっとしたような焦った表情を見せる。


巧「ひぃ…危ない!」


それに気づいた巧は階段から落ちそうになるひいろに手を伸ばす。

ドタドタドタ…!!

けたたましい音がリビングに響く。


ひいろ「ご…ごめん…!たっくん、大丈――」


ひいろが目を開けると、キスしそうな距離で巧の顔がある。

驚いて、目を見開けるひいろ。

巧がひいろをかばい、包み込むようにして階段から落ちたため、ひいろが巧に覆いかぶさるようになっている状況にようやく気がつき、顔が真っ赤になるひいろ。