今会いに来ました。 カフェラテプリン道中記

 音楽課にはもう一人の在学生が居ました。 エレクトーンを弾いていた高木未希さんです。
でもぼくが入学した時には休学中で会うことは有りませんでした。 実は入院していたんです。
 癌だったと聞いています。 ぼくは何気に驚きました。
6月のある日、エレクトーンが置いてある教室に入ると誰も居ないはずなのに人が居る気配を感じました。
その気配はエレクトーンに近付いていくほどに強まってきます。 そしてそこで止まりました。
 「未希ちゃんだね?」 声を掛けるとサワサワッと風が吹いてきました。
「遊びに来たんだ。 ずっと居ていいよ。」 声を掛けてからエレクトーンを弾きました。
 それからずっと未希ちゃんはその教室に来ましたね。 そして夏休み。

 福岡に帰っていてもうすぐ大阪へ帰るぞって思っていた日、ぼくは思わぬ体験をしました。
昼寝していた時です。 何かの夢を見ていたぼくは部屋の中を転げ回っていました。
「未希ちゃん 俺はまだやらないかんことが山ほど有るんや。 死ぬわけにはいかんのよ。」 そう叫んだ時に目が覚めました。
 その日、未希ちゃんは病院で亡くなりました。 ぼくは引っ張られていたんですね。
 仲良しだった横沢君よりもぼくのほうが速く気付いていつも声を掛けていたんですから。
人が亡くなる時に誰かを引っ張るって話は聞いたことが有ります。 本当だった。
 横沢君にも未希ちゃんが来てることは話してあります。 彼も驚いてました。
そして二学期。 ぼくが大阪に帰ってくると横沢君は創価学会の話をしてきました。
 (何やねん? そんな話を俺が信用すると思うんかいな?) そう思いながらぼくは話を聞きました。
 「あなたの足の病気は宿業なんです。 宿業を切らないとあなたは死んでしまいます。』 (何でお前にそこまで言われなあかんねん?)
ぼくは元々創価学会には不信感しか無かったもんだから聞いている振りをしてやり過ごそうと思ったんですよ。 ところがね、、、。
 大阪の9月はまだまだ暑いんです。 おまけに寄宿舎。
そのおまけに数年前に泥棒に入られたとかで午後10時には窓を開けられなくなります。
うっかり開けると防犯ブザーが鳴り響くんですよ。 何回も鳴らして宿直の職員に怒られたもんです。
 そうだもんだから寮の中は蒸し風呂でして水浴びしたい気分になります。
 ところが水道で顔を洗っても生温いお湯が出てくるもんだから余計にイライラします。
そこで横沢君は話をする時にアイスコーヒーを飲ませてくれました。
それが飲みたくて話に付き合ってたんですよ。 そのうちに地区リーダーだというおじさんにも会いました。
 拠点だと聞かされた部屋にも行きました。 会合にも参加しました。
その挙句に欲しいとは思わない数珠や経本まで貰ってしまいました。
 (こんなんまで貰ってしもてどないするんやろうなあ?) 疑問と不信感が一層募ります。
その時、ぼくは左足の爆弾が破裂寸前になっていることに気付きました。 えらいこっちゃで。

 阪大の病院で診てもらっても原因はさっぱり解りません。 地獄に落ちた気分でしたよ。
そんな中、9月30日の日曜日になりました。
 この日、夜には会合に出掛けることになっていました。 第二回全国男子部幹部会です。
気は進みませんが約束した以上は行かないわけにいきません。 6時半に約束通り男子部長という人が車で迎えに来ました。
 何気に向かった場所は創価学会西成文化会館。 部屋には男しか居ません。
畳敷きの部屋で大勢の男が何やら拝んでいます。 (気味悪い所に来たなあ。)
 そう思いながら会合が始まるのを待ちます。 クーラー全開ですがとにかく暑い。
ぼんやりしているとものすごい拍手が、、、。 前で誰かが喋っています。
 そうそう、同時中継だったんですよ。 だからモニターから声が聞こえてくるわけね。
(この人が池田さんか、、、。) そうは思っても半分は夢の中で聞いています。
不思議な感覚でしたね。
 むさ苦しく熱い部屋の中でぼくはボーっとしています。 居眠りしながら聞いていると、、、。

 『受くるは易く保つは難し。 さる間、成仏は保つに有り。』
という声が聞こえてきました。 池田名誉会長が御書を引用されたんですね。
 もちろん、まだまだ学会には入っていないのだから御書なんて知りません。 ただただ話を聞いているだけ。
 それでもぼくはパチッと目が覚めました。 そして不思議なくらいに満足していた。
 (この人にやっと会えたんだ。 やっと再会したんだ。) そんな思いに満たされてしまってました。
 そうなもんだから入会とか信心するとかそんなのはどうでもよくなってましたね。 大変だ。
横沢君はそれでも諦めずに食い付いてきます。 しつこいなあ。
そこからは彼とぼくの我慢比べだったのかもしれません。
 その一方で足の方はさらにひどくなってきました。
 歩くのも大変です。
長く立っていられないくらいに悪くなってきました。
 授業の中では支障が出てくる物も有りましたよ。 特に声楽とエレクトーン。
声楽はずっと立っていますし、エレクトーンは足ペダルでベースの音を出します。 大変でした。
 「辞めて帰った方がいいんじゃないか?」とまで言われたことが有ります。 悔しかった。
そんな10月8日の夜、とうとう足の痛みも限界を越えてぼくは畳の上を転げ回りました。 そして、、、。
「行き詰まったら騙されたと思って祈ってみろ。 叶わないことは無いんだから。」と横沢君が言ったことを思い出して数珠を手に掛けたんですよ。 必死だった。
 真夜中11時。 静まり返った寄宿舎の部屋の中、小さな声で題目を唱えます。 必死でしたね。
 「南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経、、、。」 だんだんと意識が遠のいていくような感じ。
何も考えられなくなってひたすらに題目を唱え続ける。 気付いたら小鳥の声がする。
いつの間にか朝になっていてみんなが起き始めました。 徹夜したわけですね。
 何気なくぼくは立ち上がって歩いてみた。 驚きました。
昨日まであれほどに苦しんでいた痛みがほとんど無くなっていたんです。 夢かと思った。
 さらに歩き回っても痛くない。 ぼくは決意しました。
 「この宗教は本物だ。 やるしかない。」とね。 その日から何かが変わり始めたわけ。
その日は大阪府盲の秋の遠足の日。 ぼくらは奈良県に行きました。
「車椅子を出すか?」って言ってくれた先生も居たけれど、ぼくは難無く歩いて行って帰ってきました。
 その夜、男子部長という人が電話を掛けてきてくれまして、いろいろと話したんですが、最後にきっぱりと言いました。
「ぼくに御本尊をください。」 「あんた、本気で言うてんのか? 大変なことなんやで。」
「分かってます。 かまいません。」 決意は固かった。
 それから入信への手続きが進められて10月14日に御本尊を戴いたわけです。 場所は住吉区帝塚山のm寺。
でもね、中へ入ってみると何となく変な空気を感じました。 鉄筋2階建て。
おそらくは学会が寄進した寺なんでしょう。 玄関を入ると足元から冷たい空気が流れてきた。
 冷房が入っているわけでもなく、隙間風が吹きこんでいるわけでもない。 それなのに冷たい空気が流れている。
 (変な寺だな。 何かやらかすんじゃないか?) 疑念を持ったまま本堂が在る二階へ、、、。
読経 唱題を済ませて住職が板曼荼羅を持ってぼくらの元へ来ました。
 「新入会おめでとうございます。 どうか広宣流布のために活躍されんことをお祈りいたします。」 そう言ってから板曼荼羅を頭に載せてきます。
(こいつ厄介な坊さんだな。) 直感は3カ月後に現実になったんですよ。 見事に学会に反旗を翻しました。

 それはさておき、御本尊を戴く前にやっておくことが有ります。 幹部面接ですね。
支部長には会っておいたので当日には指導長の面接を受けましたんです。
現在では指導部というのは有りませんが、当時は指導部というのが在りまして、会社で言えば顧問団のような感じでしょうか。
 沢渡指導長に会いましていろんな話を聞きました。 そこで、、、。
 「君は生まれは何処なんですか?」 「福岡です。」
「ほう、福岡の何処ですか?」 「飯塚です。」
「なぬ? 飯塚だって? 私は田川だよ。」 「え? 指導長は田川何ですか? 私は直方ですよ。」
「おやおや、大阪に来てまで筑豊の三銃士が出会ったのかい? 縁というのは恐ろしいもんだなあ。」
 飯塚生まれのぼく、田川生まれの沢渡、そして直方生まれの地区部長 犬山武が顔を合わせたのである。
互いの出身地が分かったことで場は和んでしまった。 そして、、、。
 「学会にはね、三つの禁則が有ります。 これだけは守ってくださいね。」と言われる。 それは、、、。

 1に金銭貸借の禁止。
 2に組織利用の禁止。
 3に不純異性交流の禁止である。
確かにこの禁則を破ればろくなことにはならない。

 さてさて御本尊を戴いてから寄宿舎に帰ってきたんですが、落ち着く暇も無くまたまた出掛けました。 今度は港区に向かいます。
なんでも自在会とかいうグループのフォーラムが有るそうで、、、。
参加してみると合唱や寸劇、体験発表などをやっています。 うーーーん、なんかすごい。
 実は自在会とは視力障碍者の人材グループでした。 ぼくも仲間に入れてもらいましたけど。
そこでの決意が4年後に実現するとは、、、。