客間へと移動し、レティシアはセシリアスタと共に椅子に腰掛けた。クラリックの持ってきた婚約書と魔道ペンがレティシアとセシリアスタの前に出される。セシリアスタは懐から同様に婚約書を取り出すと、指先に魔力を籠め、二つの婚約書にサインをしていく。魔道具もなしに手早く婚約書という名の契約書に名が書かれていく様は凄いの一言だった。書き終えると、レティシアに二通の婚約書が手渡された。
(本当に、書いてもいいのかしら……)
 不安になり、目の前に座る両親をちらりと見やる。スルグもユノアもレティシアへは視線も向けず、セシリアスタへ困惑とも驚愕ともとれる表情を浮かべていた。
 レティシアは次にすぐ隣のセシリアスタに視線を向ける。視線に気付くと、微かに口角を上げながら魔道ペンを差し出され、レティシアは意を決して婚約書にサインをした。
 魔道ペンでサインを書き終えた婚約書が、淡く光り出す。書き記したセシリアスタとレティシアの名前が浮かび上がり、宙で光の輪となり交わる。交わると、そのまま光は婚約書のサインに溶け込んでいった。
「……これで、婚約は成立だな」
 セシリアスタは持ってきた婚約書を手に取り、懐に仕舞う。セシリアスタの言葉を聞き、レティシアはホッと安堵に溜息を吐いた。
「レティシア嬢、行こう」
「え……?」
 立ち上がるよう促され、レティシアはセシリアスタの手を取り立ち上がる。肩を抱かれ、客間を後にした。
「お、お待ちください!」
 慌ててスルグがユノアと共に追いかけてくる。セシリアスタは足を止め、二人に振り返った。
「済まないが、私は忙しい。此処で失礼させて貰う」
 その言葉に、レティシアは一つの仮説が浮かび上がる。
(もしかして、私の為……?)
 もしセシリアスタがレティシアの婚約のことを知っていたのなら、婚約の旨を記した魔法便のことも、パーティー翌日の訪問も頷ける。だが、それはレティシアにとって都合のいい解釈だ。
 きっと、セシル様も早く婚約云々から解放されたかったのだろう。だからこうして忙しい中、クォーク邸まで足を運んだのだ――。そうに違いない。レティシアはそう思った。

 エントランスまで戻ると、従者の一人がセシリアスタの元へ歩み寄ってきた。
「セシリアスタ様、支度の方が完了しました」
「わかった。すぐに発つぞ」
「はっ」
 頭を垂れ、すぐさま馬車の方に向かう従者。レティシアはエントランスで待機させられていた使用人達に振り返る。皆、向ける表情は穏やかだった。
 レティシアはセシリアスタに肩を抱かれながら、小さく会釈する。涙が溢れないよう、唇を噛み締めながら、エントランスを出た。

 使用人達の穏やかな表情で見えていなかったが、エントランスにスフィアの姿がなかったのを、レティシアは気付いていなかった。