今会いに来ました。 カフェラテプリン道中記

 そりゃあ、母さんは高校生の時にぼくを産んだわけで褒められたもんじゃない。 それは分かってるよ。
でもぼくらはね、母さんが死ぬまでぼろ糞に言われ続けたんだ。 二度と関わりたくはない。
 祖母は金を持っていたかもしれない。 でもそれが「偉い」ことにはならない。
 いつも言っていた。 「金を持った人間が偉いんだぞ。」って。
でもそれはさ、金しか信用できなかったってことだよね? 実際に友達だってそんなには居なかったし。
 反対に母さんはいつも貧乏だった。 でも友達は多かった。
いつも誰かとお喋りしてたよね。 そんな母さんを覚えている。

 ぼくが実家に転がり込んだ時、祖母は特に嫌な顔をした。 そうだろうなあ、嫌ってたんだもん。
母さんが事故に遭った時、なぜか妹も引き取ったんだ。 そして車の免許を取らせようとした。
そこまでは良かったんだけど、その後が悪過ぎたね。 「私が取らせてやったんだから言うことを聞け!」って無理押しをし始めた。
 妹は定時制高校に通いながら午前中はバイトをしていた。 その空いた時間で免許を取ったんだ。
まともに寝れていたのかどうかも分からない。
そんな中で「車の練習だ。」とか何とか言われて買い物に付き合わされるんだ。 堪ったもんじゃないよな。
 そのストレスが溜まりに溜まって妹は家出した。 びっくりしたよ。

 当時、ぼくは老健で働いていた。 給料はまあまあだった。
それで貯金がいくらか貯まったもんだから30万を別口座に移してばあさんに預けたんだ。
これが間違いの元だった。 ぼくは「妹の成人式に使ってね。」って言っておいたのに、、、。
 ある時、「金が必要だから印鑑を渡せ!」って朝から怒鳴り込んできたんだ。 ぼくは拒否したよ。
でも顔色を変えて怒鳴りつけるもんだから渋々印鑑を渡した。 そしたら、、、。
 その金でさ、妹が欲しがってた車を買ったんだ。 しかも「私が買ってやった。」って近所中に自慢した。
 何処まで嘘吐きになればいいんだろう? ばあさんの見栄っ張りにはほとほと悲しくなったよ。
それでいながら「私が買ってやったのに言うことも聞かんのか!」って妹に当たり散らすんだからなあ。

 数年後、妹はこの事実を知って大激怒する。 当たり前だろう。
その後、妹は定時制も行かなくなったんだ。 家出したからね。
そしたら高校からばあさん当てに学費などの請求書が送られてきた。 30万だって言ってたな。
 その金額を聞いたぼくはハッとした。 無断で使われた金額と同じだった。
 家出した後、奇妙な事件が起きる。 車を盗まれたって妹が警察に飛び込んだんだ。
調べてみるとオートレース場の近くに乗り捨てられてるのが見付かった。 芝居だったんだ。
 でもね、妹は取りに来ない。 仕方なく叔母が実家に持ってきた。
それでも妹が来るはずは無く、最後にはばあさんが廃車したんだ。 無理に車を買って自分の用事のために妹を扱き使った。
その報いを受けたんだね。 見事としか言いようが無かった。

 母さんがプレハブ暮らしを始めた頃、ばあさんたちは「お似合いだ。」って笑ってた。
自分が家を追い出しておいてそれは無いだろう。 ぼくもまだまだ学生だったから何も言えなかった。
 その後、1997年には交通事故に遭う。 心肺停止で意識不明の重体。
よくニュース番組で聞いた最悪の状態だった。 それでもばあさんたちは嘲笑っていたんだ。
「あいつは贅沢ばかりしてたんだから死んだほうが良かったんだよ。」 「これで生き残ったら苦労するよ。 ああ嫌だ嫌だ。」
 自分が腹を痛めて産んだ娘、そして叔母にとっては姉に当たる母さんにそこまで言えるのが不思議だった。
ぼくは決意したよ。 (こんな事故くらいで母さんを死なせるもんか。)ってね。 その通り、一か月半後に意識を取り戻したよ。
 人間の命って最悪の状態でも勝てるんだよ。 諦めなければ勝てるんだ。
 全身麻痺ではあったけど、母さんはお喋りも出来るくらいに元気になってくれた。 リハビリにも耐えてくれた。
そんな母さんをばあさんたちはどう思っていたんだろう? 悔しかったんじゃないかなあ?
 ぼくだって母さんを嫌いだった時期は有るよ。 会いたくない時だって有った。
でもね、母さんには感謝してる。 ぼくの文句を一度も言ったことが無いんだ。
 ぼくは全盲だし耳にも障害が有るし将来一人で生きていけるか心配だったと思う。
でも母さんは愚痴の一つもこぼさなかった。 誰にも悪口を言わなかった。
 ぼくを妊娠した時も中絶しろって迫ってくるばあさんたちを突っぱねて産んでくれたんだ。 じゃなかったらここまで生きられなかったよ。