海斗さんのぬくもりにホッとしつつも、やはり会長の言葉は頭から離れない。
‘家柄’‘支援’‘利用価値’。
私は普通の会社員の家庭で生まれ育って、どこかの令嬢でも家柄でもない。
会長から見ると、息子の相手としては不足だろうな。
でも、私だって海斗さんと別れたくない。離れたくない。
だから、海斗さんが何とかするというなら今はそれを信じるしかない。
そうするしか、今の私にはできないんだ。
しかし、相手は早く動き出していた。
「大園さん、少しいいかな」
会長が社長室にやってきたのは、海斗さんが役員会議で席を離れたときのことだった。
突然の訪問にギクッとするが、「来た……」と素直にそう思った。
なんとなく、一人の時に来る予感がしていたのだ。
「会長……。社長ならあと一時間は戻りませんが……」
「いや、君と話がしたくてね」
「今、お茶をお持ちします」
やっぱりそうだよね。海斗さんと話すより、私から攻めたほうが良いと思ったんだろうな。
話すのが怖いけど、仕方がない。
会長を社長室のソファーに座ってもらい、お茶を用意する。
そして促されるまま、会長の前に座った。
「大園さんは海斗と付き合ってどれくらいだい?」
「まだ、二か月程度です」
「そうか、なら単刀直入に言おう。海斗と別れてほしい」
やはりか……。
会長が来た時点で予想していた。
「……できません」
「できないのではない。するのだよ」
会長はお茶を飲みながら世間話をするように言った。
私はスカートの上で手を握りしめる。
右手の薬指には海斗さんからもらった指輪が光っていた。
大切な指輪。それをそっと撫でる。
「私は普通の家庭に生まれました。学歴も普通だし、どこかの令嬢でも家系でもありません。海斗さんに釣り合わないことは重々承知しています。けれど、私は海斗さんが好きです。お互いに思いあっています。それでも別れないといけないのでしょうか?」
訴えかけるが、会長は軽く片眉を上げただけだ。
「大園さんが息子を思ってくれる気持ちは親としてとても嬉しいよ。でもね、海斗は神野フーズを背負っていく立場だ」
「それはわかっています。でも……」
「家柄、格、経済的立場というものがある。様々な家や企業との付き合いだって数えきれないほどあるんだ。それで後々苦労するのは君だし、海斗でもある。君だって海斗の足かせにはなりたくないだろう?」
足かせ……。
会長の言葉にハッとする。ニッコリ笑った会長の笑顔が怖かった。
「つまり……、私が海斗さんの邪魔になるということですか?」
自然と声が震える。私の言葉に会長は苦笑した。
「もちろん、ただで別れてほしいとは言わない。慰謝料は払うし、仕事も良い所を斡旋しよう」
「仕事……」
あぁ、そうか……。海斗さんが他の人と結婚するとなると、昔の女である私とは仕事なんてさせられない。
ましてや、秘書などという近い位置で仕事をするなど言語道断だということ?
慰謝料だって、要は手切れ金ではないか。そんなの欲しくない……。
「この件に関しては、海斗さんに任せているんです」
「海斗ではらちが明かないから、こうして君と話をしているんだよ」
「……お引き取り願えますか」
私は俯きながら声を絞り出すと、会長は「あぁ、わかった」と素直に立ち上がった。
「大園さん、海斗を愛しているなら何が海斗のためになるか、よく考えてごらん」
会長は優しく諭すように言って、部屋を出て行った。
私はしばらく席から立ち上がることが出来なかった。
海斗さんのため?
でも、海斗さんは私と一緒に居たいと言ってくれた。
けれど、会長は今の私たちの感情の話をしていない。
会長は将来の話をしている。
将来を考えると、私といることが海斗さんのためになるのかということ。
会社のことを優先して考えるのは当然だ、会長なんだもの。
「あぁ、もう……」
私は頭を抱えた。
……あんなことを言われたら、何も言えなくなる。
好きだけではダメなんだろうか?
「誰か来たのか?」
静かにそう声をかけられて、ハッとして顔を上げた。
そこには、会議が終わった海斗さんが入口に立っていた。
テーブルには会長に出したお茶がまだ出しっぱなしだった。誰かの訪問があったのかは一目瞭然である。
「すみません。すぐに片づけます」
笑顔を作って立ち上がると、海斗さんが私の腕を掴んだ。
「親父が来たのか?」
まぁ、私の表情を見ればそうわかるよね。
一瞬、嘘をつこうか迷ったが素直に頷いた。
「……はい」
「何を言われた?」
私は顔を上げる。
海斗さんの辛そうな顔。何を言われたかなんて、私が言わなくてもわかっているんでしょう?
言葉に出せないでいると、海斗さんが険しい顔で言う。
「親父の話なんて聞かなくていい」
「……そういうわけにはいきません」
泣かないようにあえて微笑むと、海斗さんはため息をつく。
「親父が何と言おうと、俺は花澄と別れない。花澄だってそうだろう?」
「はい、そうです」
「じゃぁ、どうして泣きそうな顔になっているんだ?」
海斗さんの指摘に言葉が詰まる。
だって、仕方ないじゃない。
海斗さんとは別れたくない。でも、会長の言うことはわかるから……。
私だって、どうしたらいいのかわからない。
「……そりゃぁ、動揺しますよ。息子と別れてくれなんて面と向かって言われたら」
笑顔を作って、海斗さんを見上げる。
「お茶、片づけてきますね」
海斗さんは何か言いたげな顔をしたが、するっと腕を離してくれた。
ひとりになった給湯室で、海斗さんがくれた指輪を眺める。
『いつか正式な物を渡すまではそれを着けていて』
あの日の海斗さんが思い出される。
本当に、いつか正式な指輪を着けられる日が来るのかな。
結婚したいと思っていたって、会長がそれを許さない。
その時、海斗さんはどうする?
「……私を取るか、会社を取るか」
どちらにしろ、辛い決断をさせてしまうかもしれない。
私の心は大きく揺れていた。



