やっとの思いでタクシーを捕まえた彼は疲れた顔で我が家へ戻ってきた。 「お帰りなさい。」
洗い物をしていた妻はいつものようにそう言うと水を入れたコップを芳太郎に渡す。 「飲んできたんでしょう? 鯵の干物を焼いておきましたからお腹が空いたら食べてくださいな。」
 そう言うと(やれやれ、、、)という顔で自分の部屋へ引っ込んでしまった。 芳太郎もなぜか胸騒ぎが収まらずに居間をウロウロしている。
(刺されたあの男は、、、。) 彼にはその顔に見覚えが有るのである。
 男の名前は佐々岡一成。 ずっと前、芳太郎がまだ捜査員だったころに覚醒剤に関わる事件で引っ張ったことが有るのだ。
結局は嫌疑不十分で釈放されたのだが、どうも腑に落ちない男であった。

 自称 サラリーマンだとは言っているが、行動範囲が想像以上に大きく、人脈も深く広いのである。
(何処かに裏と繋がっている証拠が有るはずだ。) そう思った彼は地味に探り続けていた。
ところが、、、。
 当時の県警本部長から捜査の中止と配置転換を申し付けられてしまった。 もう20年も前の話だ。
(あの男がなぜ今?) 疑問が疑問を呼び、彼の頭はそれだけでいっぱいになってしまった。
 佐々岡一成、、、芳太郎が捕まえた頃は確かにサラリーマンだった。
ところが、それから数年後、彼はソープをあちらこちらに作っていた。 しかもいろんなタイプの店を、、、。
カムフラージュソープとでもいうのだろうか、喫茶店の奥だったり、治療院の看板を出していたり、マンションの中だったり、、、。
何件かは潰したのだが、潰せば潰すほど分かりにくくなってくる。
そのうちの一件から働いていた女たちの話が取れた。
 それを聞いていた芳太郎は思わず腕組みをしてしまった。
 彼女たちは全てが観光ビザの不法滞在者だった。
出身国はフィリピン タイ ベトナム カンボジア スリランカ、、、。
しかも給料のいい仕事を世話すると言われて観光ビザを渡されるらしい。
もちろん、観光なんていうのは真っ赤な嘘。 空港に着いた彼女たちは一か所に集められる。
そして接客方法を簡単に教えられた彼女たちはそれぞれの店へ送り込まれる。
「あとは客の言うとおりにやっていればいい。」と言うわけだ。
 何人もの女を強制送還した。 しかし、それだけでは収まらなかったらしい。
カムフラージュソープから薬が撒かれているらしいという情報が入ってきた時にはさすがにみんな驚いてしまった。
「薬って?」 「分からん。 スピードボールだって言う人も居るし、コカインだって言う人も居る。」
「とにかく今は情報が溢れすぎてて整理しないと動けませんよ。」 捜査課はざわついていた。
そこへ捜査一課長候補 長澤敏行が殺されたというニュースが飛び込んできた。 「やられたな。」
「やられたって誰に?」 「中島だよ。 中島富雄だよ。」
「あの、、、、中島建設のですか?」 「そう。 やつは絶対に尻尾を残さない。 やったことは事実なんだが、証拠が何も残ってない。」
「状況証拠で引っ張れないんですか?」 「無理だ。 やつは何処にも姿を現さないんだよ。 それでいて確実に消してしまう。」
「状況証拠でやろうとしてもやつが手を出しているわけじゃないから引っ張れないんだよ。」 「それじゃ、、、。」
 中島建設はこの辺りでは知れている博打屋である。 総長は江戸時代から続く名門だと嘯いているらしいが、、、。
 県内の大きな工事はその七割を中島が締めている。 その下には神崎組とか山田建設とか中堅の土木屋が犇めいている。
この近くでも建設途中のビルが建っている。 相当に美味しいらしいね。
 中島建設の新年会には県警の本部長も招待されている。 そして国会議員のお偉いさんたちも顔を並べている。
何代目かの本部長が中島建設の取締役に迎えられているって話も聞いたことが有る。
 こちらの情報はそいつから漏れているのではないか? そうも噂されているが、口にする人間は居ない。
何もかもが中島の思い通りなわけだ。

 翌日、佐々岡が死んだことがニュースで報じられた。 「死んだって?」
「どうもさ、心臓を下から狙っていたらしい。」 「下から心臓を?」
「そうなんだよ。 だから飛び付いて刺したわけじゃなくて、予め構えて刺したんだな。」 「慣れてますね。 その女。」
「問題はそこなんだ。 その女が何者なのか分からなければ事件は解決しない。」
みんなは考え込んでしまった。
どうにもこうにも謎が深すぎて解けないのである。 昼間で悩みぬいた芳太郎は近くのラーメン屋に飛び込んだ。
「さてと、、、豚骨でも頼むか。」 店員を呼んで注文を済ませるとコップの水を飲む。
すると、スーツ姿の二人の男が店に入ってきた。 辺りをジロリと睨み回してからカウンターの一番奥へ、、、。
「野菜炒めと醤油ラーメンを貰おうか。」 一人の男が注文をする。
それにしても二人はほとんど話さない。 不思議なくらいに話さない。
芳太郎は何だか気になってチラッチラッと視線を走らせている。 男たちはそれには気付かないようで、運ばれてきたラーメンを美味そうに食べている。
 やがて髪の短いほうの男がスーツのポケットから紙切れを取り出して、隣の男に渡すのが見えた。
(あれは何だろう?) 気にはなるが、事件の捜査でもないから再びラーメンに目を落として、、、。
「じゃあ、よろしく頼みましたよ。」 その声にハッとした。
県議会議員の川俣喜三郎である。 (なんで川俣が、、、?)
解けない謎がさらに増えてしまった。 浮かぬ顔で署に戻ってきた彼は椅子に座るとメモを開いた。
「おやおや、大森警部補、お勉強ですか?」 捜査員のとぼけた質問にみんなはドッと笑った。
「違うんだ。 調べ物だよ。」 「調べ物ねえ。 ふーん。」
あれやこれやと捜査依頼が来る忙しい部屋である。 捜査員も朝から出たり入ったり、、、。
いくら平和な大谷署であってもこうなのだ。