竜星トライアングル ポンコツ警部のドタバタ日記

 翌日も捜査一課の窓際で捜査員たちが出入りするのを見守っている芳太郎である。 時々は電話が掛かってくるが課長が応対している。
 机の上にはこれまでの捜査記録をまとめたファイルが置いてある。 まあ、でも事件に関わることは無いから閉じられたまま。
 捜査員たちはグループに分かれて入念な打ち合わせを続けている。 (あの事件はどうなったんだろう?)
佐々岡のあの事件だ。 しかし調べてもファイルが出てこない。
不思議に思っていると刑事の一人が芳太郎の机にやってきた。 「警部補は何を調べてるんですか?」
「佐々岡の事件だよ。」 「ああ、あれなら管轄は大町署ですよ。 だからここは関係無いんです。 安心してくださいな。」
若い刑事はニヤッと笑って戻って行った。 (大町か、、、。)
 それにしても引っかかることが有る。 あの駅前なら担当は中柳署のはずだ。 何ゆえに大町なのか?
 彼はそこにあの女の存在が有るような気がした。 (あの女はいったい?)
 窓の外に目をやって考え事をしていると捜査員たちがざわざわと出ていく気配を感じた。 何処かのガさ入れにでも行くのだろうか?
フラリトホワイトボードに目をやる。 『ヘルシーソープ家宅捜査』と書いてある。
(ヘルシーソープ?) 何だか奇妙な感じがする。
あの男が絡んでいたのもソープだったからだ。 (最近は一目じゃ分からんからなあ。)
 最初は喫茶店のような佇まいだった。 中に入るとふつうにテーブルや椅子が並んでいる。
そしてウェイトレスが水を運んできて「ご注文は?」などと切り出す。 時が経ってボーイが出てくる。
客はコーヒーを飲みながら過ごしているはずなのに、いつの間にか露出の多い女たちに囲まれてしまっている。 金を払って出ようとすると「もう少しいいじゃない。 遊びましょうよ。」と外人が誘いに来る。
それを断れないでいるとスーツ姿の男が馬鹿丁寧に挨拶をして客を奥の間へ誘い込む。 後はドラマのような展開で、、、。
 この時に客は一杯のジュースを勧められるという。 それはもちろん、性欲増強剤である。
 意識を失うほどの強い刺激が有るという。 でもこれがまた病み付きになるほどの快感を齎せてくれるらしい。
真面目なサラリーマンほどこの罠に掛かるというのだから恐ろしい話である。
 芳太郎は自分が立ち会った捜査の現場を思い出しているのである。 店長と呼ばれていた男たちは決まって女たちを逃がそうと努力する。
逃がしてもすぐに捕まるのに、、、である。 なぜ逃がそうとするのか?
 それはそちらに警察の目を向けさせておいて隙を見て逃亡するためだった。 だからこそ、捜査班は二手に分かれて封じ込め作戦をやったものだ。
 日差しの暖かな窓際で居眠りしそうになりながら外の景色を見詰めている。 広い空をヒバリが自由に飛んでいくのが見える。
他には誰も居ない。 静かな部屋で芳太郎は頬杖をついているのである。
 昼になり、捜査員の1グループが帰ってきた。 と思ったら作戦会議である。
もちろん、芳太郎はお呼ばれすることも無く窓際で外を眺めている。 課長が飛び出して行った。
 「今日も何も無さそうだな。」 お茶を飲んでいると課長が戻ってきて、、、。
「大森警部補、あなたにも出番が来ましたよ。」と言う。 「何ですか?」
 「実は明日、小柳慎太郎という男のマンションを捜査するんです。」 「それで?」
「そいつのマンションは複数の部屋で売春行為をしているという情報が有りましてな。 その現場を押さえるわけですよ。」
「現場をね。」 「そう。 もう先発の捜査員が辺りに張り込んでいます。 あなたにもぜひ協力していただきたいわけですよ。」
課長はニヤニヤしながら芳太郎の顔を見詰めている。 「分かりました。」
「よろしく頼みましたぞ。 警部補なんですからな。」
「警部補なんですからな、、、。」 そこには彼の冷ややかな嫌味が込められている。
ムッとしそうになるのだが、ここで感情を出してしまっては折角の仕事が台無しになってしまう。 なんせ、彼にとっては久々の張り込みなのだから。
 その日も仕事が終わって5時半には署を出ていく。 春の暖かな夕日が彼の背中を押している。
警邏隊のパトカーが出て行った。 芳太郎は一人、駅へと歩いていく。
 警察、なんとまあ難しくて厳しい仕事なのか、、、。 時には命を落とし、時には見えない圧力を受け、正論でさえも捻じ曲げてしまう狂気の世界。
 暴力団捜査のために覚せい剤中毒になってしまった刑事が居る。 麻薬ルートを洗い出していて殺された警部が居る。
秘密を握ったがために組から逃げられなくなった捜査員が居る。 しかし誰も彼らを助けようとはしない。
 それどころか組長に取り入って仲間になってしまうやつらも居る。 正義感なんて最初の数年かもしれないな。
 芳太郎の先輩にもそんな人たちが居た。 そして彼らは地獄へ落ちて行ったのである。
 電車を降りるといつもの屋台へ飛び込む。 「おー、来たかね。」
親父さんはいつもと変わらず仕込みをしながら通りを眺めている。 ラッシュアワーも始まったようだ。
 「今夜も日本酒でいいかね?」 「よろしく頼むよ。」
 目の前で焼けている皮を親父さんが小皿に取る。 芳太郎は飲みながらそれを受け取る。
 親父さんがこの場所で屋台を始めたのは15年前。 それまではサラリーマンだった。
何を思ったのか、デスクワークに遣り甲斐を感じなくなって屋台を始めたんだそうだ。 「焼鳥屋の親父さんに弟子入りしてしごいてもらったんだ。」
たれの作り方、肝や皮の焼き方、生きのいいネタの選び方、それはそれは厳しかったらしい。
最初は誰も来なかった。 それで残ったネタは次の日の朝食にした。
一か月、焼き続けてやっと来たのはサラリーマンだった。 でもその人はその後しばらく来なかった。
(どうしたんだろう?)と思っていたら2か月ほど経って3人の友達を連れてきた。
客が入り始めたのはそれからだ。 隣にはラーメン屋の屋台が並んだ。
焼き鳥と豚骨ラーメンの匂いが辺りに漂って何とも言えない昭和のような景色になってきた。
そうこうしているうちに警察官も立ち寄るようになって今に至っている。 いろんなことが有ったもんだ。
 「仕事はどうだい?」 「どうこうって言えるほどの物じゃないよ。」
「そっか。 あんたも窓際族なんだな?」 「あ、ああ。」
「でもさあ、窓際族ってここだっていう所で力を出すって言うじゃないか。 頑張れ。」 「ありがとう。」
 今夜もラジオが流れている。 ニュースをやっているらしい。
芳太郎は何気に耳を澄ませた。 「有名インフルエンサーにセクハラ疑惑勃発。」
(何だろう?) 肝を齧りながら聞いているとある保守系のインフルエンサーがセクハラをやっていたっていう話である。
「最近の男は落ちたなあ。」 「男だけじゃない。 女だって相当な悪だよ。」
「だろうな。 政治家も芸能人も一般人も毎晩よろしくやってらっしゃるみたいだし。」 「ああやって遊び惚けて自滅するんだろうなあ。 俺たちは遊ぶ余裕すら無いのに。」
 あいつが浮気してるの、あいつは遊び人だの、一夜妻だの、借り物だのと浮世話は其処彼処に転がっている。
芸能人はそれを「芸の肥やしだ。」と言い捨てて今夜も遊ぶ。 警察官だって女を抱かされて狂った人間が何人も居る。
金と薬と女遊びは男を亡ぼすのに格好の材料だからな。
 そうかと思ったら女だって、こちらはこちらで女王様が幅を利かせてしまって金の有る所に群がってアテンド地獄に嵌まり込んでいる。
何とか平然を装いたいならカマキリには捕まらないことだね。 捕まったら骨の髄までしゃぶり尽されてしまうから。
 インフルエンサーの中でも女遊び 男遊びは蔓延している。 会社じゃないから自浄作用なんて物は無い。
 登録者数が多いほど上せ上がってくるらしい。 最低だね。
 「追加料金を払うから本番をやらせろ。」なんて言い出すやつが居るのには目玉がひっくり返ったよ。
 「それにしても男も女もだらしなくなったなあ。」 「ああ、セクハラインフルエンサーのことかい? 表に出たのは氷山の一角にもならないやつらだよ。」
「というと?」 「インフルエンサーと名の付くやつらなら誰もがやってると見て間違いじゃない。 やってないほうが珍しいくらいだ。」
「そうなのかね?」 「登録者が万を越えて再生回数が爆増すればドサッと金が入る。 そうなりゃあ、天下はこっちのもんだって思い上がる。 それでやっちまうんだよ。」
「そうか。」 「有名所なら月に何百万 何千万って入るようになるだろう。 金に任せて女を食べてるんだよ。 女だって同じだ。」
「汚らわしい生き物だね。」 「あいつらは生き物じゃない。 金に飼われてる憐れな連中だよ。」
 駅前通りは人通りが少なくなってきた。 隣のラーメン屋にはおじさんたちが集まっている。