「ほえ……!? そ、そんにゃことが……」

 アナスタシアと共に彼女の寝室に戻ったアーヴェントはメイにも全てを説明した。驚きのあまり身体を震わせていたメイだったが、険しい表情から一転してパァっと明るい表情を浮かべて両手を合わせる。

「そんな素敵な出会いをお二人がしていらっしゃったなんて、メイは感激です!」

「……メイ、此処は驚く所じゃないのか?」

 アーヴェントが彼女の反応に逆に驚かされていた。メイのことだ、もっと驚くと思っていたのだろう。

「確かに驚きましたよ!? でも、お話を要約すると旦那様が実は吸血鬼で……アナ様の唄によって呪いが解けた……そして二人は再び運命の出会いをした……そういうことですよね?」

「ああ、かなりの要約ぶりだが」

「とっても素敵なお話じゃないですかぁ。私の一番大切なアナ様のことをそこまで愛してくださっていて、アナ様も本当の意味で旦那様を愛することが出来たんですから。それに旦那様は私との約束通り、アナ様と仲良く二人で此処に戻って来てくれましたからねっ」

 目に涙を浮かべながらメイが満面の笑みを見せる。それがアーヴェントにはとても嬉しかったようだ。

(メイらしい答えね……私が幸せであり、そして旦那様が私のことを愛してくれている……ただそれだけを祝ってくれているのだから)

「アナスタシア、お前は本当にいい侍女を持ったな」

「はい。私もそう思います」

 二人が優しく微笑み合う。今までに増して、二人の絆が深まったようにメイには感じられていた。

「そろそろ昼食のお時間ですね。ここでお召し上がりになりますか?」

 メイはとても気が利く。アーヴェントも同じことを考えていたようだ。

「ああ。頼めるか?」

「はい! お任せください。今、ご用意しますねっ」

 尻尾がついていたら恐らく左右の動きが激しいほど、メイは嬉しそうに礼をすると昼食の準備をするために寝室の扉を開けて出て行く。

「本当に頼もしいな、メイは」

「ふふ。私の自慢の侍女ですからね」

 そうだな、とアーヴェントも笑みを浮かべていた。しばらくすると、メイは昼食を運んできてくれた。てきぱきと二人のテーブルの上にそれらを並べていく。

「どうぞ、お召し上がりくださいっ」

 二人はメイに感謝の言葉を掛けながら、並べられた料理を口に運ぶ。

(今まで通りの美味しいナイトの料理……でも何だかいつもより美味しく感じる……)

 反対側の席に座るアーヴェントを見ながら、アナスタシアは幸せを噛みしめていた。それはアーヴェントも同様だったようだ。二人は終始笑顔で昼食を済ませるのだった。メイが後片付けを始めた頃、寝室の扉がノックされる。メイは扉を軽く開けて、相手を確認する。

「アーヴェント様、ゾルン様がお越しになりました」

「ああ、通してくれるか?」

「わかりました!」

 メイに扉を開けてもらい、ゾルンが寝室へと入室してくる。二人に軽く礼をした後、アナスタシアの方を見つめる。穏やかな笑顔を浮かべていた。

(ゾルンは私達の間に何があったか、わかっているみたい……でも敢えて何も触れないでいてくれるのね……とても紳士的でゾルンらしい)

 丸眼鏡の位置を白い手袋をはめた手で軽く直すとゾルンはアーヴェントの傍らに歩いてくる。よくみると手には恐らく何かの書類が入った箱を持参していた。彼と目を合わせたアーヴェントはゾルンの意を把握したようだ。

「大事なお話なら、メイは退室しましょうか?」

「いや、メイも聞いてくれ」

 アーヴェントの言葉を聞いて、メイも一礼してアナスタシアの傍らに立つ。片付けられたテーブルの上にはレイヴンとフレデリカからの手紙が置かれていた。ゾルンはそれを見て、再び丸眼鏡の位置を直す素振りをしていた。だが、特にそれに関しては口にしなかった。

「その手紙以外にも実はアナスタシアにはあるモノが届いているのだ」

(叔父様達の手紙以外にもまだ何か……?)

「それはリュミエール王国の王太子であるハンス・リュミエールからのアナスタシアへの召喚状だ」

「にゃ!?」

(ハンス殿下からの召喚状……)

 アナスタシアは冷静に話を聞いていた。もう驚くことはない、という強い面持ちをしていた。

「ハンス殿下から、ということは軟禁されているシリウス陛下の代わり……つまりは正式なリュミエール王国からの召喚状ということになりますね」

「アナスタシアの言う通りだ。この召喚状は現在の状況から考えれば、リュミエール王国の総意ととって間違いない」

 深紅の両の瞳と青と赤の両の瞳が見つめ合う。ゾルンはそれを静かに見守る。だが、メイは一人、慌てた様子を見せていた。

「にゃ! それはまずいんじゃないですか……? 正式な召喚状となればアナ様はそれに応じる必要がありますよね? アナ様はミューズ家のご令嬢なのですし……お二人の婚約は元々、リュミエール王国の王命なのですから」

 話の要点をよく理解しての発言だった。アナスタシアも同じことを考えていたようで、彼女の言葉に頷いてみせる。

「確かにメイの言う通りだ。レイヴン達の手紙だけではどうということはないが、相手はリュミエール王国として嫌疑のかかっているラスター公爵、そして公爵夫人に関わる聞き取りと称してアナスタシアをリュミエール王国に……いや、ミューズ家に戻そうという魂胆なのだろうな」

(確かにこの方法なら私を確実にリュミエール王国に戻すことが出来る……)

 そのことについて考えを巡らせているアナスタシアにアーヴェントは微笑みながら言葉を掛ける。

「アナスタシア、何も難しく考える必要はない。安心してくれ」

「アーヴェント様……?」

「こんな時の為に、俺達は『これ』を用意していたのだからな」

 ゾルンが話の流れを汲んで、そっとアーヴェントに持っていた箱を手渡す。すると彼はその箱をテーブルの上に置き、中から長い書状を取り出した。

(確かこれって……)

 アナスタシアにはその長い書状に見覚えがあった。かつてゾルンがオースティン家を代表して自分を迎えにきた時に目にしていたものだ。

「これは……オースティン家とミューズ家の間で取り交わされた婚約の証書、ですよね?」

「ああ、そうだ。詳しく言うと、その証書の写しであり控えだな」

(確かあまりの長さに叔父様が困っていたのを覚えてる……)

「アーヴェント様、どうして今これを見せてくれたのですか?」

 アナスタシアの言葉を受けて、アーヴェントとゾルンは一度目を合わせると笑みを浮かべていた。二人には珍しくとても意地悪そうな笑みだ。

「実はこの婚約の証書の中には()()()()が明示されているんだ」

「どのようなことか聞いてもよろしいですか?」

 ああ、とアーヴェントは長い文章で綴られた証書の最後の方を辿る。そしてある項目の所を広げてテーブルの上に置いてくれた。

「この項目だ」

(一体、何が明示されているのかしら……)

 アーヴェントが指し示した項目には次のように言葉が綴られていた。

―この証書は両家の婚約を結ぶものであり、加えてオースティン家に嫁ぐ令嬢はこれより先『シェイド王国の重要人物』としての扱いを受けるものであると此処に明示する。よってリュミエール王国からのいかなる申し出も受け付けることはない。これはシェイド国、現王であるアルク・シェイドの命である―

 その項目の最後にはアルク王の署名がされていたのだ。

「アーヴェント様、これは……」

「ああ。正式なアルク陛下からの署名だ。つまり、アナスタシア。お前は既にこのシェイド王国の管理下に置かれている。だから召喚状に応じる必要はない」

 アーヴェントに次いでゾルンも言葉を口にする。

「アナスタシア様もご存知でしょう。この証書の控え、そして元の証書にもミューズ家の現当主の署名がされております。その効力はあの時から既に発揮されているのです」

「そういえば……以前、証書を作成してくれたグリフも意味深なことを言っていたわ」

―まあ、相手が最後まで読んだかは……別の話じゃがな―

「あの言葉はこのことを言っていたのね」

「ああ、そういうことになるな」

(アーヴェント様達は私を迎えに来て下さる時にはもう不測の事態に備えていてくれていたのね)

「流石旦那様です! メイは感激しちゃいましたよぉ。良かったですね、アナ様っ!」

 メイは満面の笑みで喜んでくれていた。

「私はずっとここに居て良いのですね」

 安堵した笑みを浮かべながら静かにアナスタシアは呟く。それを見たアーヴェントも頷いてみせる。

「ああ、そうだ。それに……俺はお前をもう離すつもりはない」

(……!)

 その強い意思を持った表情と言葉、そして自分に向けられている深紅の瞳にアナスタシアは思わずときめいてしまっていた。顔や耳、頬が赤らむ。それを必死に隠すように俯いた。

「アナスタシア、お前は自信を持って前を向いていてくれ」

 そんな彼女の様子に気付いていないアーヴェントを見て、メイとゾルンが口を開く。

「にゃ。旦那様、もう少し空気を読んでくださいよぉ! アナ様はもう旦那様のお言葉で幸せの限界を迎えていらっしゃるんですからぁっ」

「アーヴェント様はもう少し女性の心というものを察せるようになったほうが宜しいですな」

 メイは自分も照れた表情を浮かべながらも心を弾ませながら笑ってみせる。反対にゾルンは丸眼鏡の位置を整えながら冷たい視線をアーヴェントに送っていた。

(二人とも敢えて、口に出さなくていいのに……っ)

「……すまん」

 頬を軽く右手で掻きながらアーヴェントが呟いた。

(アーヴェント様もどうか謝らないでください……余計恥ずかしくなりますからっ)

 この後、笑いがアナスタシアの寝室に響き渡る。二人は大きな山場を越えたのだった。それを祝うように窓からは輝く陽の光が差し込んでいた。