エンドロールから、プロローグへ続く、無限ループ。 

重たい気持ちは置いておいて、
手を繋いで、一緒にいよう。
君の優しさを、ソーダ水の中に沈めて、
水色に着色して、
貴方と一緒に保存したいくらい好きだよ。
今の気持ちを永遠に保存できるように、
永久機関を作って、
その弱くて、一生動く磁力を胸で感じて、
磁力から変化した電流で、
心臓が弱ったら、それで補助しよう。
そしたら、永遠は簡単に達成できるし、
愛なんて簡単に継続できると思うよ。
だからね、
ずっと離さないって、誓って。



澄1

「ずっと離したくない」
「そんなわけないでしょ」と私が聖(ひじり)くんに返すと、聖は苦笑いした。白いパラソルの下で、私たちはレモンソーダを飲んでいた。カフェのテラス席からは、ビル街を歩く人たちが見えていた。夏が始まったばかりの中で、聖くんと、廃部寸前の放送部の行方を考えていた。
 急に始まった恋の予感は、私の照れですぐに終わりそうな気がした。

「――っていう、ラジオドラマ作る?」と聖くんは笑いながら、そう話を続けた。
「タイトルは?」
「そうだな――。『君はもう、存在しない』とかどう?」
「別れる感じになってるじゃん」
「いいでしょ、別れを匂わせる感じ」と聖くんはそう言ったあと、なぜかため息を吐いた。だから、私はそんな聖くんを見て、本当はドラマ作りなんて聖くんにとっても、どうでもいいのかもしれないとふと思った。

「疲れるだけだよ。今日みたいに残り少ない高校生活を聖くんと、ただ過ごしたいな」
「かもな」
「かもなって何それ」と返すと、聖くんはまた、ゲラゲラと笑った。そして、気持ちよく汗をかいたグラスを手に取り、赤いストローを口づけた。

「――もう、6月なのに、新入部員も入らなかったし、俺たちも辞めちゃえばいいんじゃね?」
「二人だけからね」
「先輩方も卒業したし、何もなくなっちゃったな」
「そうだね。もう、完全燃焼した感じ。先生もいなくなっちゃったし」

 一昨年、去年、つまり、私と聖くんが一年生のときと、二年生のとき、県大会まで進んだ。二年とも、全国大会に行けなかったものの、そこそこいい結果を残していたし、顧問の先生も昔、演劇をやっていたらしくて、演技指導がうまくて、先輩方とラジオドラマや短編映画を作るのが楽しかった。
 だけど、顧問の先生は別の学校に転勤になり、放送部は私と聖くんしか残されなかった。

「なあ、澄(すみ)」
「なに?」
「だから、俺たちも引退しちゃってさ、夏休み入ったら、一緒に水族館のペンギン、見に行こう」
 私は急なデートの約束にドキドキしてしまった。本当に聖くんとの恋が始まるのなら、もし、水族館で告白されたら、それを受けてしまってもいいかもしれないと思った。

「いいよ。空飛ぶペンギンがいるところがいい」
「変なの」
 私のしょうもない返しに、聖くんは爽やかにゲラゲラと笑ってくれた。私はただ、それが嬉しかった。

 

 あの日から、ちょうど3年が経ち、私は20歳になった。結局、聖くんとは友達以上恋人未満のような関係が続いて、卒業し、お互いに別々の大学に入った。
 もし、あのとき、聖くんに思いを伝えていたら、私は今、大学を休学していなかったかもしれない。こんな惨めな状況でも、もしかすると、聖くんは私に優しく支えてくれたかもしれない。
 そんな、もし、ばかりが思い浮かび、そして、消えていく。
 あの日、6月3日は私にとって、忘れられない日になっている。ローテーブルの上に赤いダイアリーを開き、その日、書き記したことをじっと見つめた。

”『君はもう、存在しない』って意味がわからなかった。
 だけど、『ずっと離さない』ってほうがもっと意味がわからなかった。
 もしかして、私のこと好きってことだったのかな。
 両思い?
 もし、付き合ったら告白された日を記念日にしないで、
 6月3日を記念日にしちゃおう。”

 今、読むと痛々しいこの文章は、たしかにあのとき、恋があったことを証明していた。

 酷い失恋の痛みや、こじれた人間関係のつらさ、全てに疲れたような感覚、すべてが嫌になる。
 こんな20歳になるなんて思わなかった。有名になった聖くんはきっと、私のことなんか忘れて、充実した日々を過ごしているはずだ。だから、それを邪魔しちゃいけないと私は思うから、勇気を出して、連絡できなかった。

 だけど、今、どうしても連絡が取りたくなり、iPhoneを手に取り、LINEを開いた。そして、聖くんのアカウントを探したけど見つからなくて、仕方なく、過去のトーク画面を開くと、そのアカウントは『メンバーは存在しません』になっていた。

 その瞬間、3年は人を変えてしまうんだと、ふと思った。 
 最後のトークには『またね』とだけ書いてあった。
 
 きっと、もう、聖くんのなかでは”また”はないのかもしれない。
 もし、あのとき、私から聖くんに思いを伝えていたら、どうなっていたんだろう。
 繋がっていると思っていた相手がもういないという、現実が胸を突き刺してきているような気がする。
 ただでさえ、負ったままの心の傷の深さが増した気がした。

『君はもう、存在しない』という事実は私のなかで変わらないと思っていた。 

 そんな渦中で、私は切符を手に入れた。

 それまで、時の流れは一定だと思っていた。
 だけど、どうやら、そうじゃないみたいだ。



聖1

「そんなわけないでしょ」と3年前の夏、澄(すみ)にそう言われたのを思い出した。レモンソーダを二人で飲んでいるとき、ふいに気持ちが揺れ動き、自分の思いを伝えてしまった。その瞬間、心臓が飛び出しそうなくらい、鼓動が早くなった。
 今だったら、そう返されても仕方ないと思えるくらい、俺は遠回りな表現をしてしまった。
 あのときの俺は単純に澄との関係を簡単に壊したくなかった。


 6月2日。
 今日のライブ配信も無事に終えて、俺は椅子に座りながら、両腕を上げて身体を伸ばした。そのあと、立ち上がり、配信用のライトを消し、机の上にあるスマホスタンドに吊るされているiPhoneを手に取り、充電用のUSBに差し、机の上に置いた。
 そして、再び椅子に座った。
 配信しながら飲んでいた期間限定のレモンソーダを手に取り、ペットボトルのキャップを開け、一口飲むと、炭酸の弱い刺激と甘酸っぱさが虚しく感じた。6月になると、いつも澄のことをなぜか思い出してしまう。

 高校3年生だったあの夏、それなりに情熱を傾けてやってきたこと、放送部が、ほぼ、空中分解みたいな状態になってしまっていたときだったから、自分の居場所を失いたくなかった。というより、澄とのつながりを失いたくなかった。今、思うと、やっぱり澄は俺にとって、自然に心の支えになっていて、俺にとって、澄と過ごした日々は尊かった。

 もし、今も澄が俺の隣にいてくれたら、どうなっていただろう。
 もし、あのとき、告白が成功していたら、澄と楽しい思い出を作ることが出来ていたのかな。
 そんな、もし、ばかりが頭の中でぐるぐると回る。
 20歳になった俺の人生は順調そのものだった。大学に行きながら始めた動画のライブ配信はバズりにバズって、TikTok、YouTubeも絶好調だ。半分、アイドルみたいになった俺は街を歩くだけで、何人にも声をかけられた。
 素顔を出したくなかったから、マスクをつけて外に出ても、だれかしらに声をかけられる。

 そんな有名税に関する悩みをヤフー知恵袋で検索してみても、当たり前だけど、そんな同じような悩みを抱えている人が、知恵袋で質問しているわけがなかった。
 収入はライブチャットの投げ銭や広告収入で、信じられないくらい得ることが出来ている。

 その所為で、友達とはなぜか距離感が出来てしまい、居心地が悪くなってしまった。
 さらに、その場のノリで、連絡を交換したあまり仲がいいわけでもなかった人から、俺を騙そうとするような内容の文章が送られてきたり、攻撃的な文章が送られてくることも増えた。俺の金狙いだったり、妬みだったり、嫉妬だったり、そのほとんどのやり取りが悪意に満ちていることに失望した。
 そんな嘘に満ち溢れた世界が嫌で、俺は恋愛なんかする気にもなれなかった。

 だから俺は、なにも考えずにLINEのアカウントを削除した。

 だけど、それは失敗だった。
 澄との唯一の連絡先を断ってしまったからだ。
 高校生のときの澄はSNSを一切やっていない人種だったから、LINE以外の連絡先を持っていなかった。

 きっと、澄には彼氏がいて、今ごろ、澄は俺のことなんて忘れて、今の新しい恋に集中しているのかもしれない。
 というか、そもそも、俺が両思いだって勘違いしていただけかもしれない。

『残り少ない高校生活を聖くんと、ただ過ごしたいな』
 とあの夏の日に澄がぼそっと言っていたことを思い出した。
 あれは、恋愛感情じゃなければ、一体、どういう意味だったんだろう。
 ただ単に友達として、居心地がいいってだけだったのかな。 

 あの夏に水族館の深い青色の大水槽の前で、好きだって言おうとした。
 だけど、あの日、俺たちの目の前で迷子の子供が泣いていて、辺りに親らしき人がいなかったから、その子をインフォメーションに届けると、告白するチャンスを失ってしまった。いや、実際にはあったけど、脳内シミュレーション通りに行かなかったから、上手く言えなかった。
 そして、別な日、花火を見に行ったときも、花火があがったときに、好きだと言った。だけど、花火の音で俺の情けない声はかき消され、澄には聞こえてなかったらしかった。
 そうして、ウジウジしているうちに、受験が迫り、それどころじゃなくなり、告白するチャンスを完全に失ってしまった。

「電話番号くらい聞いておけばよかったな」
 配信とは真逆のテンションでぼそっと、そんなことを言ってみたけど、部屋に響いたそのセリフはキモいだけだった。
 もしかしたら、両思いじゃなかったかもしれない。
 
 だけど、俺は今の生活に満足していない。
 満たされない気持ちは、悲しみなのか、寂しさなのかわからない。 
 ただ、言えることはお金だけじゃ、気持ちは満たされないということだ。

 そして、俺は心の中でこう唱えた。
 『君はもう、存在しない』

 そんな渦中で、俺は切符を手に入れた。

 それまで、時の流れは映画を作るように一瞬で、カットバックは一定だと思っていた。
 だけど、どうやら、そうじゃないらしい。



澄2
「タイムスリップ?」
「できます」と今、私の目の前に急に現れたピンク色のパンダがそう言ったから、私は冷静に受け入れることにした。突然、私の部屋に現れたこのピンク色のパンダはよくわからないことをいきなり言い始めていてる。

「主役はあなただよ」と甲高く、鼻にかかった高い声でパンダはそう告げた。
「とりあえず、カフェオレ出すね」と伝え、座っていたベッドから立ち上がった。すると、パンダはやったーと無邪気そうな雰囲気で、そう答えた。私はキッチンへ向かい、冷蔵庫から、ペットボトルのカフェオレを取り出した。そして、グラスを2つ取り出し、カフェオレを入れた。2つのグラスを持ち、リビングに向かった。リビングを見ると、ピンク色のパンダはベッドと壁の間にあるローテーブルに対して、正座をしていた。
 グラスをローテーブルに置き、私はもう一度、ベッドに腰掛けた。ダイアリーは恥ずかしいから、パンダの気配が感じたときに咄嗟に閉じた。そして、赤いダイアリーはそのままローテーブルに置いたままだった。

「ありがとう」
「いいえ」と私が言い終わる前にピンク色のパンダはグラスを手に取り、一口飲んだ。左側の窓を見ると、外は雨が降っていて、雨粒が窓を伝っていた。雨粒で滲む世界は街路樹の緑や、灰色の空、濡れたコンクリートの曖昧な色が混じっていた。

「あのー。パンダさん」
「シンイー」
「シンイー?」
「私はシンイー」
「あー、はい」と急な自己紹介についていけず、うまく返事ができなかった。だから、私は嘘をついてみることにした。

「私はメイ・リン」
「澄ちゃんは過去に戻りたいんだよね」
「ごめんなさい」とシンイーに嘘をついたことを謝ったけど、シンイーはそんなこと、気に留めないまま、私が願っていたことを口にした。私はそれが気恥ずかしくなったから、右手でグラスを持ち、カフェオレを一口飲んだ。甘くてほろ苦い匂りを口いっぱいに感じた。

「だからね、私はタイムスリップしてほしいと思ってるんだ」
「へえ。そうなんだ」
 そんな話、急に言われても信じることなんてできない。だから、別に驚きもせず、淡白にそう返した。タンパク質を筋肉に変えるだけのパワーは誰しもが人の代謝として持っているけれど、タイムスリップする力はきっと誰も持ち合わせていない。

「だからね、私が連れて行ってあげる。いつがいい?」
「――聖くんとふたりきりになったときから」
「いいよ」と言って、シンイーは急に立ち上がった。
「あ、待って」と私は慌てて、右手を広げて、前に出した。

「タイムスリップって一回したら、どうなるの?」ととりあえず聞いた。
「どうなるってどういうこと?」とシンイーは丸い顔を傾けた。それにあわせて、ピンク色の両耳がわずかに右側に垂れた。
「種類があるでしょ。ほら、例えば、1日だけ過去に戻ったら、現代にすぐに戻ってくるとか」
「あー、行ったきりになってからだよ」
 わかりやすいようでわかりにくい説明をシンイーはしてくれた。

「つまり、大学受験はもう一度、やり直さなくちゃいけないってこと?」
 去年、ウキウキで始めた一人暮らしの部屋が見納めになるのかもしれないと思った。大学でできた、わずかな友達も、この間、酷い振られかたをした彼や、私に非がないのに、サークル中に私の悪い噂が広がり、仲間たちから咎められたことも。

「ねえ、澄ちゃん」
「なに?」
「悪い過去がすべて帳消しになるなら、悪い話じゃないと思うんだけど、どう思う?」
「悪くないね」
 私は思わず、頬を緩めて、弱く笑うと、シンイーは丸太みたいな太い右手をぐるぐると回し始めた。



聖2
「マジでタイムスリップしてるじゃん」
「いいでしょ。楽しい時間をすごしてね」
 シンイーはそう俺に言い残したかと思うと、もう姿が見えなくなっていた。あのパンダ、マジだったんだと思った。俺は見慣れた公園の通路の真ん中に立っていた。もちろん、サングラスもしてないし、帽子だって、被ってなかった。そして、マスクすらしていなかった。

 服装を見ると、3年前に戻ったような格好をしていた。グレーのサマーニットにネイビーのカーゴパンツ。5部丈のサマーニットの裾が風で揺れた。前にTwitterで私服姿を勝手にさらされて、シルバーのチェーンネックレスがダサすぎると言われて、それに反論する動画を出したら、切り口が悪かったのか、普通に炎上した。それ以来、本来自分が好きだったものを自分で否定して、有り余る金で服装をブランド武装した。

「本当はこんなんでいいんだよ」と俺はポツリと呟いた。念のために辺りを見回したけど、俺の近くを歩いている人はいなかった。シンイーとか言う、ピンクパンダが言っていたことは本当っぽい。俺はジーンズのポケットから、iPhoneを取り出した。俺が一番気に入っていた3世代前のiPhoneだった。画面を表示させると、6月3日、11時11分だった。
 古い機種だと、バカにされそうな気がしたから、インフルエンサーになってからは、毎年、嫌々、新型のiPhoneに切り替えていた。

 そんなことを考えながら、俺は歩き始めた。
 派手な生活は日々、心苦しくなり、気がつくと自分らしさがわからなくなっていた。そんなことより、さっき、ピンクパンダが言ったことが本当なら、もうそろそろ、俺は3年ぶりに再会するはずだ。公園の広場の真ん中にある大きな噴水が道の先に見えていた。噴水は涼しげに水を高く吹き上げ、そして、宙に舞った飛沫はバラバラに水面に戻っていた。
 通路を抜け、広場に着くと、ずっと、見たかった姿が、ベンチに座っていた。

「マジじゃん」
 俺は思わず、低い声でぼそっと呟き、自分がバカみたいに感じた。



澄3
 夏が始まったばかりの公園は、眩しく感じた。昼間だからか、人はまばらだった。気がつくと、噴水が見えるベンチに私は座っていて、隣にはシンイーが居た。シンイーに楽しんでねと言われて、急にドキドキし始めた。高校生のとき、お気に入りだった黄色のロングスカートに黒文字で英字がプリントされた白いTシャツという格好だった。もちろん、今も黄色のロングスカートは現役だったけど、白のプリントTシャツはもう、捨ててしまった。
 
 シンイーが隣から自然にいなくなってから、すぐに私は、黒いハンドポーチからiPhoneを取り出した。
 画面を表示させると、6月3日、11時10分だった。
 20歳になっても現役のままだったiPhoneは今とさほど印象が変わらなかった。LINEを確認すると、トーク一覧の画面の一番上に聖くんの名前があった。

「――聖くんだ」
 私はそんな仕方ない独り言を言ったあと、聖のアイコンをタップした。すると、開校記念日で学校が休みの今日、待ち合わせをすることになっていた。そして、右手の人差し指で今までのトークをたどると、2日に一度は長時間、LINEでメッセージをやり取りしていた。すべてのやり取りを覚えていたわけじゃないけど、印象に残っていた覚えのあるやり取りはいくつかあった。
 
『TikTokerか、ライバーになろっかな』
『無理でしょ なにするん?』
『トークで笑わせる』
 このやり取りはものすごく印象に残っていた。もし、いつか聖くんがテレビに出演して、サプライズで再会したときはこのエピソードを話しそうと思っていた。それで、そのときから、すでに意識してたじゃんって言って、いつも強がっているTikTokでのキャラとギャップをつけたら、面白いかなって思った。だけど、私は知っているよ。聖くんはそんなに強がる性格じゃないってこと。

「おまたせ」と言われて、顔をあげると、そこには聖くんがいた。胸の中から、熱がぐっと込み上げてくる感覚がする。このまま、聖くんのことを抱きしめちゃいたくなったけど、今はまだ友達以上、恋人未満の関係のはずだから、私はぐっとその気持ちを我慢することにした。



聖3
「――聖くん」と澄はiPhoneを見て、下を向いたままだった顔を上げた。そこには、間違いなく、ずっと会いたかった澄がいた。一瞬、抱きしめてしまおうかって思ったけど、元恋人でも何でもない、今はただの友人すぎないのに、そんな大胆なことはできない。というか、いつだって俺は臆病で、勇気を出せない。その性格はインフルエンサーになった今でも一向に治らなかった。俺は昔から臆病なんだ。

「おまたせ」と俺はあたかも、昨日も一昨日も、ずっと会っていたかのように演技をした。自分の動揺を隠すために、冷静さを装うことにした。
「ううん。全然、待ってないよ」
「そう、なら良かった」と言って、俺は澄の右隣に座った。こうして、澄の隣に自然に座ってみたけど、座り始めたら、急に心拍数が上がり始めた。こういうときは絶対に気取ったほうがいいはずだ。だけど、俺の心臓は忙しくなるだけで、次の会話が思いつかなかった。そして、いたずらに時間だけが流れていった。
 風で噴水の飛沫が右側に流されていた。そして、噴水の奥にある木々も同じように枝や葉は右側に流れていた。6月の少しだけ緑が深くなり始めた木々が風で揺れて、影の濃いところと、太陽の白い光が当たっているところがちらついた。

「ねえ」
「なに?」
 不意打ちすぎね。と、ライブ配信しているときみたいな鋭くてあまり優しくない返しをしそうになった、自分が嫌になった。せめて、澄の前だけはそんな自分でありたくないし、優しくありたい。

「過去の後悔って、取り戻せると思う?」
 重くね? とか、言いそうになったけど、それも我慢した。そもそも、澄はこの時期、なにかに悩んでいた記憶なんてなかった。だから、こんなこと、言われると思ってもみなかったし、俺はどう返すのがベストなのか急にわからなくなった。

「――自分の発言は取り戻せない気がする」
「発言?」と聞き返されたから、思わず、俺は右側の澄のほうを見た。澄の表情は真剣そうな表情だった。大きな黒目は吸い込まれそうなくらい、澄んでいるように感じた。それよりも相変わらず色白だなとか、どうでもいいことに思考が奪われる。
「そう、過去を作るのも、今の自分の発言だし、未来を作るのも未来の発言だから」と言い終わると、ふーんと澄は言って、また辺りに静寂が訪れた。そんなに的はずれなこと言っちゃったかなと、そんな反応の薄い澄に俺は不安を感じた。

「てか、相対性理論の前提は重力の影響がない状態だとか、万有引力の発見にはりんごが必要だったとか、そんなのどうでもいいよな」
「意味わからないんだけど。頭いいフリしないでよ」
「いいじゃん。要はそんなこと考えても過去は取り戻せないってことだよ」
 今の自分の状況は過去を取り戻そうとしているはずなのに、真逆なことを言っている自分が、気持ち悪く感じた。

「――そうだね」と澄はそう言って、微笑んでくれたから、俺は少しだけ安心した。



澄4
 久々に会う聖くんの第一印象は『昔と変わらない』だった。というか、高校生だった私と聖くんは変わってなくて当たり前だった。私と聖くんは手を繋ぐこともなく、そして、再会して抱きあうこともせず――。というか、数年ぶりの再会だと思っているのは私だけだから、聖くんにとってはいつもの日常に過ぎない。

「――そうだね」と私は聖くんにそう言って、微笑むと、聖くんの表情も柔らかくなった。聖くんはショートヘアでワックスで束感がついていた。耳元は刈られていて、ツーブロックだった。もちろん、校則違反になるから、黒髪だ。それが3年後には金髪ロングで、パーマがかかっているんだから、人って、3年でこんなに変わってしまうんだなって改めて思った。私は変わる前の聖くんのことが好きだった。だけど、フォロワーが200万人もいるTikTokで観た聖くんのことは好きじゃなかった。

「なあ」
「なに?」
「ありのままでいれるって、幸せなことだよな」
「なにそれ。いきなり幸福論でも語るつもり?」
 別に私はツンデレとか、そういうわけじゃない。いつも、聖くんと話すと、私はツンデレみたいなぶっきらぼうな話し方になぜかなってしまう。聖くんはどちらかと言うと、放送部にいるような雰囲気ではない。だって、見た目があまりにかっこよすぎるし、くっきりした二重や、こぶりな鼻、薄い唇、そして、あまり鍛えていないらしいのに、筋肉質でしっかりとした体つき。すべてがちょうどいい。3年後にインフルエンサーになるのもわかるし、そこから、ネットフリックスの恋愛ドキュメンタリーに出て、話題になったもものすごく、わかる。

「別にそんなつもりはないよ。ただ――」
「ただ?」
「――澄と一緒に居たいなって思った」

 そう言われて、やっぱり両思いだったんじゃんと、嬉しくなった反面、私はこんなに身近にあった恋を簡単に失ってたんだと思うと、何も食べてないのに、口の中に酸っぱさを感じた。
 聖くんの見た目の華に惹かれたわけでもなかった。有名人になれるくらい、聖くんには、華があるのに、元々の気質は、内気で、地味な性格だけど、すごく優しいから、聖くんの高校生活は派手じゃなかった。軽音部に入って、ボーカルでもやれば、モテるのに、その筋肉質な身体を使って、サッカー部にでも入れば、絶対モテるのに、聖くんはスクールカーストの底辺に近い、放送部にわざわざ入り、地味な日々を過ごし、そして、地味に高校を卒業した。

「――そうだね。そんなことより、喉、乾いた」
「オッケー。近くのカフェ行こう」と言って、聖くんは立ち上がり、一人で歩き始めたから、私も立ち上がり、慌てて、聖くんのあとを小走りでついて行った。



聖4
 やっぱり、思いを伝えたのは早すぎたかもしれない。
 頭の中で『そうだね』とさっき、澄に言われた意味を考えてみたけど、ポジティブにもネガティブにも、捉えることができるなって思った。
 てか、どっちだよ。
 やっぱり、友達のままでいたいのか。
 それとも――。

「ねえ」と後ろから声をかけられたから、俺は身体を左後ろの方にひねった。俺の一歩後ろにいる澄は、俺と距離感を保ちながら、歩き続けていた。公園前の通りまでつながる、道幅が大きな園路の両端には緑色の木々が一直線に続いてた。そして、風が吹くたびに、木漏れ日がキラキラとタイルの上で揺れていた。
「なに?」
「歩くの速いんだけど」
「悪い」
 人と一緒に歩くのなんて久しぶりだから、って思わず言いそうになったけど、3年前の俺は少なくとも、ずっと、澄と一緒だったはずだから、そんなこと言っても仕方ないなって思った。俺が歩みを緩めると、澄は俺の左隣に来てくれた。なんだ、隣に来てくれないなって思ったら、俺が悪わるかったのか。

「ちょっと、早すぎて、汗かいてきたんだけど」
「わかったって」と思わず、澄にイラっとしてしまい、返しがぶっきらぼうになってしまった。そもそも、俺だって、精一杯さっき、気持ち伝えたのに、なんだよ。『そうだね』って。『澄と一緒にいたいなって思った』って、いう伝え方がやっぱり悪かったのか。それとも、本当に澄は俺に気がなくて、そういう風な返ししかしないことを決めているとか、そういうやつなのか。女心は面倒だ。
 そもそも、3年前にも『ずっと離したくない』って言ったのに、『そんなわけないでしょ』って澄に返された。

「なあ、澄」
「なに?」
「もしさ、人の心が読める機械があったら、何する?」
「テレパシーじゃなくて、機械使わないと、わからないんだ」
「それはどっちでもいいけど」とどうでもいい話の流れになりそうだったから、前提条件を固めることを諦めた。というか、早く、本題に進みたい。
「そうなんだ。だけど、それってつまらないよね」
 は? なに言ってるんだよって、言い返しそうになったけど、俺はぐっと、その気持ちをこらえた。きっと、ライブ配信でチャットにそう答えてたら、とんでもない量のスパチャもらえるんだろうなって、ちょっとだけ思った。それだけ、俺のキレ芸は世間に求められていた。だけど、今はもう、そんなのどうでもいい。この3年前の世界じゃ、そのアカウントはまだ、この世には存在していないんだから。

「つまらなくないだろ。例えば、恋愛とか、めちゃくちゃ上手くいくじゃん」
「あー、なるほどね。だけど、お互いに人の心がわかるとすれば、好きって言いあわなくなるよね」
 ちょっと、方向性が違う気がする回答な気がした。そもそも、俺は人の心が読めたら、何する? としか聞いていないのに。だけど、そんなくだらない方向にいってしまいそうな話をしているうちに、公園の出口が見えてきた。そして、出口の先に広がる、比較的大きな通りには無数の車が行き交っているのが見えた。
「それは寂しいかもな」
 俺はできるだけ、ぶっきらぼうにならないように心がけたけど、実際に口に出してみると、自分でもかなりぶっきらぼうな、返しになったなと、少しだけ後悔した。

「ねえ」
「なに?」
「――聖くんは、人の心が読めるようになっても、恋人に好きって言える?」
 公園を出て、横断歩道の信号が青になるのを待ちながら、隣にいる澄を見た。澄はまっすぐ前を見たまま、寂しいそうな表情をしていた。その表情が懐かしい忘れかけていた青さを思い出した。そうだ、澄はいつも、透き通った考え方をしていて、それに俺はなぜかわからないけど、惹かれていたんだった。
 俺たちの目の前をトラックが比較的速いスピードで通り過ぎ、澄のショートボブの毛先が乱れた。



澄5
 3年前と同じように、私と聖くんはカフェでレモンソーダを飲んでいた。3年前の6月3日――。というより、今、過ごしているこの瞬間がもう、3年前の今なんだけど、私はなんだかよくわからなくなり、プラスチックカップを手に取り、赤いストローを咥えて、レモンソーダを一口飲んだ。そして、上を見上げると、白いパラソルの木製の骨が等間隔に並んでいて、白いパラソルの底は上からの太陽の光を吸収して、黄色みがかっていた。視線を前に戻すと、向かいに座る聖くんの後ろ側にはビル街が広がっていて、多くの人たちが歩いていた。
 向かいに座る聖くんは3年前と同じように、私と同じ、レモンソーダを飲んでいた。もしかしたら、そろそろ、3年前と同じセリフを言われるかもしれないと思うと、急に鼓動が早くなった。

「なあ、澄」
 ほら来たよ。澄ちゃん、ちゃんと素直になろうね。と私は心の中で唱えた。

「澄?」ともう一度、聖くんに呼ばれた。
「――なに?」
「無視するなよ」
「いや、無視じゃないんだけど」と急に聖くんに決めつけられたから、私は少し、むっとした。
「そんな、ツンツンするなよ」
「――私だって、したくないよ。なんでかわからないけど、聖くんといると、そうなっちゃうの」
 この癖は、大学に行けば治ると思っていた。というか、実際に治ってた。19歳になり、好きな人ができて、付き合ったときは普通に過ごすことができた。だけど、そのぶん、本当に普通だったのか、別れた彼から『普通すぎてつまらない』と言われた。その意味を、彼と別れてからしばらく考えたけど、何が彼をつまらなくさせていたのか、全くわからなかった。せめて、別れるときに、なにかヒントや、正解をくれたら、こんなに悩まなかったのかもしれない。
 聖くんはしばらく、黙ったまま、私をじっと見つめてきた。

「なあ、澄」
「なに?」
「俺らってさ、もっと素直になってたら、後悔することなんてなかったと思うんだ」
「なにそれ。まるで後悔を知ってるみたいじゃん」
「俺だって、後悔してるよ。すごくね」
「へぇ」
 まるで、私の心情を読み取っているようなそんな聖くんの言い方が引っかかる。

「じゃあさ、もし、私たちが今、本当に素直になったら、楽しいことになると思う?」
 今、思ったことを口に出したあと、私は少しだけ後悔した。なんで聖くんから言わせようとしてるんだろう。
 
 なんだか、弄んでいるみたいじゃん。
 これじゃあ――。




☆☆☆前半部分はここまでです☆☆☆

ここまで読んでいただきありがとうございました。

続きは『ノベマ!』で読めます。

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