今会いに来ました。 カフェラテプリン道中記

 その頃、千春馬鹿と呼ばれていた先輩が居ました。 取り合えずはぼくも仲良しで。
ギターを買ってもらったぼくはその先輩に基本的なコードを教えてもらったんです。 その後は独学でした。
 兎にも角にも学校から帰るとギターを弾きまくりましたね。 そして休み時間にはリコーダーを吹きまくる。
「ギターが恋人だ。」って笑われるくらいだった。

 それが功を奏したのか、2年の文化祭で高校生たちはバンドを組んで歌ったわけです。 福岡盲で初めてのことだったな。
先生たちにはね、「ただうるさいだけのガチャガチャバンドだ。」って言われてたけど、、、。
 {青くてごめん}とか{涙のリクエスト}とか{バイバイガール}とかやったなあ。
 ぼくはベースを初めて弾きました。 うん、夢中だった。

 この高校時代、忘れられないのは多くのペンフレンドが居たこと。
後で校則を読んでてドキッとしたんだけどね。「笑い」
だって『不必要な文通をしてはいけない。』って大真面目に書いてあるんだもん。
何処までが必要で、何処からが不必要なんだろうねえ? 分からん校則だなあ。
 贈り物禁止って言う校則も有ったよね。 (アホか。)って思ったよ。
バースデー バレンタイン ホワイトデー、あげたり貰ったりしてたじゃん。

 さてさて、学園から寄宿舎に移ったわけですが、この年は高校3年生。
卒業後の進路をどうするか、、、、、、が大きな問題になりました。 ぼくはずっと決めかねていたんですね。
 母さんは「手に職を付けてから遊んでくれ。」って言うだけ。 まあ離婚した後、自分一人で奮闘していたのだからしょうがない。
離婚後に転がり込んだ実家も「ここは私の家だから出て行け!」って喚き続ける祖母に追い出された後だったし、、、。
 それでね、バイト先の二階を借りたんです。 でもそこが半年くらいで居られなくなって、、、。
次には知り合いの物置にしている家を借りました。 ところがここも再開発に引っかかって立ち退いたんですよ。
 それでね、止む無く橋の下にプレハブを作ってもらいました。 橋の下に住むとは思わなかったね。
もちろん、祖母はぼくらのことを笑い続けました。 自分らが離婚の原因を作っておいて。
 父を怒らせて追い出したのは祖母と叔母でした。 二人とも偉そうな顔で割り込んできて持論を振り撒いた上に離婚を決意させたんです。
 その後も彼女らはぼくらをいいように虐め続けました。 こんなのが親族に居るとは情けない。
二人はぼくらの名義を使って資産を増やし続けたんですよ。 「満期になったらお前たちにも分けるからね。」なんて仏のようなことを言っておきながら、、、。
 本性は餓鬼だったんだなあ。 ただただ金しか信用できなかった寂しすぎる人たちだった。
離れてみてそう思いますね。