戸惑いに明け暮れてしまう。

 そんなわけがない。

 そう思うのに、朝倉くんの存在が心の隙間に割り込んでくる。

 少し癖のついた彼のふわふわの髪が、わたしの頬や耳元をくすぐった。

「いい子にしてたんだね。よしよし」

 抱き締めたまま、頭の後ろの部分を撫でられる。

 回された腕の力は強くて、昨日のように“好き”だと伝えているようでも、逃がさないという意思の表れのようでもあった。

 おもむろに離れた朝倉くんが眉を下げる。

「ごめんね、芽依ちゃん。ほっぺたとか首とか痛かったよね」

 しおらしく謝られ、困ってしまう。

 今朝とは違って反省しているようには見えるけれど、だからって素直に認めていいものか分からなかった。

「だ、大丈夫。平気」

 咄嗟にそう答える。

 これ以上、今朝のことを掘り返すのは怖い。
 彼に“暴力”という選択肢を与えたくない。

 思わず、俯くようにして首元の傷を隠した。

「ほんとごめんね。お詫びのしるし、あげる」

 ごそごそとリュックの中を探ると、取り出した何かを差し出される。
 いちご味のクッキーだった。



『わたし、いちご味って好きなんだ。苺ミルクもそうだし、お菓子とかも』

『へぇ、そうなの? 覚えとくね』

 昨日のそんなやり取りから、選んでくれたのだろう。

 そのときはまさか、こんなことになるなんて思いもしなかった。

「…………」

 可愛らしいクッキーの包装に視線を落としたまま逸らせないでいると、彼の手が伸びてきた。

 びくりとおののき、身体の芯が強張る。
 無遠慮なその手が、怖い。

「クッキーは嫌いだった?」

 朝倉くんがわたしの手首を掴む。

「そんなこと、は……」

「よかった、じゃあ受け取ってよ。仲直りしよ?」

 撫で下ろすように触れられた掌が仰向けにされ、そっとクッキーが載った。

 眉を下げる彼は、申し訳なさそうにわたしを見つめている。

 それでいてその眼差しも温もりも、有無を言わせない鋭さを秘めていた。

「許してくれる?」

 ────何を?
 わたしはその双眸を見やる。

 殴ったこと? 首を絞めたこと?
 ここへ連れ去って監禁したこと?
 そのすべて?

 心の中を駆け巡った言葉や感情を、表に出さないよう努めた。

「…………うん」

 許せるはずがない。
 許すわけないでしょ。

 そうなじりたいのをこらえ、頷いたわたしは唇を噛み締める。

「ありがとー。芽依ちゃんはやっぱ優しいなぁ」

 朝倉くんは満悦したようににっこりと笑った。

 不本意ではあるけれど、屈する判断は正しかったのだろう。

 今朝みたく理性を失っていたら、自分の寿命を縮めていたかもしれない。

(悔しいけど……)

 ここでは、わたしの命はクッキーよりも軽いんだ。