今会いに来ました。 カフェラテプリン道中記

 青森へ行った頃は母さんが再婚したおじさんの家に住んでました。 「再婚したいって言ってるんだけどどうする?」
その人はいきなり訪ねてきました。 正直、(面倒なやつだな。)って思いましたよ。
聞いた話では生保を受けているらしい。 そこへぼくが入れば必ずトラブルを起こす。
再婚は認めたけれどその後でぼくは籍を抜きました。 母さんには驚かれましたけど。
それで同居したわけですが、思った通りにトラブルが起きました。 通帳を見ていた祖母がいきなり激怒したんです。
 「あんた、年金を全部使われてるじゃない。 空っぽよ。」 その言葉にぼくは(やっぱりか。)と思いましたね。
そこでおじさんの家に乗り込んだ祖母はおじさんを攻めに攻めてぼくを連れ帰りました。 半年くらい一緒に居たから50万近く吸い取られていたわけですよ。
 毎晩親戚を集めてご馳走を出しまくっていたので不思議だなとは思ってました。 生保でそこまで出来るわけが無い。
おまけに車も持っているし時には仕事にも行っていた。 そのくせ家は年1万で借りていた。
そんなおじさんだからどうも一緒には暮らせないなって思ってたんですよ。 やっぱりだった。
 そのおじさんの知り合いにはごとしをやってるおじさんが居ましたね。 こいつがまた常識の無さそうなやつで、、、。
そのような連中から離れられてスッキリしましたよ。 平和が戻ってきたって感じ。
と思ったら違った。 今度は祖母が「私に通帳を寄越せ!」って迫ってきた。
この人はぼくらの名義を使って何千万も溜めていた人だから渡していたらどうなっていたか分からない。 そうやって渡さないでいると今度は、、、。
「あいつは飯代すら私に払わない。」って近所中に言い触らして回りました。 迷惑迷惑なばあちゃんだったわけ。
騒ぎに騒いで何をしたかったんだろう? 今でも不思議に思う。

 その自称 ごとしのおじさんにはフィリピン人の嫁さんが居ました。 でもなんか変な感じ。
ぼくが古い歯ブラシで歯を磨いていると、、、「あんた、金持ってないの? 買ってあげようか?」って言い寄ってきました。 金を見せびらかす女だった。
フィリピンのお母さんに言わせると「あの男が娘を卑しい女に変えてしまった‼」とのこと。 そうだろうなあ。
何百万もの現金を持ち歩きごとしを平然と喋りまくる危険な男だったから。
 そんなやつらとお近付きにならなくて良かったわ。 危なかった。
 さあさあ老健のほうはさらに忙しくなりますよ。 忙しくて体を壊したから事務長が後輩を雇ってくれました。
原島雅代ちゃん。 小学生の頃から知っている後輩です。
 面接に来た日、そのお母さんと久しぶりに会いました。 「あなたが居るんなら安心して勤務させられるわ。 よろしくね。」
そう言ってくれたことを今でも覚えてます。 嬉しかったなあ。

 そんな1997年、大事件が起きます。 母さんが交通事故に遭ったんです。
義父と深夜のドライブをしていた時のこと。 交差点で爆走していた4トン車に弾き飛ばされたんですよ。
義父の車は普通車だから勝てっこ無く3回転したんだそうで、、、。 義父はろっ骨を折ったくらいで済みましたが、母さんは大変でした。
 9月三日、午前4時半ごろ、 ぼくは妙な胸騒ぎを覚えて目を覚ましました。
一階に下りていくと電話が、、、。 出る前に切れたのですが、(もう一度掛かってくる。)という確信は有りました。
 出てみると妹が泣いています。 「母さんが、母さんが、、、。」
様子がおかしいので寝ていた祖父母を叩き起こしました。 よくよく聞いてみると母さんがICUに搬送されたというのです。
 そこで叔母を呼び付けまして搬送先の病院へ向かいました。 もう義父の親戚が集まって何やら緊迫した様子。
医師の話を総合すると、、、。 「ケガは肋骨12本と前歯5本が折れてる程度ですが脳が踏み潰されたようにグチャグチャニなってます。 半日保ってくれたらいいほうかと、、、。」
 つまりは脳挫滅で意識不明の重体ということです。
よくニュースで聞いている「意識不明の重体」という言葉が浮かんできました。

 病院から帰ってぼくは仕事に出掛けましたがそれどころではありません。 慰安旅行の話も受けましたがそんな気になれずに断ったくらい。
そこから本気の真剣勝負が始まるんですね。 何かって?
それは宿命転換の戦いです。 このまま何もせずに母を見殺しにするわけにはいきませんから。
 そこでまず婦人部の人たちに命懸けの唱題をお願いしました。 「分かった。 任せときなさい。」
そう言われてホッとしました。 それから池田名誉会長に手紙を書いたんです。
必ず勝ってみせるとね。
 祖母はというと、これまた情けないことに叔母と一緒になって葬式の話を真剣にしていまして、腹立つやら情けないやら、、、。
 「今まで贅沢ばかりしてきたんだ。 死んだほうがいいよ。」 「あんなのは居てほしくないからね。」
自分が腹を痛めて産んだ娘に対し、自分の姉に対してよくもまあそんなことをぬけぬけと言えるもんだわ。 ぼくは決意しました。
(この事故くらいで死なせはしない。)と。

 そう、腹を決めて自分の部屋に戻り題目を唱えていた時、不思議な体験をしました。
誰も居ない部屋なのに暖かい空気が満ちてきます。 その空気は次第にぼくを包み込むように集まってきました。 そして、、、。

 [君よ立て 使命の天地で 君よ勝て‼
断じて負けるな 負けるな断じて。]
という和かが命の底から湧き上がってきたんです。 とても不思議だった。
 題目を唱えているうちにその謎が解けました。 名誉会長の渾身の激励だと。
翌日、母さんを見舞った祖母は不思議なことを言いました。
「昨日は顔色も真っ蒼だったのに今日見てみたら血の気が戻ってて赤くなってた。」
(勝ったな。) そう思いました。 でもここからが油断できない戦いの始まり。
 ぼくにだって苦難は降り注いできました。 一週間後のことです。
 毎朝、バスで通っていたぼくはバスターミナルで乗り換えます。 そのバスを待っていた時のこと。
 「お前さあ、いっつも同じ場所で降りて同じ場所を歩いて同じ椅子に座ってるやろう? ほんとは見えるんじゃねえのか?」 一人の男が食い付いてきました。
(こいつ、やばい男だな。) 直感したぼくは身構えました。 男は何度も聞いてきます。
なんとかそれを交わしながらバスを待っています。 15分ほど粘った男はついに苛立って立ち上がりました。
「いい加減にしろよ! この野郎!」 そう怒鳴りつけて何処かへ行ってしまいました。
 夕方のニュースではその直後に小学生か誰かをナイフで切りつけたことが報道されていました。 時間と場所と男性だということから同一人物ではないかと思っています。
 この日も祖母は変な話をしてくれました。 「意識は無いはずなのに笑ったんだよ。」
おそらく母さんはぼくの姿をずっと追い掛けていたんでしょうね。
 その日の帰り道、バスを降りたぼくはパン屋さんに向かっていました。 すると前からおっさんのすげえ声が聞こえてきます。
(危ないな。) 直感したぼくは隅っこに避けますと、殴り合いのけんかをしているおっさんたちが転がるように通り過ぎていきました。
 そのおじさんたちを避けて目的のパン屋さんへ、、、。 ここには一人の女子高生が働いていました。
桑野文江ちゃん。 うーん、垢抜けた感じの爽やかな子でした。
彼女に初めて会ったのは母さんが事故に遭ったあの日のこと。 以来、ぼくの胸の中に灯りをともしてくれていた人でした。
どっか母さんにそっくりで。