スイート×トキシック


(……あれ?)

 彼がそうすることを予想していなかったわけではなかった。
 けれど、覚悟していたような抵抗感は一向に訪れない。

 温もりに惑わされているのは、どっちなんだろう。



     ◇



 ノックの音で目を覚ます。
 布団とラグのお陰で、起きたときに身体が痛むことはなくなった。

「おはよ。よく眠れた?」

 ドアから顔を覗かせた十和くんの、清々しい笑顔が眩しい。

「おはよう……」

 そう返しながらゆっくりと起き上がる。

 何だかいつもより窮屈(きゅうくつ)な感じがしなくて、そういえば両足の拘束を解いてもらえたことを思い出した。

 手錠は食事のときだけ外してもらえるみたいだった。
 それでも十分な進歩と言える。

 お風呂も毎日許されたから、傷の治りも早くなっていた。

 あの日以来、彼から直接的な暴力は受けていないし、この待遇の向上といい、わたしの作戦は(こう)(そう)したのだと思う。



 顔を洗ってから部屋へ戻る。

 特定の範囲内とはいえ、目隠しも拘束もなしでわたしを歩き回らせるということは、かなり警戒を緩めているにちがいない。

 少しずつ、本当に少しずつだけれど、脱出に近づけているはず。

 ちょうど十和くんが朝食を運んできてくれていた。
 甘くて香ばしい、いいにおいがする。

「……はちみつ?」

「そう、はちみつトーストだよ。昼は用意できないから2枚焼いといた。冷めちゃうけど」

 十和くんが肩をすくめるのを見て、わたしは首を左右に振った。

「十分だよ、本当にありがとう。手間かけさせちゃってごめんね」

「ううん、俺が我慢させてただけ。……まあ、まださせちゃってるんだけどねー」

 伸びてきた手がわたしの手錠に触れた。
 ちゃり、と鎖が鳴る。

 “まだ”ということは、これも足首の拘束のように常時(じょうじ)外れる可能性があるのかもしれない。

「こうやってちゃんと捕まえておかないと不安になるんだ。芽依ちゃんを失いそうで。……なんて言ったら、俺のこと嫌いになる?」

「そんなこと……」

 口をついた言葉は、彼のためか自分のためか分からなかった。
 だから戸惑って最後まで言いきれなかった。

 ふ、と微笑んだ十和くんは「よかった」と呟く。

「じゃあ今日もいい子で留守番しててね、芽依。行ってきまーす」

 呼び方が変わったことに気づくと、驚いてとっさに反応できなかった。

 行ってらっしゃい、と返す前に、それを求めることもなく彼は部屋から出ていってしまう。
 ほどなくして玄関ドアの音がした。

「…………」

 ふ、と思わず小さく笑みがこぼれる。
 もしかすると、どこか照れていたのかもしれない。

(“芽依”って……)