小さい頃の福岡は雪合戦が出来るくらいに雪が降り積もっていた。
雪ダルマも余裕で作れた。
 その中を走り回って遊んでいた。
北海道に引っ越して子供たちと雪合戦をした時、そんなことを懐かしく思い出した。
 幼稚園に通った頃、まだまだ蒸気機関車が走り回っていた。
小学生になった時には全て汽車に置き換えられていた。
 昭和50年4月、福岡にまで新幹線がやってきた。
珍しい物が大好きな祖母は小倉 博多間の切符を買って新幹線に乗った。
それがきっかけかどうかは知らないが、ぼくは鉄道マニアになった。
50を過ぎてそれはプラレールになった。
今も一部屋を占領してプラレールが走り回っている。
 でもあの頃の趣味の本命はトミカだった。
もちろん、今でもトミカ集めは続いている。
ディズニートミカだってけっこうな数になる。

 幼稚園時代、ぼくはまたまた虐めに遭っていた。
他の子どもたちが見えている物が見えないのだから、、、。
毎日毎日、飽きないくらいに虐められ続けた。
保母さんたちだってみんな揃って悩んでいた。
その中、母は一年で退園することを選んだ。
話てもどうしても虐めは止まらなかったから。
 それからぼくは一人になった。
両親は共働きだったし、近所の友達は幼稚園に通っていたから。
 本を読み、おもちゃで遊び、近隣を散策する。
全てに飽きたら寝るしかない。
雨の日も風の日も、台風の日もそうだった。
 秋から冬へ移る頃は日暮れが早いから怖かった。
でもさ、寂しいなんて言えなかった。
怖いなんて言えなかった。
そしてぼくは盲学校へ入学するように言われてしまった。
その盲学校で失明したんだ。 何の皮肉だろうね?