芳太郎は関心の無い目で日本酒を飲んでいる。 男はさっさと肝を齧ってしまうと席を立った。
「勘定を頼むよ。」 ボソッと言ってから芳太郎を見やる。
そしてふらりと去って行った。 「あの男は、、、?」
「あんたは関わらないほうがいい。 中島の甥っ子だ。」 「何だって?」
「以前、捜査一課の警官が殺されただろう。 それを仕切ったのはあいつだよ。 もちろん証拠は何処にも無いがね。」
「親父さんは何でそれを、、、?」 「ここで甥っ子と川村が打ち合わせをしてるのを見てたから。 もちろん仲間内では秘密にしてあるがね。」
「そうか。 下手したら親父さんの身も危ないんじゃないのかい?」 「馬鹿みたいに陽気に酒を出して飲ませてりゃあ、やつらは怒らない。 それでいいんだよ。」
夕暮れの人通りが増えてきた。 屋台にもまた男が寄ってきた。
芳太郎は2杯目の日本酒を飲んでいる。 辺りには肝や皮を焼くいい匂いが漂っている。
焼鳥屋の隣にはラーメン屋が暖簾を揺らしている。 この辺りでは珍しい豚骨らしいんだ。
「昼からグツグツと煮込んで夕方には出来た出汁を詰め込んでやってくるんだ。 麺も手打ちだからねえ。 そこらのラーメンとは違うよ。」
脂ぎった顔の親父さんはラーメンを煮ながら得意そうである。 何でも15年くらい修行してやっと店を出させてもらったのだそうだ。
「師匠は厳しくてねえ。 煮込みがあまいとお玉でぶん殴られたりしたもんだよ。 時には鍋ごと道路に捨てられちまってなあ。」
懐想しながらコップの水を一気に飲み干す。 首に巻いたタオルが揺れている。
芳太郎は肝を食べながら親父さんの手捌きを食い入るような目で見詰めている。 「不思議かい?」
「いやいや、手に職を付けるとはよく言うけど、すごいもんだなって思ってたんだよ。」
「俺たちの仕事は生きのいい食べ物が相手だ。 命を焼いて人様に食べてもらうんだ。 いい加減な覚悟じゃやれないよ。」
「それもそうだな。」 「あんただってそうだろう? 追い掛けるのは犯罪者だ。 被害者のことを忘れたりは出来ないだろう?」
「確かにね。 命が絡んだ仕事だ。 手抜かりは許されん。」 「でも中には腐ってる警官も居るからな。」
「それもそうだ。 まったくどうしようもないな。」 「ここで肝を食ってたやつの中にも腐っちまった警官が何人か居る。 薬は焼き鳥よりも美味しいらしいからね。」
親父さんはそう言うと注いである日本酒を飲んだ。 「今夜は飲みましょう。 お互いに大変だが吹っ切らないとね。」
それで俺が家に帰ってきたのは1時を過ぎてからだった。 翌日は有休を取ってあるから気を遣わずに飲めたんだ。
最近は技術修練とかいうのを疎かにするやつらが多過ぎる。 親父さんはそうぼやいていた。
野球選手であれ、体操選手であれ、医師であれ、基本を蔑ろにした人間はいつか滅び去る。
スポーツをやる人間であれば柔軟体操は欠かせない。 それを馬鹿にしたために肩を壊して滅びた人間が居ただろう?
体操だって何だって基本が出来て初めて難しい技を繰り出せるんだ。 技が有って自分が居るわけじゃないんだよ。
鞍馬とか吊り輪とか平行棒とか、俺たちから見れば「これが何になるんだ?」って思うような物ばかりだが、基本をみっちりと鍛えておけば誰だって選手になれる。
今はさ、表面のキラキラした所ばかり見せるからダメなんだよ。 下積みが無いのにいきなり月面宙返りなんて出来ないだろう?
スノボでも何でもそうだ。 世界大会で優勝したとか、そんな場面ばかり見せるから中途半端なファンが増える。
そしていきなり同じことをやろうとしてケガをする。 それが原因で「自分には向かない。」って思い込むと競技自体を嫌いになる。
モーブルだってそうだろう。 基本から地道に積み上げてきたからオリンピックで対等に戦えるまでになったんだ。
確かにすごいことだよ。 でもね、ローマは一日にして成らずだよ。
赤ちゃんが一日で大人にならないように、技術物は何年もかけて磨き上げていくんだ。
包丁一本見たってそうだろう。 最初からあの形で出来ていたわけじゃないんだ。
何千年も工夫しながら磨き上げながらやっと作り上げた物だ。 そうだろう。
俺たちが作ったんじゃない。 この日本という国も何千年もかかって右往左往しながらやっとこれだけの国に作り上げたんだ。
建設は一生、破壊は一瞬だよ。 ダイナマイトだけでビルが吹き飛ぶだろう。
建てるのは簡単なことじゃない。 基礎を固めてその上に少しずつ重ねていくんだ。
重ねながらバランスを見たり、歪みを調整したり、装備を追加したりしていく。 熟練した技術者が必要になってくる。
どの世界でも熟達するまでには相当な時間が掛かるんだよ。 即席じゃ何も出来ないよ。
でもさ、たまにいきなり難しいことをやってのける人間が出てくる。 でもそれは一瞬の煌めきに過ぎない。
年代物とか年季が入ってるとか言われる人たちにはやっぱり適わないんだよ。 それが分かってない。
悲しい世の中だね。
暗い部屋の中で娘のことを突然に思い出すことが有る。 もうすぐ命日が来る。
「守ってやれなかった。 今だって悔しいだろう? 俺は守れなかったんだ。 この手で犯人を捕まえることすら出来なかった。」
その犯人は高裁での判決を待っている所だ。 地裁では懲役3年、、、だったよな。
死なせてしまったのだから執行猶予は付かなかった。 けれど弁護士は無駄に騒いで心神喪失を認めさせようとしている。
何か有れば心神喪失とか心神耗弱を持ち出して無罪を認めさせようとする。 そんなことをして何になるんだ?
殺した人間は生き延びて殺された人間はいつまでも浮かばれない。 そんなことが許されていいのか!
しかも娘は首を絞められた上に腹を切り裂かれていた。 このような犯人を無罪放免してもいいのか?
人は何故、極限に追い込まれると精神障害を装うのだろう? 確かに刑法には書いてある。
心神喪失、心神耗弱を認める場合には減刑及び免罪を認めると。 だからって全ての人が対象ではない。
なのに弁護士はこれを利用する。 汚いよ。
昔なら一人殺せば死刑だった。 惨酷だとか何だとか意見は有るだろうがね。
それからしてみりゃ現代は命が軽くなったなあ。 二人以上殺さないと死刑判決は出さないんだから。
永山ルールとかいう物が有る。 それを基準にしているそうだ。
何でもかんでも悪人は死刑にしろとは言わないよ。 でもさ、命は1対1なんだ。
そうじゃないかね? 俺はそう思うが、、、。
江戸時代のことを調べてみた。 放火には火炙りもやっていた。
張り付けにして槍で突き上げるとか、斬首とかいろいろ有ったよね。 洲巻なんてのもやってたっけな。
や、、、の人たちがやりそうなこともやってたんだなあ。 それが全て見直され、処刑といえば絞首になったんだ。
その上で追加するなら仇討は禁止されていた。 赤穂浪士が処刑されたのはこれだね。
藩主の仇討を決行した。 もちろん、処刑は覚悟の上で。
今ではどうかなあ? 分からんなあ。
ぼんやりと考え事をしているうちに俺は寝てしまったらしい。 気付いたら毛布が掛けられていた。
思えばもう何年も妻と一緒に寝てないんだ。 食事すら一緒にしてないな。
寂しい夫婦だねえ。 警官だからしょうがないか。
そうは割り切っているけれど、たまには夫婦二人で旅行したいもんだ。 「旅行ですって? 今更無理よ。」
妻はそう言って逃げてしまう。 今更新婚さんみたいにイチャイチャするのもどうかと思っている。
たまにはくっ付くのもいいもんだぞ。 そうは思うが、妻がこれでは、、、。
「勘定を頼むよ。」 ボソッと言ってから芳太郎を見やる。
そしてふらりと去って行った。 「あの男は、、、?」
「あんたは関わらないほうがいい。 中島の甥っ子だ。」 「何だって?」
「以前、捜査一課の警官が殺されただろう。 それを仕切ったのはあいつだよ。 もちろん証拠は何処にも無いがね。」
「親父さんは何でそれを、、、?」 「ここで甥っ子と川村が打ち合わせをしてるのを見てたから。 もちろん仲間内では秘密にしてあるがね。」
「そうか。 下手したら親父さんの身も危ないんじゃないのかい?」 「馬鹿みたいに陽気に酒を出して飲ませてりゃあ、やつらは怒らない。 それでいいんだよ。」
夕暮れの人通りが増えてきた。 屋台にもまた男が寄ってきた。
芳太郎は2杯目の日本酒を飲んでいる。 辺りには肝や皮を焼くいい匂いが漂っている。
焼鳥屋の隣にはラーメン屋が暖簾を揺らしている。 この辺りでは珍しい豚骨らしいんだ。
「昼からグツグツと煮込んで夕方には出来た出汁を詰め込んでやってくるんだ。 麺も手打ちだからねえ。 そこらのラーメンとは違うよ。」
脂ぎった顔の親父さんはラーメンを煮ながら得意そうである。 何でも15年くらい修行してやっと店を出させてもらったのだそうだ。
「師匠は厳しくてねえ。 煮込みがあまいとお玉でぶん殴られたりしたもんだよ。 時には鍋ごと道路に捨てられちまってなあ。」
懐想しながらコップの水を一気に飲み干す。 首に巻いたタオルが揺れている。
芳太郎は肝を食べながら親父さんの手捌きを食い入るような目で見詰めている。 「不思議かい?」
「いやいや、手に職を付けるとはよく言うけど、すごいもんだなって思ってたんだよ。」
「俺たちの仕事は生きのいい食べ物が相手だ。 命を焼いて人様に食べてもらうんだ。 いい加減な覚悟じゃやれないよ。」
「それもそうだな。」 「あんただってそうだろう? 追い掛けるのは犯罪者だ。 被害者のことを忘れたりは出来ないだろう?」
「確かにね。 命が絡んだ仕事だ。 手抜かりは許されん。」 「でも中には腐ってる警官も居るからな。」
「それもそうだ。 まったくどうしようもないな。」 「ここで肝を食ってたやつの中にも腐っちまった警官が何人か居る。 薬は焼き鳥よりも美味しいらしいからね。」
親父さんはそう言うと注いである日本酒を飲んだ。 「今夜は飲みましょう。 お互いに大変だが吹っ切らないとね。」
それで俺が家に帰ってきたのは1時を過ぎてからだった。 翌日は有休を取ってあるから気を遣わずに飲めたんだ。
最近は技術修練とかいうのを疎かにするやつらが多過ぎる。 親父さんはそうぼやいていた。
野球選手であれ、体操選手であれ、医師であれ、基本を蔑ろにした人間はいつか滅び去る。
スポーツをやる人間であれば柔軟体操は欠かせない。 それを馬鹿にしたために肩を壊して滅びた人間が居ただろう?
体操だって何だって基本が出来て初めて難しい技を繰り出せるんだ。 技が有って自分が居るわけじゃないんだよ。
鞍馬とか吊り輪とか平行棒とか、俺たちから見れば「これが何になるんだ?」って思うような物ばかりだが、基本をみっちりと鍛えておけば誰だって選手になれる。
今はさ、表面のキラキラした所ばかり見せるからダメなんだよ。 下積みが無いのにいきなり月面宙返りなんて出来ないだろう?
スノボでも何でもそうだ。 世界大会で優勝したとか、そんな場面ばかり見せるから中途半端なファンが増える。
そしていきなり同じことをやろうとしてケガをする。 それが原因で「自分には向かない。」って思い込むと競技自体を嫌いになる。
モーブルだってそうだろう。 基本から地道に積み上げてきたからオリンピックで対等に戦えるまでになったんだ。
確かにすごいことだよ。 でもね、ローマは一日にして成らずだよ。
赤ちゃんが一日で大人にならないように、技術物は何年もかけて磨き上げていくんだ。
包丁一本見たってそうだろう。 最初からあの形で出来ていたわけじゃないんだ。
何千年も工夫しながら磨き上げながらやっと作り上げた物だ。 そうだろう。
俺たちが作ったんじゃない。 この日本という国も何千年もかかって右往左往しながらやっとこれだけの国に作り上げたんだ。
建設は一生、破壊は一瞬だよ。 ダイナマイトだけでビルが吹き飛ぶだろう。
建てるのは簡単なことじゃない。 基礎を固めてその上に少しずつ重ねていくんだ。
重ねながらバランスを見たり、歪みを調整したり、装備を追加したりしていく。 熟練した技術者が必要になってくる。
どの世界でも熟達するまでには相当な時間が掛かるんだよ。 即席じゃ何も出来ないよ。
でもさ、たまにいきなり難しいことをやってのける人間が出てくる。 でもそれは一瞬の煌めきに過ぎない。
年代物とか年季が入ってるとか言われる人たちにはやっぱり適わないんだよ。 それが分かってない。
悲しい世の中だね。
暗い部屋の中で娘のことを突然に思い出すことが有る。 もうすぐ命日が来る。
「守ってやれなかった。 今だって悔しいだろう? 俺は守れなかったんだ。 この手で犯人を捕まえることすら出来なかった。」
その犯人は高裁での判決を待っている所だ。 地裁では懲役3年、、、だったよな。
死なせてしまったのだから執行猶予は付かなかった。 けれど弁護士は無駄に騒いで心神喪失を認めさせようとしている。
何か有れば心神喪失とか心神耗弱を持ち出して無罪を認めさせようとする。 そんなことをして何になるんだ?
殺した人間は生き延びて殺された人間はいつまでも浮かばれない。 そんなことが許されていいのか!
しかも娘は首を絞められた上に腹を切り裂かれていた。 このような犯人を無罪放免してもいいのか?
人は何故、極限に追い込まれると精神障害を装うのだろう? 確かに刑法には書いてある。
心神喪失、心神耗弱を認める場合には減刑及び免罪を認めると。 だからって全ての人が対象ではない。
なのに弁護士はこれを利用する。 汚いよ。
昔なら一人殺せば死刑だった。 惨酷だとか何だとか意見は有るだろうがね。
それからしてみりゃ現代は命が軽くなったなあ。 二人以上殺さないと死刑判決は出さないんだから。
永山ルールとかいう物が有る。 それを基準にしているそうだ。
何でもかんでも悪人は死刑にしろとは言わないよ。 でもさ、命は1対1なんだ。
そうじゃないかね? 俺はそう思うが、、、。
江戸時代のことを調べてみた。 放火には火炙りもやっていた。
張り付けにして槍で突き上げるとか、斬首とかいろいろ有ったよね。 洲巻なんてのもやってたっけな。
や、、、の人たちがやりそうなこともやってたんだなあ。 それが全て見直され、処刑といえば絞首になったんだ。
その上で追加するなら仇討は禁止されていた。 赤穂浪士が処刑されたのはこれだね。
藩主の仇討を決行した。 もちろん、処刑は覚悟の上で。
今ではどうかなあ? 分からんなあ。
ぼんやりと考え事をしているうちに俺は寝てしまったらしい。 気付いたら毛布が掛けられていた。
思えばもう何年も妻と一緒に寝てないんだ。 食事すら一緒にしてないな。
寂しい夫婦だねえ。 警官だからしょうがないか。
そうは割り切っているけれど、たまには夫婦二人で旅行したいもんだ。 「旅行ですって? 今更無理よ。」
妻はそう言って逃げてしまう。 今更新婚さんみたいにイチャイチャするのもどうかと思っている。
たまにはくっ付くのもいいもんだぞ。 そうは思うが、妻がこれでは、、、。



