スイート×トキシック


 澄みきった瞳に迷いや不安はなくなっていた。
 苦しげに眉を下げる。

「……いままでごめん。俺のわがままに付き合わせて」

 する、と手が離れていく。
 わたしは何も言えないまま、立ち上がった彼を見上げた。

(向き合うことにしたんだ)

 以前、彼と衝突して投げかけた言葉を思い出す。

『……そうやって、気に入らないことはぜんぶ拒絶するんだね。いつもいつも、わたしの言葉は最後まで聞かないで』

 この誘拐に始まって、最初からずっと十和くんは現実から逃げようとしていた。
 わたしと、この小さな“お城”に閉じこもることで。

 けれど、それが間違っていると、悪いことだという自覚があるから、自分を責める言葉のすべてを拒絶していた。

 そのときの彼にとって、そういう都合の悪い言葉を受け入れるのは、この生活を壊してわたしを手放すことを意味していたのだ。

(……でも、十和くんは変わった)

 目を背けないで、現実と向き合って、認めることにしたのだろう。

 この日々に終わりがあることを。
 わたしたちの立場や関係性を。

『この時間がずっと続けばいいのにな』

 夢は所詮、夢だから。
 いつか覚めたら、幻みたいに消えてなくなる。

 できることなら、見ないふりを続けていたかった。
 先延ばしにして考えたくなかった。

 だけど十和くんが決めた以上、わたしも選ばなきゃいけない。
 同じように、現実と向き合う覚悟を決めなくちゃならない。

「……じゃあ行ってくるね、芽依」

 戸枠のところに立ち、彼はいつものように微笑む。

 さっきの言葉に返すようなことを何か言いたかったのだけれど、うまくまとまらなかった。

「行ってらっしゃい」

 ただそれだけを告げて、曖昧に笑って見送ることしかできない。

 それでも十和くんは嬉しそうに、満足気に笑みを深めた。
 その姿が見えなくなるとすぐに玄関の音が聞こえてくる。

 開け放たれた部屋のドアを眺めながら、わたしはしばらく呆然(ぼうぜん)としていた。

 いまさら罠だなんて疑う余地もない。
 なのに、何だかそれが逆に悲しくもある。

(何なの、この気持ち)

 矛盾だらけで、ちぐはぐで、自分でも追いつかない。

 あれほど切望した“自由”にようやく手が届くというのに、どうしてこんなに虚しいんだろう。



 顔を洗ったり、髪を()かしたり、朝の支度を淡々と済ませた。

 制服に着替えてからダイニングへ行けば、確かに彼の言っていた通り、テーブルの上にトーストが置いてある。

 ふと周囲を見回してみる。
 ここへは初めて入った。

(広いなぁ……)

 この部屋も、十和くんの家自体も。
 こんなに広いところでずっとひとり暮らししているのかな。

 モダンで綺麗な雰囲気なのだけれど、どこか寒々しくて寂しい。
 ひとりでは広すぎる。

(わたしが出ていったら、ひとりぼっち?)