「……お願いがあるんだけど」
手を引っ込めつつ、そう切り出す。
彼は不思議そうな表情で首を傾げた。
「ん?」
「あのね、これからはフォークを使いたいなって。駄目かな」
十和くんが眉を寄せる。
「どうして?」
「えと、ずっと手錠つけてるから力が入らなくて……」
でたらめというか、適当な嘘をついた。
通用するかどうかは賭けだったけれど、この場において確実なことなんてない。
少なくともフォークと鍵をすぐさま結びつけはしないはずだ。
わたしの言葉自体に不信感はないはず。
ややあって、十和くんが頷いた。
「なるほどね。じゃあ、俺が食べさせてあげる」
「えっ」
予想外の展開となった。
いや、この流れには覚えがあるし、想定しておくべきだったのだろうけれど……。
「そんな、悪いよ」
「大丈夫だよ。俺には何の負担でもないし」
「でも……」
「なに、遠慮しないで。俺がしたくてするんだって」
返す言葉が見つからなかった。
どうしよう、完全に十和くんのペースだ。
慌てたけれど、何を言っても彼に封じ込められてしまう。
食べさせてもらうなんて論外だし、何よりそれでは目的を果たせない。
「どうしたの、青い顔しちゃって。嫌なの?」
十和くんは挑発でもするかのような余裕のある笑みを浮かべていた。
まるで、もう答えなど分かりきっているみたいな聞き方だ。
そして彼の問いかけに対する答えは一択しかない。
「そ、そうじゃないけど……」
嫌に決まっているし、十和くんもそう見透かしているのだろうけれど、あくまで譲る気はないようだ。
困った。困り果てた。
でもこれ以上、一触即発の押し問答を続けるのは危険な気がした。
彼の機嫌を損ねるのも怖いし、わたしに何か狙いがあるんじゃないかと疑われるのも避けたい。
「じゃあ決まり。ね?」
「……うん」
一旦、大人しく引き下がろう。
詰めが甘かったわたしの負けだと認めるしかない。
十和くんは一見無邪気な笑みをたたえた。
でも、どれほど優しいふりをしたって、その影にはいつでも狂気が潜んでいることを知っている。
彼と接する中で覚えた嫌悪感も怒りも恨めしさも親近感も、恐怖の後には残らなかった。
傍らでいつも怯えている。
ここへ来てからわたしはずっと、十和くんのことが怖いんだ。