そこは甘く優しい世界

 手を口許まで下げた奏斗は、少々恨みがましい眼差しで小春を見たあと、おもむろに居住まいを正す。

「……いいの?」
「はい」
「大丈夫? 俺のご褒美だよコレ」
「そんなふうに言ってもらえて嬉しいです」
「喜ばせすぎだって」

 奏斗の手が小春の肩にかけられ、ぐっと互いの顔が近付く。

 鼻先が触れ合うと、どちらともなく目を合わせて、彼が少しだけ顔を横に傾けた。

 瞼が閉じきったら、唇がそっと重なる。

 それはほんの一瞬だったような、とても長い時間だったような。やわらかな彼の体温に、胸の奥が溶かされていくような気がした。

「……めちゃくちゃ恥ずかしい」
「はい」
「でもめちゃくちゃ嬉しい……」

 小春の肩に頭を預けた奏斗は、その細い体をぎゅうと抱き締める。小春もまた、彼の広い背中に腕を回して、はにかんだ。

「私も嬉しい、奏斗さん。もう一回して」
「コラ」

 怒ったように腕を強められて、それでも要望通りに優しく口付けをしてくれたときだった。

「……外、騒がしいですね」

 ファミレスの南側の窓には、未だ強い雨が吹き付けている。無数の雫が絶え間なく落ちる向こうでは、夜中にも関わらず大勢の人が集まっているようだった。

 小春と奏斗は手を繋いだまま、しばし外の光景を見ていた。

「どうしようか」
「……奏斗さん、あっち」

 後ろを振り向くと、ファミレスの出口がある。ベルのついたガラス張りの扉の向こうには、陽の光あふれる眩しい海が広がっていた。

「私は……あっちに行きます」
「そっか。じゃあ俺も」

 離そうとした手を引き止められ、小春は目を見開く。

「小春ちゃんがそっちに行くなら、ね」

 奏斗の微笑みを呆然と見上げた彼女は、やがて泣き笑いを返して歩き出す。

 カランコロン、と二人が扉を開けて出ていくと、雨とサイレンの音に混じって、誰かの叫び声が聞こえた気がした。








「──小春!!」