写真部の朝は早い。
「塩谷さんおはよー」
「おはようございます!」
私は床を掃いていた手を止めて先輩に頭を下げた。
「あはは、もうそんな体育会系の挨拶しなくていいのに」
「す…すいません」
笑われてしまった。
入部してから早1ヶ月。
すっかり体育会系キャラが定着してしまった私は、今日も朝から部室の掃除をしている。
それもそのはずで、私はついこの前までバリバリの体育会系女子だった。
「元水泳部のひと」
後ろから声を掛けられて振り返ると、眠そうに欠伸をする部員が奥の部屋から手招きしている。
彼の名前は西くん。
同じクラスの男子だ。
「何?」
「コレ、アルバムに綴じてほしいんですけど」
西くんが差し出した箱には大量の写真が無造作に入っていた。
「昨日、現像してた写真?」
「そう。ほとんど先輩が撮ったやつですけど」
西くんは、写真部だけれど主にカメラのメンテナンスと現像を担当している。
顔と声だけ無駄にいい。
あ、声は私の趣味か。
でも、分厚い前髪の奥の表情はいつも無愛想で、何を考えているのかよく分からない。タメなのに敬語だし。
同じクラスなのに、いまだに名前すら覚えられてないし。
私が渡された箱の中の写真を手に取って眺めていると「はいコレ」と、アルバムを渡された。
「ホームルーム始まるまでには終わりますよね」
ホームルームまでは、あと30分くらい。
「うん、分かった」
私は近くにあった椅子に腰掛け、受け取った真新しいアルバムを広げて作業を始めた。
正直、写真のことはよく分からない。
スマホのカメラで撮ることはあるけれど、今どきアプリで加工すれば“いい感じ”の写真になる。
私が写真部を選んだのは、部員が少なくて、文化部で、そんなに活動してなさそう…って思ったからだ。
水泳部を辞めて半年。
しばらくは帰宅部だったけれど、まっすぐ家に帰って親と顔を合わせるのがとにかく嫌だった。
特に父は昔水泳をしていたからか、私の活躍をとても楽しみにしていたし期待もしていた。
そんな父とは、部活を辞めてからのこの半年間まともに口を聞いていない。
そんな不純な動機で選んだ写真部だけど、何だかんだ毎日活動していて朝練まであることは、入部してから知った。
「塩谷さん。写真は私たちの作品だから、丁寧に扱ってね」
スピード命!と言わんばかりの手捌きでアルバムに写真を差し込んでいた私に、ニコニコと釘を刺したのは写真部部長の北折先輩だった。
腰まであるまっすぐなストレートヘアに、真っ黒な瞳。
美しさと、奥ゆかしさを兼ね備えた、才色兼備な女性とはこの人のことを言うんだろう。
私は、す、すみません…と返事をすると、今度は写真に指紋をつけないようにそっとアルバムに差し込んでいった。
それはそれはゆっくりとしたスピードに
「…いや、加減」
背後で西くんにそうツッコミを入れられたのが聞こえたけれど、「ホームルームまでに終わればいいんでしょ」と言ってそのままのスピードで作業を続けた。
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途中から作業がペースダウンしたものの、何とかホームルームが始まる5分前に教室に入ることができた。
「楓おはよーっ」
私を見つけるなりすぐに駆け寄ってきたのは、矢藤 実里。さっぱりショートヘアがトレードマーク。
中学からの親友で、同じ水泳で切磋琢磨してきた仲間でもある。
「楓…アンタは今日も西くんと登校ですか?」
私の真後ろに立っていた西くんを見て、矢藤がわざとらしく口元に手を当てながら言った。
「ちが…」
慌てて訂正しようとする私の横を、聞こえているのか聞こえていないのか無言で通り過ぎた西くんは、自分の席に座るとそのまま机に突っ伏した。
彼はどうやら朝が苦手らしい。
「部活一緒なんだからしょうがないでしょ、もう!変なこと言わないでよ」
私は言いながら教室の1番後ろの自分の席に座った。
「ジョークじゃん、ジョーク!怒んないでよ楓」
両手を顔の前でパチンと合わせてウインクをした矢藤に、私は呆れたようにため息をついた。
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「それにしてもさ、楓が写真部って」
お昼休みは、中庭のベンチで矢藤とお弁当を食べるのが常。
今でも水泳部で朝と夕方がっつり練習している矢藤のお弁当は男子並みにボリューミー。
「なに?私だってそういう芸術に興味があるの」
うそ。
本当はこれっぽっちも無い。
「ほんとー?どうせ適当な理由で選んだんでしょ」
「…そんなことないよ」
私の虚勢も、矢藤にはきっとお見通しなんだろうな。
水泳を辞めた理由も、それが原因で親と上手く話せていないことも、全部知っている。
彼女は否定したりしないし、いつも私の選択を応援してくれる。
「まっ、楓が楽しいなら何でもいいけどー」
とっくに食べ終わっていた自分のお弁当箱をしまい、ベンチに背中を預けて空を見上げた。
矢藤は隣で食後のデザート…ではなく、食後のプロテインバーを食べている。
楽しい、か。
ずっと水泳しかやってこなかったのに
もう泳ぐことも、水に触れることも無い。
これから先。
私は、水泳以外のことに夢中になれるのかな。
本当にそんな日が、来るのかな。
そんな漠然とした喪失感と不安が、頭の隅にずっとある。
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「写真展に応募する作品を募集します」
北折先輩から、部員に向けてそんな案内があったのはそれから1週間後のことだった。
写真展?高校生が?
私の心の声が届いたのか、北折先輩は詳しく写真展について説明してくれた。
「えー、今回応募する写真展は“アオハルフォトコンテスト”といって、応募資格は現役高校生であること。それだけです。初めて開催されるコンテストなんだけど、賞に選ばれると東京で受賞者の写真展が開催されるのでそこに写真が並びます。我が写真部からは3作品をエントリーしたいと顧問の棚橋先生には了承済みです」
応募資格が高校生であることって、一体全国にどれだけの高校生がいると思ってるんだ。
「どんなルールや、決まりにも囚われずに、自由に皆んなの目に映るアオハルを、提出してください!以上です」
北折先輩は言い終わると、長い髪をかき上げてカメラ片手に部室を出て行った。
他の部員も、自前のカメラやスマホ片手に写真を撮りに部室を後にする。
そんな中、西くんはいつものように奥の部屋に入っていく。
「西くんは撮りに行かないの?」
部屋の入り口付近から、そう声を掛けてみた。
「コンテストとか興味ないんで」
そう言った西くんの背中は、何だか少しさみしそう。
いつだっけ。
まだ私が水泳部だったとき。
西くんが写真を撮っているのを見かけたことがあった。
何を撮っていたのかは分からないけれど、…西くんがあまりにも真剣な表情でレンズを覗いてたから記憶に残っている。
もう写真、撮らないのかな。
「じゃあ、私にカメラ貸してくれない?」
「は?」
「西くんが撮らないなら、私が撮る」
「勝手に撮れば?」
「カメラ貸して」
「なんで?スマホで良くないですか」
「やだよ。せっかく写真部入ったし、カメラで撮りたい」
食い下がる私に、西くんは面倒くさそうに引き出しから取り出した手のひらサイズのカメラを私に向かってポイっと投げた。
「わっ……ありがと、って、なにこれ!」
飛んできたのは使い捨てのフィルムカメラだった。
しかも残り枚数が5枚しかない。
「使い捨てカメラ」
「いや、それは分かるよ!
私、そっちの高級そうなカッコいいカメラが良いんだけど」
私は西くんの背後に並ぶ一眼レフカメラを指差した。
「無理です。ド素人にはそれで十分」
キッパリ言い切った西くんは、また背中を向けて椅子に座ってしまった。
私はそんな西くんの腕を引っ張って椅子から引きずり下ろすように立たせた。
「いって…何なんだよアンタ」
こんなところで負けず嫌いが顔を出すのも、元水泳部の性なのか。
「コンテスト出ないなら、私を手伝って!」
「はぁ?何を?」
「写真撮るの。私に教えてほしい」
彼の両腕をしっかりホールドして、私より少しだけ背の高い西くんを見上げる。
少女漫画なら、上目遣いの女子にドキドキしちゃった男子が観念する展開なんだろうけど。
私たちの場合は、全然ちがう。
なんてったって、西くんの瞳は何の色もなく私を見てるし、眉間にすごいシワが寄っている。
“面倒くさいこと言う元水泳部の人”とか思われてるに違いない。
「なんで俺が?」
真っ当な質問に一瞬怯んだものの、引き下がらない。
「写真部で唯一の同級生だから」
「どんな理由だよ」
「それに、コンテスト興味ないなら西くん暇じゃん」
「は?」
「いや!違う違う、間違えた!西くん写真上手そうだし…」
「別に上手くないです」
「とにかく、私もコンテストに出たいの」
「だから、なんで?」
「えっと、
……東京に行きたいから!!!」
最後に私が半ばやけくそにそう叫ぶと、キョトンとしたあと、ブッと吹き出した西くん。
写真部に入ってから、彼の笑った顔をちゃんと見たのは初めてだ。
パシャ
気付いたらカメラのシャッターを押していた私。
「は?」
「え…あっ!ごめん!貴重な1枚使っちゃった」
消せないのかな、と言いながらカメラを360度回転させて削除ボタンを探したけれど、そんな物はあるはずもなく。
そして私の手からヒョイと取り上げられたカメラ。
「盗撮か」
そう言って、またいつもの無表情になった西くんに睨まれて私は視線を泳がせた。
パシャ
今度は西くんが、そんな私の間抜け面にシャッターを切った。
「ちょ…」
私が西くんからカメラを奪うと、フィルムの残り枚数はもうあと3枚になっている。
「えー!減ってる」
肩を落とす私の横を通り過ぎ、いつの間にか西くんは部屋を出ようとしていて、私にいつものトーンで言った。
「その3枚分だけなら教えても良いですよ。写真のコツ」
「えっ本当に」
「そのかわり、何の写真を撮るかは自分で決めてください」
「うん!わかったわかった」
かくして、コンテストに応募するべく、私は半ば強引に西くんとアオハル探しをすることになった。



