「入居時のご近所へのご挨拶は、できましたら、ご夫婦で行かれることをお勧めします。

今後のおつきあいにも響いてまいります。お隣だけでなく、できるだけ多くの方にご挨拶なさってください」


さきほどみなさんのお部屋に伺いました、川崎棟以外のお宅にも挨拶に行ったほうがいいですかと亜久里が聞くと、


「ご挨拶回りを終えられたのですね。余計なことを申しました。失礼いたしました。

居住棟以外へのご挨拶は、行かれる方もいらっしゃいますし、そうでない方もいらっしゃいます。

川崎棟だけでも問題ないかと存じます」


思います、ではなく、存じます、というのかと、明日香はそんなところに感心した。

棟長の話は続く。


「お部屋についての注意を申し上げます。玄関の開け放しは、犯罪防止のためにもお控えください。

数年前ですが、川崎棟の一階に空き巣が入りました。外出時の施錠は必ずお願いいたします。

川崎棟は道路に面しています、部外者の侵入にはくれぐれもご注意ください。

設備について注意点を申し上げます。

電気契約は20アンペアです。変更は認められませんので、ご了承ください。

エアコンをお使いの場合の、炊飯器と電子レンジの同時使用は、ブレイカーが落ちる原因になります。ご注意ください。

洗濯は、夜8時までに済ませてください。それ以降の洗濯は、お控えください。

騒音について、気をつけていただきたい点がございます。

社宅には交代勤務の方も大勢いらっしゃいます。夜勤を終えてお昼間に睡眠をとります。

普通の生活音はそうでもありませんが、大きな物音や声は睡眠の妨げになりトラブルの元にもなりますので。

それから、ゴミは朝8時までにお願いします。前夜のゴミ出しは禁止です。

ゴミの分別は、市から配布されるパンフレットを参考に仕分けしていただきます。

転入届はお済ですか? まだですね。わかりました、のちほどパンフレットの写しをお届けいたします。

ゴミステーションの掃除は当番制です、そちらの書類をご覧ください。

まずはこれくらいお伝えしておけばよろしいでしょう」


ありがとうございますと、亜久里とともに頭を下げたが、明日香は 「お控えください」 や 「ご注意ください」 を覚えるのに必死だった。


「そうそう、忘れるところでした。奥様方の歓迎会を計画しております。来週の月曜日、11時から、社宅会議室で行います。

明日香さん、10時45分にお迎えに参りますね」


川森棟長に言われて、「はい、よろしくお願いします」 と明日香は笑顔で返したが、名乗ってもいないのに親しく名前を呼ばれて妙な気分だった。

棟長だから入居者の名前を把握していてもおかしくはないが、いきなり名前で呼ばれるのはどうにも落ち着かない。

『梅ケ谷社宅』 の奥様は、互いを名前で呼ぶ習慣があるのか、棟長のことも 「キョウコさん」 と呼んだらいいのだろうか。

明日香の頭は忙しく動き回っていた。


「今年は、『梅ケ谷信和会』 に三人の方が入会されます。三棟、それぞれおひとりずついらっしゃいます。

新入会員の方の歓迎会ですから、どうぞ、なにもお持ちにならず、明日香さんも気軽においでくださいね。

こう申し上げても、みなさん、なにかしらお持ちになるんですよ。ですから、最初にお伝えしましょうと、棟長会議で話し合いました。

お引越しでお疲れの方に、お気遣いさせては申し訳ありませんから」


はい、はい、と明日香は、川森今日子が立ち去るまで、何度返事をしただろう。

細部にわたる棟長の長話を聞いている間に、引っ越し作業はすっかり終わっていた。