日顕騒動はまだまだ続いています。 宗門は学会に対して「新入信者に対して御本尊を下げ渡さない。」と通告してきました。
これはまた一大事です。 御本尊が無ければ信心するにも、、、。
それでしばらくは入会しても御本尊は無いって時が有りました。 そこへ、、、。
「この御本尊をお使いください。」と日寛聖人お認めの御本尊を提供してくれた僧侶が居りました。 日寛聖人と言えば日蓮正宗を形作られた方です。
それでその御本尊を使って新入会員に御本尊授与を始めることが出来ました。 同時に日顕書写の御本尊から日寛聖人書写の御本尊への取り換えも始まりました。
ところがね、世間では「コピー本尊だ。」とか「偽物本尊だ。」とかいろいろと言われるようになるんです。 耐えるしかなかった。
おまけに「脇に書く物が有るんだ。 それが無いのは胡散臭いぞ。」なんていちゃもんを付けてくる人たちまで居まして、、、。
脇書きというのは「この人に与えます。」という証文なんです。 だから無くても大丈夫。
確かに御本尊を書写できるのは法主の専権事項です。 それ以外の僧侶にその権利は有りません。
昔、ご本尊を自分で書いて折伏した人に渡していた人が居ましたが、臨終のときに厳罰を受けています。 それだけ御本尊に手を掛けることは許されないわけです。
今回の日寛本尊はどうなんでしょうね? 疑うことは謗法なのでしませんが、、、。
その日寛聖人の御本尊が我が家にやってきたのは1997年でした。 入信7年目の年です。
この頃、老健では仕事も最盛期を迎えていました。 昼休みはほんの5分くらいで食事を済ませるとささっとベッドに戻って昼からの仕事に備えます。
他の職員が昼休み休憩中ですが、ぼくは一人で動いてました。 そうしないと捌けないんですよ。
3時を過ぎればデーサービスの人たちは帰りの車に乗り始めますから。
この頃の主任さんは渡辺文子さん。 看護師だった人です。
「最初はさあ、何をやっていいのか分からなくて泣きたかったよ。」 そんな話も聞かせてくれました。
そんな渡辺さんも母さんとは気が合って会うたびにお喋りに夢中になってましたねえ。 今でも思い出します。
あの頃が一番楽しかったなあ。
仕事が終わりに近付いてきた頃、一人の職員が走ってきました。 「頼んでなかったって言ってるおばあちゃんたちが居るんだけどやれるかな?」
それを聞いたぼくは予定を確認します。 「立川さんってナイトも利用してたよね?」
「そうだね。」 「じゃあ、その人を後にずらして入れようか。」
「ほんと? 助かるわ。」 「その代わりに帰りの出発を待たせてね。」
「分かった。 ありがとう。」 こんな感じで仕事を追加していくわけです。
汗だくになって働いてやっと帰れる。 家に帰ると食事をしてcdを聞きながら居眠り、、、。
まだまだ20代でした あの頃。 そして男子部では、、、。
拠点になっている個人会館に金曜日に集まりまして勤行やら打ち合わせやら、、、。 この頃になるとさすがに「大阪へ戻ってこい!」は無くなりました。
言っていた本人も岩手県に帰ったみたいなのでね。 ある意味でホッとしましたよ。
さてさて趣味のほうはどんどん深まっていきます。 93年3月に知り合った名曲堂の店長さんとも時折飲み会をやるようになりました。
ギターだって何本買ったんでしょう? いろんな音楽にのめり込んできました。
中でも気に入ったのはスティービーレイボーンモデルのエレキギターでしょう。 何とも言えないあの音色、、、。
そこにワウペダルとアームを組み合わせればレイボーンの出来上がり。 真似したもんです よく。
本当ならイングウェイモデルも欲しかったなあ。 あのギターは特徴的なんですよ。
それは何か? フレットとフレットの間が深く彫り込まれていること。
これによって何が出来るんでしょう? 同音でチョーキングをやれるんです。
ふつうの人たちはチョーキングすると音が上がります。 でもイングウェイのチョーキングは音が変わらないんですよ。
実物を見てその謎が解けました。 あれはすごいなと思ったなあ。
イングウェイといえばロックとクラシックを完全融合させた人です。 今ではいろんな人たちがやってますけど。
最初は冗談だと思われていました。 楽譜を見せられた識者も鼻で笑っていました。
でも実際に演奏してみると恥ずかしくない曲になっていた。 重厚でまとまりが有ってセンセーショナルで、、、。
音楽界の度肝を抜きましたね。 今でもそのライブを聞きます。
n響とやったライブです。 前はcdで聞いてました。
福岡を出た時にほとんどのcdは置いていったんですよ。 残念だった。
それをねYouTubeで拾ったんでよく聞いてます。 懐かしい。
楽器屋さんではウィンドシンセも買いました。 リコーダーの化け物みたいなやつ。
そしてそうそう、ギターシンセも買いましたっけ。 ギターなのにパンフルートとかトロンボーンとかいろんな音を出せるやつですね。
作曲だってやりましたよ。 マルチトラックレコーダーを買ったから。
mtrと言えばレコーディングスタジオではお馴染みの機会ですね。 ぼくは4チャンネルのやつを買いました。
これでもまあ何とかレコーディング遊びは出来ました。 あの頃はカセットテープでモノクロでしたねえ。
スタジオではデジタルなんでしょうけど、、、。
そのほか、12弦のギターを弾いていた時期も有ります。 盲学校最後の文化祭でライブをやった時もそうでした。
オリジナルも何曲かやりましたねえ。 友達に詩を書いてもらった物も有りましたから。
楽器屋さんに通っているうちに仲良くなったお客さんも居ます。 連れ立って飲みにも行きました。
店員さんとも仲良くなってね、よく飲んだもんです。 店長の菅原さんは拒まなかった。
お客さんもギターが好きな人だったなあ。 菅原四親会なんて言ってたくらいだから。
7時過ぎから飲みに行くんです。 あの頃は焼酎のお湯割りをよく飲んでました。
今では日本酒なのにねえ。 若かったんだなあ。
んでもって時々は右も左も分からないくらいに酔っ払います。 「よくそれで家まで帰れたな。」って言われましたけど。
それでも笑えない笑い話が有ります。 酔っ払って帰った時のこと。
バスを降りてタクシーの運転手に拾ってもらったんだとばかり思っていたんですが、実は違ってました。
菅原さんに5年ほど経ってから真実を聞きました。 それでびっくり。
「実はね、お前を拾ってもらったのは警察なんだ。」 その告白に背筋が寒くなりました。
「バスに乗る前、タクシー会社に電話したんだ。 そしたらさあ「時間がはっきりしないんでは待つことは無理です。」って言われたんだ。 それでどうしようかって悩んで交番に行った。」
そこで、たまたま誰も居なかったから電話した。 そしたら「分かりましたよ。 現地の警察署に話してください。 拾うように伝えておきますから。」って言われたらしい。
菅原さんは話しながら最後に念を押した。 「警察だって言うとびっくりすると思うからタクシーだって言ってくださいね。」
頼まれた警察官は言われたとおりにやってくれたわけね。 ありがとう。
その日も目が覚めたら布団の中に寝ていたから無事に帰れたことは分かったんだ。 でも警察に拾われてたなんて、、、。
そうじゃなくても酔っ払っていろいろやらかしたなあ。 ブツブツ言ってるおっさんをノックアウトしたりトイレの中で座ったまま寝てたり。
20代の頃は今よりも動き回ってたんだよね。 かなり動かなくなったんだなあ。
初めて青森と岩手に飛んで行ったのもこの頃だしね。 義兄が一緒に付いてきたんだ。
あれは95年だったかな。 弘前空港まで飛んで青森駅から特急 はつかりに乗ったんだ。
八戸で一晩過ごして翌日には盛岡へ行ったんだよね。 その夜はカクテルバーにも行ったんだっけ。
上から下までカクテルを飲んで翌日は潰れてた。 その状態で花巻から関空経由で帰ったんだ。
いやいや、よくやるわ。
これはまた一大事です。 御本尊が無ければ信心するにも、、、。
それでしばらくは入会しても御本尊は無いって時が有りました。 そこへ、、、。
「この御本尊をお使いください。」と日寛聖人お認めの御本尊を提供してくれた僧侶が居りました。 日寛聖人と言えば日蓮正宗を形作られた方です。
それでその御本尊を使って新入会員に御本尊授与を始めることが出来ました。 同時に日顕書写の御本尊から日寛聖人書写の御本尊への取り換えも始まりました。
ところがね、世間では「コピー本尊だ。」とか「偽物本尊だ。」とかいろいろと言われるようになるんです。 耐えるしかなかった。
おまけに「脇に書く物が有るんだ。 それが無いのは胡散臭いぞ。」なんていちゃもんを付けてくる人たちまで居まして、、、。
脇書きというのは「この人に与えます。」という証文なんです。 だから無くても大丈夫。
確かに御本尊を書写できるのは法主の専権事項です。 それ以外の僧侶にその権利は有りません。
昔、ご本尊を自分で書いて折伏した人に渡していた人が居ましたが、臨終のときに厳罰を受けています。 それだけ御本尊に手を掛けることは許されないわけです。
今回の日寛本尊はどうなんでしょうね? 疑うことは謗法なのでしませんが、、、。
その日寛聖人の御本尊が我が家にやってきたのは1997年でした。 入信7年目の年です。
この頃、老健では仕事も最盛期を迎えていました。 昼休みはほんの5分くらいで食事を済ませるとささっとベッドに戻って昼からの仕事に備えます。
他の職員が昼休み休憩中ですが、ぼくは一人で動いてました。 そうしないと捌けないんですよ。
3時を過ぎればデーサービスの人たちは帰りの車に乗り始めますから。
この頃の主任さんは渡辺文子さん。 看護師だった人です。
「最初はさあ、何をやっていいのか分からなくて泣きたかったよ。」 そんな話も聞かせてくれました。
そんな渡辺さんも母さんとは気が合って会うたびにお喋りに夢中になってましたねえ。 今でも思い出します。
あの頃が一番楽しかったなあ。
仕事が終わりに近付いてきた頃、一人の職員が走ってきました。 「頼んでなかったって言ってるおばあちゃんたちが居るんだけどやれるかな?」
それを聞いたぼくは予定を確認します。 「立川さんってナイトも利用してたよね?」
「そうだね。」 「じゃあ、その人を後にずらして入れようか。」
「ほんと? 助かるわ。」 「その代わりに帰りの出発を待たせてね。」
「分かった。 ありがとう。」 こんな感じで仕事を追加していくわけです。
汗だくになって働いてやっと帰れる。 家に帰ると食事をしてcdを聞きながら居眠り、、、。
まだまだ20代でした あの頃。 そして男子部では、、、。
拠点になっている個人会館に金曜日に集まりまして勤行やら打ち合わせやら、、、。 この頃になるとさすがに「大阪へ戻ってこい!」は無くなりました。
言っていた本人も岩手県に帰ったみたいなのでね。 ある意味でホッとしましたよ。
さてさて趣味のほうはどんどん深まっていきます。 93年3月に知り合った名曲堂の店長さんとも時折飲み会をやるようになりました。
ギターだって何本買ったんでしょう? いろんな音楽にのめり込んできました。
中でも気に入ったのはスティービーレイボーンモデルのエレキギターでしょう。 何とも言えないあの音色、、、。
そこにワウペダルとアームを組み合わせればレイボーンの出来上がり。 真似したもんです よく。
本当ならイングウェイモデルも欲しかったなあ。 あのギターは特徴的なんですよ。
それは何か? フレットとフレットの間が深く彫り込まれていること。
これによって何が出来るんでしょう? 同音でチョーキングをやれるんです。
ふつうの人たちはチョーキングすると音が上がります。 でもイングウェイのチョーキングは音が変わらないんですよ。
実物を見てその謎が解けました。 あれはすごいなと思ったなあ。
イングウェイといえばロックとクラシックを完全融合させた人です。 今ではいろんな人たちがやってますけど。
最初は冗談だと思われていました。 楽譜を見せられた識者も鼻で笑っていました。
でも実際に演奏してみると恥ずかしくない曲になっていた。 重厚でまとまりが有ってセンセーショナルで、、、。
音楽界の度肝を抜きましたね。 今でもそのライブを聞きます。
n響とやったライブです。 前はcdで聞いてました。
福岡を出た時にほとんどのcdは置いていったんですよ。 残念だった。
それをねYouTubeで拾ったんでよく聞いてます。 懐かしい。
楽器屋さんではウィンドシンセも買いました。 リコーダーの化け物みたいなやつ。
そしてそうそう、ギターシンセも買いましたっけ。 ギターなのにパンフルートとかトロンボーンとかいろんな音を出せるやつですね。
作曲だってやりましたよ。 マルチトラックレコーダーを買ったから。
mtrと言えばレコーディングスタジオではお馴染みの機会ですね。 ぼくは4チャンネルのやつを買いました。
これでもまあ何とかレコーディング遊びは出来ました。 あの頃はカセットテープでモノクロでしたねえ。
スタジオではデジタルなんでしょうけど、、、。
そのほか、12弦のギターを弾いていた時期も有ります。 盲学校最後の文化祭でライブをやった時もそうでした。
オリジナルも何曲かやりましたねえ。 友達に詩を書いてもらった物も有りましたから。
楽器屋さんに通っているうちに仲良くなったお客さんも居ます。 連れ立って飲みにも行きました。
店員さんとも仲良くなってね、よく飲んだもんです。 店長の菅原さんは拒まなかった。
お客さんもギターが好きな人だったなあ。 菅原四親会なんて言ってたくらいだから。
7時過ぎから飲みに行くんです。 あの頃は焼酎のお湯割りをよく飲んでました。
今では日本酒なのにねえ。 若かったんだなあ。
んでもって時々は右も左も分からないくらいに酔っ払います。 「よくそれで家まで帰れたな。」って言われましたけど。
それでも笑えない笑い話が有ります。 酔っ払って帰った時のこと。
バスを降りてタクシーの運転手に拾ってもらったんだとばかり思っていたんですが、実は違ってました。
菅原さんに5年ほど経ってから真実を聞きました。 それでびっくり。
「実はね、お前を拾ってもらったのは警察なんだ。」 その告白に背筋が寒くなりました。
「バスに乗る前、タクシー会社に電話したんだ。 そしたらさあ「時間がはっきりしないんでは待つことは無理です。」って言われたんだ。 それでどうしようかって悩んで交番に行った。」
そこで、たまたま誰も居なかったから電話した。 そしたら「分かりましたよ。 現地の警察署に話してください。 拾うように伝えておきますから。」って言われたらしい。
菅原さんは話しながら最後に念を押した。 「警察だって言うとびっくりすると思うからタクシーだって言ってくださいね。」
頼まれた警察官は言われたとおりにやってくれたわけね。 ありがとう。
その日も目が覚めたら布団の中に寝ていたから無事に帰れたことは分かったんだ。 でも警察に拾われてたなんて、、、。
そうじゃなくても酔っ払っていろいろやらかしたなあ。 ブツブツ言ってるおっさんをノックアウトしたりトイレの中で座ったまま寝てたり。
20代の頃は今よりも動き回ってたんだよね。 かなり動かなくなったんだなあ。
初めて青森と岩手に飛んで行ったのもこの頃だしね。 義兄が一緒に付いてきたんだ。
あれは95年だったかな。 弘前空港まで飛んで青森駅から特急 はつかりに乗ったんだ。
八戸で一晩過ごして翌日には盛岡へ行ったんだよね。 その夜はカクテルバーにも行ったんだっけ。
上から下までカクテルを飲んで翌日は潰れてた。 その状態で花巻から関空経由で帰ったんだ。
いやいや、よくやるわ。


