抱き合う二人の心臓が高鳴る。二人はお互いの鼓動を感じていた。

「まさか……六年前に庭園で見かけたあの黒い生き物がアーヴェント様だったなんて……」

「覚えていてくれたのか」

「はい」

 アーヴェントの胸に額を当てながらアナスタシアが呟く。アーヴェントは彼女の髪をそっと撫でる。それがアナスタシアには心地よく感じられた。

「初めてお前をこの庭園に案内した時、唄を聞かせてくれただろう? あの夜と同じ唄を聞けて俺は思わず心が震えて泣いてしまったんだ……恥ずかしい話だが」

(やっぱりあの時、アーヴェント様は泣いてらっしゃったのね……それほど私の唄を好きでいてくださったなんて……)

「この庭園は誰かの夢を表現して作ったとアルガンは言っていました。夢の主はアーヴェント様だったのですね」

 いつかのアルガンの話に合点がいったようで、アナスタシアはアーヴェントを見上げる。

「ああ、そうだ。あの時、瞳に焼き付いた美しい景色をアルガンに頼んで再現してもらったんだ。出来上がったその日からずっと俺は足繫く通ったものだ。ここに来ると、あの夜のことを鮮明に思い出せたからだ」

 深紅の両の瞳がアナスタシアを見つめていた。トクン、と彼女の心臓が高鳴る。

(嬉しい……アーヴェント様は六年も前からずっと私のことを想ってくれていたのね)

 顔を赤らめたアナスタシアも青と赤の両の瞳でアーヴェントを見つめる。二人の綺麗な瞳には互いの姿が映りこんでいた。

(今までずっとアーヴェント様が私にかけてくれていた言葉は全て心からの言葉だった……その一つ一つを思い出すだけで……私の胸は嬉しさでときめいてしまう……)

「アナスタシア、どうかしたのか?」

「ただただ、アーヴェント様のお言葉が嬉しくて……胸がいっぱいになっているんです」

 その言葉を聞いたアーヴェントは優しく微笑んでみせる。

「俺も嬉しいよ。お前に全てを話すことが出来たのだから」

「私も話して頂けて、とても嬉しいです……」

 アーヴェントの深紅の瞳を直視できなくなったアナスタシアは彼の胸の中で俯きながらそっと呟いた。心臓の高鳴りに呼応するように頬や耳も赤く染まっていく。その様子を見たアーヴェントは静かに口を開いた。

「お前とこの屋敷で会った時、俺も心臓が止まりそうだったのを覚えているよ」

「アーヴェント様……?」

「あの時の愛しの少女がこんなに素敵な令嬢に成長していたからだ。それに青と赤の両の瞳がまるで宝石のように美しく見えた。隠しきれるか……正直心配だった」

 そう言われたアナスタシアは初めて会った時のことを思い出す。まさかアーヴェントがそんな気持ちで自分と接してくれていたとはその時は考えもしなかった。

「ボロが出そうな俺を見て、ゾルンやラスト達もかなり助け船を出してくれていた。その反面、厳しい小言を貰っていた」

 少し困った表情を浮かべるアーヴェントを見て、クスっとアナスタシアは笑ってみせる。

「そうだったのですね」

「あれには参ったよ」

(ゾルンやラスト達も私のことを知っていて接してくれていたのね……今日まで見守ってくれていたみんなの心遣いもとても嬉しい……後でちゃんとお礼を言わなくちゃ……)

「私は幸せ者ですね……アーヴェント様にこんなに想って頂けている上に、皆にもよくしてもらって……」

「お前には幸せになる権利があるんだ。俺達が再び出会えたことを天国の父上も喜んでくれているはずだ」

「はい……そうだと私も嬉しいです」

 二人は微笑み合う。トクン、と再びアナスタシアの心臓が高鳴る。溢れ出しそうな想いが一つの形へと変わっていく。

「アーヴェント様、一つお願いがあるのですが……」

「ああ、何でも言ってくれ」

「アーヴェント様とお話をしていて……新しい唄を思いついたんです。聞いてもらえますか……?」

「もちろんだ……聞かせてくれ」

「ありがとうございます」

 アナスタシアはそっと歩き出す。こちらを見ているアーヴェントを見つめながらカーテシーを添える。

(此処が私とアーヴェント様の『約束の場所』……)

 高鳴る胸を両手で押さえながら、アナスタシアは口を開く。静寂に包まれた庭園にアナスタシアの綺麗な唄声が響き渡る。

【咲き誇る花のように こぼれるその笑顔が 私の心を包み込む 此処が二人の約束の場所 陽と月が寄り添うように あふれる愛しさが 貴方の想いを届けゆく 此処が二人の約束の場所 愛しき心と想いよ 色褪せることなく 永久に 共にありたまへ】

 唄い終わったアナスタシアの胸の中でアーヴェントへの想いが止めどなく溢れ出す。もう抑えておくことは出来なかった。アナスタシアはずっと胸の奥に閉まっていた想いを言葉に変えてアーヴェントに伝える。

「アーヴェント様……」

「どうした、アナスタシア」

 アナスタシアは数歩、アーヴェントに近づく。そっとアーヴェントは彼女を抱き寄せた。見上げながらアナスタシアの青と赤の瞳がアーヴェントを映す。

「私も貴方が好きです……この屋敷で暮らしていく中でその気持ちはどんどん大きくなっていきました。そして真実を聞いた私は今……貴方への想いで胸がいっぱいです……」

「アナスタシア……」

「貴方を愛しています……私のこの想いと唄を貴方に捧げます……だから、この先もずっとお傍にいさせてください」

「もちろんだ、アナスタシア。俺もお前を愛しているよ」

 二人が静かに見つめ合う。そして二人はそっと互いの唇を重ね合わせるのだった。

 庭園を優しい風が吹き抜けていく。

「……」

 心臓が高鳴り、真っ赤になったアナスタシアにアーヴェントは優しく声を掛ける。

「そろそろ冷たくなってきたな。屋敷に戻ろうか。メイも心配しているだろうからな」

「はいっ」

 幸せでいっぱいになったアナスタシアは花のような明るい笑顔を浮かべていた。

 二人はお互いの手を握りしめて屋敷へと戻っていく。アナスタシアの寝室に戻ると、メイが泣きながら二人の帰りを喜んでくれた。

 ゾルン達七人の使用人達もそれぞれ、通い合った二人の想いを感じているようだった。