自室に戻り、カイラに経緯を話しすぐさま荷物の用意と身支度を始める。
「それにしてもあのくそ爺…ごほん、旦那様はいい加減すぎます! 急に言われて用意なんて出来るわけないでしょうに!!」
「ごめんなさいね、カイラ……」
 スルグの対応に悪態をつくカイラに、レティシアは夜分に作業をさせる羽目になってしまったことが申し訳なくなり謝罪する。そんなレティシアに、カイラは勢いよく首を横に振った。
「そんなことないです! お嬢様が気にすることではありませんっ」
「でも……」
「いいですか、そもそも突然言い出す方が悪いんです! レディの身支度にはそれなりの時間がかかるんですから!」
 ズイッと顔を寄せて熱弁してくるカイラに、レティシアは思わず笑みが零れてしまった。
「ふふっ、そうね……それじゃあ、早く用意しなきゃね」
「はい!」
 夜中だというのに元気に返事をするカイラに、再び笑みが零れる。荷物を鞄に詰め込みながら、嫁ぎ先のことを考える。
(確か、グスタット領は此処よりも小さな領地だった筈よね……)
 グスタット領。王都から遠く離れた、辺境の土地だ。洋裁が主な収入源となっており、代々グスタット領を治めるマーキス辺境伯は魔糸の生成の為、数多くの属性使いを使用人として雇っている。私のような魔法が使えない『不良品』が嫁いでも、意味がないように感じられるのだが――。
(……子どもが受け継ぐことを願っているのかしら)
 そう、たとえ妻が『不良品』でも、子どもが高い魔力を受け継ぐことを願っているのなら話は別だ。確か辺境伯の子息は婚姻の適齢期を過ぎている。はっきり言ってしまえば、レティシアより一回りも歳上。クォーク家には邪魔者をどうにかできる、マーキス家には魔力の高い若い娘が嫁いでくる……この婚姻は両家共にメリットがあるのだ。

 ふと、セシルの顔が脳裏に浮かぶ。ごめんなさい、セシル様……お約束を守れないレティシアを、どうかお許しください――。

「お嬢様、ドレスはどれを持っていきますか?」
 カイラの声にハッと我に返り、レティシアは顔を上げる。大方、残していくドレスはスフィアが持っていってしまうのだろうから、気に入ったドレスだけを持っていこう。
「私が手直しをしたドレスだけを持っていきましょう」
「それだと少ないですよ?」
「いいの、気にしないわ」
 端正込めて魔糸で刺しゅうを施したドレスだけを持っていこう。そうなると片手で数える程しかないが、荷物は少ない方がいい。
「もしもの時はグスタットでまた魔石を売ってドレスを用意しましょう」
「そうですねっ、その時はまたお手伝いしますよ」
「ありがとう、カイラ」
 レティシアが唯一出来る魔石生成だが、どうしても作成出来る魔石は白だった。白い魔糸なら兎も角、白い魔石は一般的にも出回っている所を見たことがない。幼い頃、糸紡ぎを購入する際に売る為にと魔石を生成した際も白い魔石が出来上がってしまったのである。そこで、カイラに協力して貰い二人で魔石生成を行い、赤い魔石を作りカイラに頼んで売ってきてもらったのだ。そうした経緯もあり、それからは自分の物を購入する際に売るための魔石はカイラと共に生成している。カイラなしの生活というのは、レティシアには考えられないくらいになっている程だ。
「なら、魔糸で刺しゅうを施したドレスだけでいいですよね」
「ええ、お願い」
 カイラがクローゼットから魔糸で刺しゅうを施したドレスを取り出し、鞄に詰めていく。他にも必要なものを鞄に詰めていき、ふと、サイドチェストの中の糸紡ぎの存在を思い出す。
(あれは大切なものだものね……)
 この家に置いていけば、確実に処分されてしまう。スッと立ち上がり、サイドチェストから糸紡ぎを取り出す。大事に布に包み、鞄に詰め込んだ。


「ふう、これだけで済んだわね」
 レティシアの前には、大きな鞄が二つと小さな鞄が一つ。あまりの少なさに、自分でも驚いた。自分にとって、大切なものというのはこれ程しかなかったようだ。
「では、私も明日の荷造りをしてきますね」
「遅くまでごめんなさいね、カイラ」
 時計を見れば、もう日を跨いでいる。申し訳なさそうにするレティシアに、カイラは二ッと笑顔を返す。
「お嬢様の為ならこんなの苦でもありませんよ。では、ごゆっくりとおやすみください」
 笑顔のまま、カイラが部屋から出ていく。レティシアは明日の魔導公爵の出迎えの為、早朝から用意しなければならないだろう。そう考え、すぐさまベッドに潜り込んだ。
「……セシル様」
 ぎゅっと、右手を胸に押し当てる。あの方の温もりを、心地よさを、忘れたくない。出来ることならば、今すぐこの家から抜け出したい。でも魔法の使えないレティシアにはそんなことは不可能だ。久方ぶりに、頬を温かな雫が伝った。