○珠子のマンション・リビング(夜)

珠子「エルピスの花嫁‥‥?」

幸夜「そう、希望の花嫁」

珠子の手を取ったまま、幸夜が答える。

珠子「なに、それ‥‥意味わかんない」

珠子は身を引くような仕草をするが、幸夜に手を握られているため、動けない。

珠子「だって、私はみんなみたいな不思議な力とかないよ?」

咲仁「パンドラはただの人間だ。俺たちと違ってなんの力もない」

困惑する珠子に、憮然と答える咲仁。

咲仁「それでも、オマエは希望を宿してる」

榴「俺がパンドラの魂を冥府から運んできた。間違えるわけがない」

幸夜だけでなく咲仁や榴にまで言われ、逃げ場がなくなる珠子。

花「ずっと側で見守ってきたの。貴女がパンドラよ」

助けを求めるように花を見るが、花にまでそう言われ限界がくる。

珠子「貴女って、そんな他人行儀な呼び方しないで!」

叫び、幸夜の手を振り解く珠子。

珠子「私はパンドラなんかじゃない!」

涙をこぼし、花を見つめる珠子。

珠子「みんな勝手なことばっか言わないで!」

花「珠ちゃん‥‥」

珠子「馴れ馴れしく呼ばないで!」

花は珠子を心配そうに見つめるが、激昂した珠子は受け入れない。

珠子「なによ、見守ってたとか。
友達だと思ってたの私だけなんでしょ!?」

珠子は泣きながら四人を睨みつける。

珠子「花もみんなも大っ嫌い!」

リビングの扉を大きな音を立てて閉めて、自室に駆け込む珠子。

幸夜は珠子を引き留めようと手を出した姿勢のまま、大嫌いと言われたショックで固まっている。

静かに涙を流し、榴に抱きつく花。
榴は花の肩を抱く。

咲仁は素知らぬ顔で咳をしている。

咲仁「まあ、想定内の反応だろ」

榴「やはり、幼いうちから言含めておいた方がよかったのでは?」

幸夜「それは無い」

花の頭を撫でながら話す榴に、幸夜が振り返る。

幸夜「アイツにバレなきゃ、珠子ちゃんは何にも知らないまま、僕と幸せになれたんだから」

榴「確かにそれが理想だったが、結局そうはならなかっただろ」

咲仁「極東まで来た割には、案外早くバレたな」

榴「ここまで無事に育ってくれただけ、良しとするしかないだろう」

恋しそうに珠子が出てったリビングの扉を見つめている幸夜。

○珠子のマンション・自室(深夜)

ベッドの上で突っ伏していた珠子がゆっくりと起き上がる。

珠子(寝ちゃってた‥‥)

珠子は目を擦るが、その目は泣き腫らしている。

珠子(喉渇いた)

ベッドから足を下ろす珠子。

○珠子のマンション・廊下(深夜)

そっと扉を開けて、珠子が自室から出てくる。

扉を開けたすぐ横で、幸夜が布団に包まり壁にもたれて眠っていた。

珠子(そばにいてくれたんだ)

嬉しさと申し訳なさを感じる珠子。

珠子は幸夜を起こさないよう、そっと忍び足でリビングに向かう。

○珠子のマンション・リビング(深夜)

珠子がリビングに入ると、ソファーで咲仁が眠っている。

起こさないように珠子は明かりもつけずキッチンの方へそっと向かおうとするが、咲仁のスマホのアラームが鳴る。
暗闇に浮かび上がるスマホの明かり。

すぐに咲仁の手が伸びてアラームを止めた。

咲仁「少しは落ち着いたか?」

起き上がり、珠子の方も見ずに言う咲仁。

珠子「私が起きる時間、わかってたの?」

体を硬くする珠子。

咲仁「そういう力だからな」

あくびをしながら、立ち上がる咲仁。

咲仁「気持ち悪いか?」

珠子と向き合い、咲仁はニヤリと笑う。

珠子「神様って、本当なの?」

咲仁「本当。
今は人間に身を落としてるから、大した力はないけどな」

珠子の前を横切り、キッチンに向かう咲仁。

咲仁「まあ、なんか食え。メシも食わずに寝ただろ」

咲仁は冷蔵庫を開けて中を物色して、珠子を振り返る。

咲仁「腹が減ってはなんとやらって言うんだろ。まずはそれからだ」

珠子が泣き喚いたこともなにも、咲仁は気にしていない様子だった。

咲仁「幸夜みたいな手料理期待するなよ。チャーハンとピラフどっちがいい?」

冷凍庫を開けながら聞いてくる咲仁。

珠子「ピラフ‥‥」

○珠子のマンション・ダイニング(深夜)

ピラフを食べ終わり、空の皿の前で水を飲んでいる珠子。

珠子「花と榴先輩は?」

咲仁「帰らした。特に花の家はおっかないからな」

笑う咲仁。

珠子「花のお母さん、知ってるの?」

咲仁「古い付き合いだ」

はっとする珠子。

珠子「もしかして‥‥」

咲仁「おまえの知ってる花の母親、あいつは豊穣の女神デメテルだ」

驚く珠子。

咲仁「化身の俺らに人間の親はいないが、アイツは正真正銘の花の――ペルセポネの母親だ」

咲仁の言葉に、神妙な顔つきになる珠子。

珠子「もしかして、パパも‥‥?」

珠子が暗い顔になるが、咲仁は真っ直ぐに見つめて答える。

咲仁「喜久は――炎の神、ヘイパイストスだ」

息を呑む珠子。

咲仁「親が昔なじみだってのは嘘。昔なじみなのは俺ら自身だ」

咲仁の言葉に俯いてしまう珠子。
咲仁は憐憫の眼差しを向ける。

咲仁「喜久の愛情を疑ってやるな。花の友情もだ」

俯いたまま涙を流す珠子。

咲仁「喜久は娘として、花は友として、おまえを慕ってる。パンドラをじゃない、高良珠子をだ。
わかってやれ」

珠子「うん……」

目を擦り、泣き止もうとする珠子。

咲仁「そもそも、おまえとパンドラは似ても似つかん。パンドラは絶世の美女だったからな」

揶揄うように笑う咲仁に、涙が引っ込む珠子。

珠子「悪かったわね!
どうせ私は地味ですよ」

拗ねた様子の珠子を、面白そうに見ている咲仁。

咲仁「悪かねえだろ。俺は、パンドラより珠子の方が好きだよ。
人形みたいに隙のない顔より、おまえの百面相の方が面白い」

珠子(私の方が、好き‥‥?)

好きと言われ、赤くなる珠子。
珠子の表情に、失言に気づき誤魔化すように咳をする咲仁。

咲仁「幸夜に言うなよ、殺されるから」

珠子「う、うん‥‥」

珠子(否定はしないんだ)

咲仁に好きと言われて嬉しさが込み上げる珠子。

咲仁「なんにせよ、おまえは希望の花嫁だ。胸を張れ」

珠子「その、希望の花嫁ってなんなの?
そんなの聞いたことないよ」

咲仁「まあ‥‥人間側は知らないことだからな」

珠子の食べ終わった食器を手に取り、キッチンに持っていく咲仁。

珠子「パンドラの箱なら聞いたことあるけど‥‥
私が、災いの入った箱を開けたから、だからあんなのに襲われるの?」

咲仁を追いかけて、席を立つ珠子。

咲仁「違う。
おまえが箱を開けたのは、キメラをけしかけた奴等の思惑通りだ。
思惑を外れて、おまえが希望の花嫁になったから、おまえは命を狙われている」

珠子「命を‥‥」

改めて言われて青ざめる珠子。

咲仁「人間を害悪と判断した最高神ゼウスは、災厄を振り撒き洪水を起こして人類を滅ぼそうとした。
でも、パンドラの娘ピュラーがそれを阻止した」

咲仁が珠子を真っ直ぐに見つめる。

咲仁「希望の花嫁は聖母なんだよ」

咲仁の指が伸びて珠子の下腹部、子宮のあたりに触れる。

咲仁「おまえの娘は特異点なんだ。
神が定めた災厄寄せ付けず、寿命以外は誰も彼女を殺せない」

至近距離で見つめ合う珠子と咲仁。

咲仁「彼女が作った方舟は生き残り、人類は未来を繋ぐことが出来た。
だが今、ゼウスは再び人類を滅ぼそうとしている」

真剣な眼差しの咲仁に、黙って聞くしかない珠子。

咲仁「それを阻止するには、パンドラの娘が必要だ。
彼女の力をそのままに生まれ変わらせるには、同じ親から生まれる必要がある」

咲仁の指が下腹部から上へ移り、珠子の顎に触れる。

咲仁「だからおまえはここに居て、幸夜がいる」

珠子「それって‥‥」

目を見開く珠子。

珠子「私が幸夜くんの子どもを産まないと人類滅亡ってこと?」

咲仁「そうなるな」

珠子の顎から手を離し、食器を洗い出す咲仁。

咲仁「だから、ゼウスはピュラーが生まれる前に母親であるおまえを殺そうとしている。
だが、ピュラーを孕めば襲撃は終わるはずだ。
誰も彼女を殺せない。胎児だとしても」

重要な話をしているはずなのに食器なんかを洗う咲仁を、珠子は呆然と見ている。

咲仁「幸夜は、悪いやつじゃないだろう。
少しでも好ましく思えるのなら、さっさと結ばれてしまえ」

珠子の方を見ずに淡々と話す咲仁。

咲仁「幸夜はおまえを愛してる。おまえもきっと幸夜を好きになる」

珠子の頬を一筋の涙が流れる。

咲仁「幸夜となら、おまえは幸せになれるよ」

咲仁の言葉に涙を乱暴に涙をぬぐい踵を返す珠子。

珠子(咲仁くんだけには、そんなこと言われたくなかった‥‥!)

珠子が出て行ったことに気がつきながら、洗い終わった皿をぼんやり眺めている咲仁。

咲仁「その方が、いいんだ‥‥」

○ 珠子のマンション・廊下(深夜)

バタバタと戻ってきた珠子の足音に、幸夜が起きて立っている。

幸夜「珠子ちゃん!? どうしたの」

ボロボロと涙を溢す珠子に動揺を隠せない幸夜。
珠子に手を伸ばすが、珠子はビクリと体を震わせて黙って自室に飛び込んでいってしまった。

幸夜「無理矢理、君を物にしようだなんて考えてないから、怖がらないで」

暗い廊下に一人残される幸夜。
珠子の自室の扉に額を押し付ける。

幸夜「僕を愛して」