居室の押し入れに御本尊をご安置申し上げてから三日、ぼくは何気に経本を開いた。 不意に勤行をしようと思ったんですわ。
ところが教えてもらったことは無いわけだから大変。 点字を辿りながらの勤行で朝だけで2時間も掛かってしまった。
それでも自分からやり始めたんですよ。 横沢君はまだまだ夢の中。
何とか勤行を終わった時には7時を過ぎてまして、、、。 何時からやってんの?
そう、実は5時に飛び起きてそれからやってたんですよ。 うーーーん、真面目なのかなあ?
そしてさらに学会に入ってから初めて座談会に参加しました。 近所のおじさんの家でした。
「今後、大変な戦いが始まります。 そのためにも頑張ります。」 こう挨拶したんですよね。
その【大変な戦い】とは日顕闘争でした。 もちろん、この頃はそのことを知りません。
後で聞いた話ではこの頃から俄かに不気味な騒動が起きていたそうで、、、。
何でも池田名誉会長のスピーチを切り取って日蓮正宗が難癖を付けていたんだとか、、、。 余計なことを言わなければいいのに、、、。
それが次第に池田切りに傾いていくんです。 そして、、、。
12月27日、正宗側はついに池田名誉会長の追放に動きました。 びっくりしましたねえ。
でもさ、ぼくはまだまだ学会に入ったばかり。 信心も始めたばかりで何が何だかさっぱり分からない。
それよりも何よりも横沢から聞いたアパート暮らしの話を本気にして寄宿舎を出ることを決意していたのでした。
ところがね、2025年の今とは違って社会のことを何も知らず出来ることが何も無いぼくです。
職員の中には必死に思いとどまらせようとする人が居ました。 その人を振り切ってまでアパートに引っ越したんです。
今から思えば(何も知らないから無謀な冒険が出来たんだな。」と思います。
知っていたら一人暮らしなんてしなかったでしょう。 いい勉強になりました。
半年でアパートから寮に舞い戻ったわけです。 肩身は狭かった。
その中、自在会での活動も進んできます。 コーラスに所属してましたから。
この頃からですよね。 学会歌を聞き始めたのは。
『常勝の空』 『紅の歌』 「威風堂々の歌』などなど、、、。
『常勝の空』は関西の歌です。 『紅の歌』は男子部の歌。
いろいろと組織が有ってそれぞれに愛唱歌が有るんだなあ。 不思議に思いましたねえ。
この1991年、ぼくは〈視力障碍者の生活を守る会〉にも所属していました。 共産党系の団体です。
1989年の夏、全日本視力障碍者協議会の青年学生平和キャンプに誘われたのがきっかけで入ったんですよね。
その年のキャンプは岡山でした。 そこにペンフレンドの彼女も来てました。
キャンプ初日の夜、彼女を連れてきた先生がぼくと会わせてくれたんですよ。 嬉しかったなあ。
翌年1991年は和歌山でした。 ここで入会を決意したんです。
でもさあ、その2か月後に創価学会に入信したわけです。 それを聞いた横沢は不思議に思ったでしょうね。
だって創価学会と共産党は、、、。
そんなこんなで大阪での2年間はハチャメチャだったわけですよ。 あの頃、お世話になった人たちは?
んで1992年3月にめでたく?音楽課を卒業となったわけですね。 後輩は二人。
その後に男の子が一人入ってきたそうですけど30年経った今はどうなっているんだろう?
師匠も亡くなってしまった。 脳梗塞でね。
「お前は本物になりなさい。 お前ならやれるから。」
そう言ってくれた師匠は退職後に脳梗塞を発症したわけです。
成長したぼくの姿を見せることは出来なかった。
1991年6月以後、バブル景気は泡と消えました。 ブラックマンデーよりもひどかった。
国鉄 専売公社 電電公社が完全民営化されて「さあこれからだ!」って言っている時に株が大暴落を起こしたんです。
しかも昭和から平成の世に移って間もないころの話。 とんでもなかったなあ。
おまけにタイミングも悪く消費税が課されるようになったばかりの頃。
1989年の参議院選挙では自民党が負けましたよね。 大きな風が吹いた。
そしてそれが1993年の政変へと繋がっていくんです。 右に左に社会は揺れ動きました。
世界ではカンボジア和平が議論されていた頃です。 ポルポトをどうするんですか?
それと一緒に問題にされたのが国連平和維持活動 pko。
しかしまあ日本には憲法9条が有りますから武力行使を伴うpkfへの参加をどうするか? 国会は延々ともめ続けましたね。
pko国会は揺れに揺れ、荒れに荒れたわけです。
この頃の総理大臣は海部俊樹さん。 懐かしいですねえ。
後で新進党の党首になった人ですね。 あの党も一瞬で瓦解しましたけど、、、。
pko国会が終わった後、総理大臣は宮沢さんに代わりました。 そして6月、、、。
野党が内閣不信任決議を出したら小沢さんや羽田さんたちが同調して可決しちゃったわけですね。 宮沢さんは解散に打って出ました。
そして惨敗したわけです。
この30年の間に2度自民党は下野してるわけ。 2024年は3度目になる所だった。
分かりやすいのは消費税の失敗と景気対策の無さでしょう。 兎にも角にもハチャメチャだった。
それで勢い付いて出てきたのが、、、。
日本新党 新生党 公明党 新党さきがけ 民社党 社会党 社民連でしたね。
でもこの人たちに何が出来たんでしょうか? 米の一部輸入自由化を進めただけでした。
1年後、さきがけと社会党が離脱したことで野党連合は崩れました。
ごたごたの隙を突いて自民党が息を吹き返したんですよ。 しかも極右と極左が手を繋いで。
ところが教えてもらったことは無いわけだから大変。 点字を辿りながらの勤行で朝だけで2時間も掛かってしまった。
それでも自分からやり始めたんですよ。 横沢君はまだまだ夢の中。
何とか勤行を終わった時には7時を過ぎてまして、、、。 何時からやってんの?
そう、実は5時に飛び起きてそれからやってたんですよ。 うーーーん、真面目なのかなあ?
そしてさらに学会に入ってから初めて座談会に参加しました。 近所のおじさんの家でした。
「今後、大変な戦いが始まります。 そのためにも頑張ります。」 こう挨拶したんですよね。
その【大変な戦い】とは日顕闘争でした。 もちろん、この頃はそのことを知りません。
後で聞いた話ではこの頃から俄かに不気味な騒動が起きていたそうで、、、。
何でも池田名誉会長のスピーチを切り取って日蓮正宗が難癖を付けていたんだとか、、、。 余計なことを言わなければいいのに、、、。
それが次第に池田切りに傾いていくんです。 そして、、、。
12月27日、正宗側はついに池田名誉会長の追放に動きました。 びっくりしましたねえ。
でもさ、ぼくはまだまだ学会に入ったばかり。 信心も始めたばかりで何が何だかさっぱり分からない。
それよりも何よりも横沢から聞いたアパート暮らしの話を本気にして寄宿舎を出ることを決意していたのでした。
ところがね、2025年の今とは違って社会のことを何も知らず出来ることが何も無いぼくです。
職員の中には必死に思いとどまらせようとする人が居ました。 その人を振り切ってまでアパートに引っ越したんです。
今から思えば(何も知らないから無謀な冒険が出来たんだな。」と思います。
知っていたら一人暮らしなんてしなかったでしょう。 いい勉強になりました。
半年でアパートから寮に舞い戻ったわけです。 肩身は狭かった。
その中、自在会での活動も進んできます。 コーラスに所属してましたから。
この頃からですよね。 学会歌を聞き始めたのは。
『常勝の空』 『紅の歌』 「威風堂々の歌』などなど、、、。
『常勝の空』は関西の歌です。 『紅の歌』は男子部の歌。
いろいろと組織が有ってそれぞれに愛唱歌が有るんだなあ。 不思議に思いましたねえ。
この1991年、ぼくは〈視力障碍者の生活を守る会〉にも所属していました。 共産党系の団体です。
1989年の夏、全日本視力障碍者協議会の青年学生平和キャンプに誘われたのがきっかけで入ったんですよね。
その年のキャンプは岡山でした。 そこにペンフレンドの彼女も来てました。
キャンプ初日の夜、彼女を連れてきた先生がぼくと会わせてくれたんですよ。 嬉しかったなあ。
翌年1991年は和歌山でした。 ここで入会を決意したんです。
でもさあ、その2か月後に創価学会に入信したわけです。 それを聞いた横沢は不思議に思ったでしょうね。
だって創価学会と共産党は、、、。
そんなこんなで大阪での2年間はハチャメチャだったわけですよ。 あの頃、お世話になった人たちは?
んで1992年3月にめでたく?音楽課を卒業となったわけですね。 後輩は二人。
その後に男の子が一人入ってきたそうですけど30年経った今はどうなっているんだろう?
師匠も亡くなってしまった。 脳梗塞でね。
「お前は本物になりなさい。 お前ならやれるから。」
そう言ってくれた師匠は退職後に脳梗塞を発症したわけです。
成長したぼくの姿を見せることは出来なかった。
1991年6月以後、バブル景気は泡と消えました。 ブラックマンデーよりもひどかった。
国鉄 専売公社 電電公社が完全民営化されて「さあこれからだ!」って言っている時に株が大暴落を起こしたんです。
しかも昭和から平成の世に移って間もないころの話。 とんでもなかったなあ。
おまけにタイミングも悪く消費税が課されるようになったばかりの頃。
1989年の参議院選挙では自民党が負けましたよね。 大きな風が吹いた。
そしてそれが1993年の政変へと繋がっていくんです。 右に左に社会は揺れ動きました。
世界ではカンボジア和平が議論されていた頃です。 ポルポトをどうするんですか?
それと一緒に問題にされたのが国連平和維持活動 pko。
しかしまあ日本には憲法9条が有りますから武力行使を伴うpkfへの参加をどうするか? 国会は延々ともめ続けましたね。
pko国会は揺れに揺れ、荒れに荒れたわけです。
この頃の総理大臣は海部俊樹さん。 懐かしいですねえ。
後で新進党の党首になった人ですね。 あの党も一瞬で瓦解しましたけど、、、。
pko国会が終わった後、総理大臣は宮沢さんに代わりました。 そして6月、、、。
野党が内閣不信任決議を出したら小沢さんや羽田さんたちが同調して可決しちゃったわけですね。 宮沢さんは解散に打って出ました。
そして惨敗したわけです。
この30年の間に2度自民党は下野してるわけ。 2024年は3度目になる所だった。
分かりやすいのは消費税の失敗と景気対策の無さでしょう。 兎にも角にもハチャメチャだった。
それで勢い付いて出てきたのが、、、。
日本新党 新生党 公明党 新党さきがけ 民社党 社会党 社民連でしたね。
でもこの人たちに何が出来たんでしょうか? 米の一部輸入自由化を進めただけでした。
1年後、さきがけと社会党が離脱したことで野党連合は崩れました。
ごたごたの隙を突いて自民党が息を吹き返したんですよ。 しかも極右と極左が手を繋いで。


