今会いに来ました。 カフェラテプリン道中記

 さてさて、ぼくの進路はというと母さんに押し切られる形でマッサージの勉強をすることになりました。
ずっとやりたくなかった仕事に関わってくるわけですよ。 最初はね、(何でこんなのをやらなきゃいけないの?)って溜息しか出なかった。
 授業も何となく分かるような分からないような理論的な物ばかり。
解剖学 生理学 按摩理論 漢方概論 経穴概論 鍼灸理論、、、。
 なんかさあ、特殊な授業ばかりだねえ。 特に解剖学と生理学は九州大学の教授先生が教えて下さるものだから緊張しまくり。
解剖学は月曜日の6時間全てを使って集中講義。 神経が引きつりそうなくらいに緊張しましたね。
 生理学は世界的に有名有能な栗山先生でした。 会議などが多いので代行の先生がよく来てくれましたね。
その上で鍼と按摩の実技が組まれています。 いやいや大変。
 でも今の授業に比べたら本質重視だったからぼくらは幸せだったよ。
今の授業はダメだね。 知識優先になってるから技術が根付かない。
現代のマッサージ師 鍼灸師が物足りないって言われるのはそこに原因が有るよ。

 ぼくらの担任は大阪生まれ大阪育ち 短気でバリバリの関西弁 名倉敏和先生だ。
ほんとに厳しい先生でね、在学中にぼくが褒められたことは一度も無い。 厳しい師匠だった。
 うまくやってるつもりでも「そこはそうじゃない。 こうするんだ!」って突っ込まれてしまう。 逃げられなかった。
鍼をしても按摩をしても怒られてばかりだったよ。 泣きたかったなあ。
 でもね、マッサージ師も鍼灸師も患者さんの命を預かる技術職なんだよ。 中途半端ならやらないほうがいい。
そのための基本を先生は叩き込んでくれたんだ。 刺せればいい 揉めればいいでは仕事にはならないからね。
 現代の鍼灸師 マッサージ師は刺して揉めればいいって軽く考えている。 だからダメなんだよ。
ほんとに大変だったんだから。

 クラスメートは13人。 盲学校では多い方だった。
でも卒業するまでに4人が脱落していった。 厳しい現実だ。
 2年になると病理学 衛生学 診察概論が入ってくる。
診察概論は全盲で理学療法士の資格を持っていた先生だったね。
昭和時代には全盲でも理学療法士の資格を取れたんだよ。 今は取れないけどね。
 2年も後半になるといよいよ臨床実習に向けての準備が始まる。 実際に患者さんを触ってみるわけだ。
この頃になるとなぜかぼくにも鍼灸師の意識が芽生えてきたんだね。 あれほどやりたくないって思ってたのに、、、。
 きっかけは『経絡治療要綱』っていう本だった。 衝撃だった。
僅か数ミリの鍼で病気が治ってしまうんだ。 (こんなことが有るのか?)って本気で思ったよ。
 それから30年、自分なりに追求しながらここまでやってきた。 本に書いてあることは真実だった。
どっぷりと浸かってやってみないと本当のことは分からない。
 どんなに真実そうに見えることでも体験して追求してみないと本当のことは分からないもんだ。 そう思う。

 それでまあ2年も3学期になるといよいよ白衣を着るわけです。 実習生ですね。
施術室でもいろんなことが有りました。 同級生に患者さんを取られたり、、、、。
施術中にいきなり入り込んできた同級生が施術して行ったり、、、。 ほんとはいけないことなんですけど。
あれだって立派な虐めですよ。 訴えれば大問題になったはず。
 その代わりに驚くことも有りましたっけ。 「私の体を使って一人前の先生になってね。」って言ってくれるおばさんが居たんだ。
嬉しかった。 どうなるかも分からないのにぼくに体を任せてくれたんだから。
 そしてぼくが卒業する時、「この後も来てあげてくださいね。」って言ったら「もう行かないよ。 あなたは居ないんでしょう?」って言った。
ドキッとしたね。 ぼくに全てを任せてくれてたんだ。 有り難かった。
もう卒業して35年。 今でも忘れないよ。

 この1989年、全国の盲学校では一つの運動が起きていた。 あはき法19条問題。
実はね、視力障碍者が仕事に困らないように法律で教育施設や定員の規制がされてたの。 それによってぼくらは守られていたんだ。
その条項を撤廃するって話が出てきて大騒ぎになったわけ。 ぼくは撤廃してもいいと思っていた。
だって実力が有れば開拓したり広げたり出来るから。 同級生たちは撤廃に反対だった。
だからみんなして「お前なんかマッサージ業界には要らないから出て行け!」って怒鳴ってたよ。
 その程度だったんだねえ。 法律で守ってもらわないと生活すら危ういなんて、、、。
現在、この条項は完全に撤廃されてます。 それと引き換えにマッサージ師 鍼灸師の資格は国家資格になりました。
ぼくも知事免許から大臣免許に取り替えましたよ。 見てびっくり。
額縁に入れなきゃいけないくらい大きかったのねえ。 その重さが伝わってくる。
 身分は医師とも同等なんです。 国家資格なんでね。
ということは技術的にもそれに耐えられるくらいの物を持ってないといけないんですけど、、、。
でもそこが残念だ。 知識優先では技術が疎かになる。
口では偉そうに話せても症状一つ取れないようでは免許が泣きます。 そんな人が多過ぎる。
 ぼくだって偉そうに言えた柄ではないけれど、それなりに30年苦労してきたからね。 失敗も乗り越えてきたからね。

 実習時代に話を戻しましょう。 あの当時、ぼくは何とも思わなかったんだけど不思議なことが有ったね。
土曜日、実習で使ったタオルとかタオルケットとかをまとめて洗濯するんです。 それを見てるのはいつもぼくだった。
 他の人たちは先に帰ってしまってぼくがやらざるを得なかったんだ。 やらないで帰ることも出来たんだけどね。
 月曜日、みんなが蒼くなる姿を見てみたかった。 だって洗濯できなかったら実習が大変なんだもん。
だからといって誰も何とも思わなかったらしい。 だからぼくは思ったよ。
(この人たちと今後関わることは死ぬまで無いんだな。)って。 現在、その通りになってるよ。
 ふつうだったらさあ「毎週やらせてごめんね。」とか言ってくるだろう。 それすら無かったんだよ。
本当に人の心が無いクラスメートたちだった。 だからみんなが何処でどうなっていようと構わないと思ってる。

 さてさて資格試験が近付いてくると名倉先生はクラスメートたちの勉強の心配をし始めました。 そして言うんです。
 「お前たちさあ、心配だから日曜日に俺の家で集中特訓をする。 いいか。」って言い切りました。 みんなはもちろん沈黙してますが、、、。
 その後でぼくに聞いてきました。 「お前はどうする?」
返事に困っているとね、「お前なら大丈夫だ。 来なくてもいい。 のんびりしてなさい。」って言ってくれたんだよ。
 捻くれた考え方をすれば「大したことも無いやつだから見捨てられたんだ。」って思うんだろうけどそうじゃなかった。
それだけ名倉先生はぼくを信頼してくれていたんだね。 有り難かったよ。
 そして、、、。 そんなある日の昼休み、、、。
先生は教室にやってきた。 それでぼくと話したんだ。
 いろんなことを教えてもらった。 そして言われた。
 「卒業したら大阪に行くだろう? やりたいことを思う存分やってきなさい。 ここでやることは全部やってきたんだからな。」
見て内容で実は見てくれていた。 その日までそのことにぼくは気付かなかった。
 毎日毎日起こられてばかりだったから同級生にも笑われてたんだよ。 「どうしようもないやつだな。」って。
でもそれは違った。 ぼくを鍛えたいと思ってくれてたんだ。
 そして最後に遺言のように言ってくれた。
「お前は本物になりなさい。 本物の経絡治療家になりなさい。 他のやつらはどうでもいいから。」
 全盲の名倉先生がそこまで言ってくれたんだよ。 ぼくは信じられなかった。
21歳の時だからね。 (そんなもんなのかなあ。)くらいに思っていた。
 それから10年が経ってパーキンソン病のおじいちゃんを完治させた時、名倉先生の言ったことは間違いじゃなかったって気付いたね。 感動した。
それからまた20年が経ってしまった。