「だからあの薬を渡したら面倒くさいことになるって言ったでしょ!」

 クロエの薬屋のカウンターで、ルナはテネから説教をされていた。 

「ううう、警備隊員さんの命が助かったから良いじゃない……」
「また来たらどうするのさ! ルナが魔女だと近衛隊に知られたら全てが水の泡なんだからね?!」
「うう、わかってるよう……」

 テネに怒涛に攻められ、ルナは涙目になる。

「テネくん何だって?」

 傍目には独り言を言うルナを見守っていたクロエが間に入る。ルナはクロエにテネの話を説明する。

「ああ、テネくんの心配ももっともだけどね、エルヴィンなら心配ないんじゃないかな?」
「何で?」

 ルナの話を一通り聞いたクロエは、あっけらかんと言った。

「近衛隊の人事権は王太子殿下にあるわけだけど、今回エルヴィンが左遷された理由が……」
「仲間を庇って王女の逆鱗に触れた……」

 クロエと顔を見合わせ、ルナは頷く。

「エルヴィン・ミュラーを守るためね」
「あの聖女にして王女様は、気に食わない人間を勝手に処罰するからね」
「そっか」

 エルヴィンがルイードにとって大切な部下の一人だということだ。シモンにとりあえず預ければ安全だと。

「左遷するふりして守っているわけね」
「そういうこと」

 クロエのウインクに、ルナも笑顔を返す。

(さすがお兄様。でもどうか、無理をなさらず……)

 ここから見える王城は少し遠い。ルナは祈るようにガラス越しにドアの外を見る。

「テネくんも納得かな?」
「ルイが近衛隊を制しているなら問題ない」

 クロエの問に、テネがにゃーにゃにゃーと答える。

「何だって?」

 テネの言葉をクロエに訳すのはいつものことだ。

 いつものやり取りにルナは少しホッとする。

「じゃあ、ルナ、今日はスパゲッティ屋さんでも行っちゃう?」
「え……!」

 クロエの素敵な提案に、ルナは一瞬瞳を輝かせたが、すぐに首を振った。

「ダメだよ……。クロエと私が一緒にいる所、誰かに見られたらまずいでしょ?」
「そっか」

 クロエは寂しそうな表情でルナの頭に手をぽん、と置いた。

「一緒に行ける日が必ず来るよ」
「そんなの……」

 クロエの言葉に、ルナは「そんなの無理だよ」と言いかけて、やめた。

「そうだねっ!」

 笑顔を作り、ルナは元気よく答えてみせる。クロエはルナの頭をくしゃくしゃと撫でて、何も言わなかった。

 来たときと同じ裏口から出て、ルナはクロエと別れた。

 外套のフードを深めに被ってまだ街灯の明るい石畳を歩いて行く。途中、スパゲッティ屋さんがあった。

 一度、アリーと入ったことのある店。

 フレッシュなトマトのソースがとびきり美味しかったのを覚えている。いつかまた行きたい、と思っていた。一人で入る勇気も無く、時々こうして外から眺めるだけだ。

 中では家族や恋人同士で楽しそうに食事をしている人たちで溢れている。

「この国を守らないと。あの人たちの笑顔を……」
「そうだね」

 ルナの呟きに肩にいたテネがそっと寄り添う。

「クロエは私がここのスパゲッティ屋さんに憧れてるの知ってて誘ってくれたのに、悪いことしちゃたな」
「仕方無いよ」

『仕方無い』でどれだけ諦めてきただろう。

(やるべき使命を終えられたとして、その先に私の未来はあるのかな?)

 ルナはスパゲッティ屋を横目に、いつもの道のりで高台を目指す。

 高台に続く階段まで来ると、辺りはシン、と静まり返り、人気もない。城下町の脇にはこんな場所はいくつもある。

 警備隊により街は守られているが、街の外れに人は滅多に近寄らない。

(高台から見下ろす街の明かりは綺麗なのにね)

 警備隊も月の出る夜、ルナが訪れる時間に見回りは来ない。クロエの夫、シモンの協力があってこそ。

「一人だけど、一人じゃないんだよねえ……」

 ふふ、とルナが溢せば、テネの呆れた声が肩から漏れる。

「一人じゃ何も出来ないからね。……でも、ルナが一人でやらなきゃいけないことはある。それは僕も手伝えないことだよ」
「……わかってる。厳しいなあ、もう!」
「ルナは楽観的な所があるから僕が引き締めないと」
「ひどーい……」

 テネとぎゃあぎゃあといつものように言い合いをするのに夢中だったルナは周りを全く見ていなかった。

 階段を登りきり、高台に辿り着くと、フードを下ろす。しかし、一息つく間もなく、ルナは何者かに腕を掴まれてしまった。

(……見回りがいないからって油断したっ!)

 掴まれた腕から、その手の持ち主に視線を素早く動かす。

 手を取られて振り返った先には、エルヴィンがいた。

「エルヴィン・ミュラー?」
「君を待っていた! ここに来ればまた会えると思って!」

 必死な眼差しでこちらを見つめるエルヴィンに視線が縫い留められ、ルナは動けずにいた。

 掴まれた腕に力が入っており、少し痛い。でもそんな痛さなんかよりも、綺麗な夕日色の瞳をいつまでも見ていたい、とルナは思った。

「ルナ!!」

 ニャー、とテネの声が響き、ルナはハッと我に返る。

(シモンさんってば、またエルヴィン・ミュラーを制せなかったのね)

 エルヴィンに掴まれた腕に手をやり、ルナはにっこりと微笑んでみせた。

「まずは、この手を離していただけますか?」
「嫌だ」
「なっ?!」

 余裕を取り繕い、エルヴィンに声をかけたのに、意外な返答にルナから素が出てしまう。

「離すと君は逃げてしまうだろう」

 掴んだ腕を引き寄せられ、ルナはエルヴィンとの距離が縮まってしまう。

(何、何、何、何――――?!)

 綺麗な顔を近付けられ、ルナの顔は思わず赤くなる。そんなルナとは裏腹に、エルヴィンは真剣な表情で言った。

「君に、頼みがあるんだ」