「そんな事を想像していたのか、フェルナンド。昨日から機嫌が悪いのはその所為《せい》か? てっきり君に頼んだ『緘口令《かんこうれい》』の荷が重いのだろうと踏んでいたのだ。勘違いをするな、マリアは俺の恩人だ。恩を返すと言った俺が、恩人を捕って食うはずがなかろう!」

「我が主君の望む事ですから、あの娘に皇太子の身分を伏せておくための大掛かりな『隠蔽工作』などという無茶な特命も致し方ありません。
 しかしながら、皇太子であることをいつまでも隠し通せるとは思いません。あの娘が事実を知るのは時間の問題だ。それに」

 眉間の緊張を緩め、フェルナンドは真面目《まじめ》顔でニの句を継ぐ。

「あなた自身が初めて——《《自ら》》望んだ『お茶役』だ。マリアとかいうあの娘を妾《めかけ》にしたいと仰るのなら反対はしません。だがそれは、殿下がご自分の責務を果たされた上での事。下女の色香に溺れ、忘れたわけではありますまい」

「妾……? そんな事は先ずマリアが望まぬだろう。いや、俺が望まぬ」

「殿下が目を掛けて、あの娘が『お茶役』以上の感情を殿下に抱いたらどうするのです? あなたの恩人だと言うからには、これまでのように切り捨てる訳にはいかないでしょう」

 ジルベルトは、ふ、と小さく息を吐き、目蓋を伏せる。

「マリアに『お茶役』を命じるのは、マリアが俺を皇太子だと知るまでの僅かな時間だけだ。それにフェルナンド。断じて言うが、君が案じるような事には至るまい」

 冷徹なアイスブルーの瞳が(かす)かな悲哀の色を見せた。

 ——マリアは『冷酷皇太子』を、あれほどに恐れているのだから。