手を引っ込めつつ、控えめにそう切り出す。
「ん?」
「あのね、これからはフォークを使いたいなって。だめかな」
十和くんが眉を寄せる。
「どうして?」
「えと、ずっと手錠つけてるからうまく力が入らなくて……」
でたらめというか、適当な嘘をついた。
通用するかどうかは賭けだったけれど、少なくともフォークと鍵をすぐさま結びつけはしないはずだ。
わたしの言葉自体に不審な点はないはず。
ややあって、十和くんが頷いた。
「そういうことね。じゃあ、俺が食べさせてあげる」
「えっ」
予想外の展開になった。
いや、この流れには覚えがあるし、想定しておくべきだったのだろうけれど。
「そんな、悪いよ」
「大丈夫だよ。俺には何の負担でもないし」
「でも……」
「遠慮なんかしないで。俺がしたくてするんだって」
返す言葉が見つからなかった。
どうしよう、完全に十和くんのペースだ。
慌てたけれど、何を言っても彼に封じ込められてしまう。
しかも、今回は冗談だと撤回するつもりもなさそう。
食べさせてもらうなんて論外だし、何よりそれでは目的を果たせないのに。
「どうしたの、青ざめちゃって。もしかして嫌なの?」
十和くんは挑発でもするかのような余裕のある笑みを浮かべていた。
まるで、もう答えなど分かりきっているみたいな聞き方だ。
そして、答えは確かに一択。
「そ、そうじゃないけど……」
嫌に決まっているし、十和くんもそう見透かしているのだろうけれど、あくまで譲る気はないみたいだ。
困った。困り果てた。
だけどこれ以上、一触即発の押し問答を続けるのは危険な気がした。
彼の機嫌を損ねるのも怖いし、わたしに何か狙いがあるんじゃないかと疑われるのも避けたい。
「じゃあ決まり。ね?」
「……うん」
一旦、大人しく引き下がろう。
考えが甘かったわたしの負けだと認めるしかない。
「やった。何かこういうのも憧れてたんだよね、俺。恋人っぽくてよくない?」
十和くんは一見、無邪気な笑みをたたえて箸を持った。
けれど、どれほど優しいふりをしたって、その影にはいつでも狂気が潜んでいることを知っている。
彼と接する中で覚えた嫌悪感も怒りも恨めしさも親近感も、恐怖のあとには残らなかった。
傍らでいつも怯えている。
いまだって。
◇
何日か経ったある日の昼下がり、十和くんが部屋のドアを開けた。
「芽依、ケーキ食べよ?」
自分の分とわたしの分、同じロールケーキを手にしている。
(そっか、今日は休日?)
曜日感覚なんてとっくに失ってしまった。
彼が休んでいるだけで平日なのかもしれない。



