祝賀記念パーティーから一週間程経ったその日、朝食の席にはアーヴェントの姿はなかった。アナスタシアの傍らにはメイの姿があり、二人を食堂で待っていたラストからアーヴェントは朝早くから執務室で仕事をしていると説明を受けたのだった。

 当のアーヴェント本人は本邸の執務室にその姿があった。傍らにはゾルンがいた。執務室には普段と違ったピリピリとした雰囲気が漂っている。そして二人の視線の先、執務机の上には二通の手紙と一枚の書類が置いてあった。手紙はどちらもリュミエール王国からの物だ。書類はゾルンの保持している情報筋からの報告書のようだ。

「……まさかこんな方法に打って出てくるとはな」

「さようですな」

 アーヴェントは報告書を手に取り、内容をもう一度見返す。報告書にはリュミエール王国で王太子であるハンスが起こした『ある行動』について書かれていた。更に、それによって一つの国の不祥事が明らかにされていた。アーヴェントの表情が険しくなり、粗雑に置かれていた二通の手紙を深紅の両の瞳で睨みつけていた。

「ハンス・リュミエール、まさかここまでの痴れ者だったとは……」

「外交官であるレイヴン・ミューズの完全な傀儡(かいらい)になったとみて間違いありませんな」

「ああ、奴の娘であるフレデリカの色香に堕ちた時から既にある程度の予想はしていたがな」

 二人は淡々と状況を整理していた。状況の把握することで、これからの自分達の行動指針を定めておく必要があったからだ。まず必ずやっておくことがあった。それは一番大切なことだ。

「ゾルン、メイを除いた屋敷の使用人達全員に周知と伝達を頼む」

「はい。既にラストが動いてくれております」

「助かる……このことは絶対にアナスタシアには伝えるな。彼女のことを思うなら、絶対にだ。そしてしばらくの間、依頼人を含めた外部の者の出入りを禁じる。関係各所に連絡を頼む」

 執務机に両肘を置き、両手を顔の前で組みながらアーヴェントが強い言葉で指示を出す。ここまで厳しく情報を規制することが大切なアナスタシアを守ることになると考えていたからだ。ゾルンにもその想いは伝わっていた。

「では、フェオルとグラトンにその役目を任せましょう。出入りに関しては屋敷の正門に配置する使用人の数を増やしておきます」

「ああ、それで頼む」

 アーヴェントは軽く深呼吸をしてみせる。

「……事態はリュミエール王国だけではなく、このシェイド王国にも既に広がっているだろう。しかもこの方法ならシリウス王を無力化することが出来る。レイヴンという男ならやりかねん。そして何よりもアナスタシアの心に一番痛手を与えられる……」

 再び、アーヴェントは机の上に置かれた二通の手紙に目を移す。

「そしてこの手紙だ。今までのように無視することが出来ない内容になっている。相手側は必ずこちらがこの手紙をアナスタシアに渡すだろうと踏んでいるに違いない……だが、それをみすみすこの俺が許すと思うな」

 深紅の瞳がまるで炎のように燃えているように映る。その様子を見守っていたゾルンが口を開いた。

「ご主人様もどうか、焦らず冷静にいてくださいませ」

「俺は焦っているだろうか。 ……いや、お前の言う通りだな」

「それも全てはアナスタシア様を想ってのことだということは私共も理解しております。ですが、いつまでもこのままの状態を維持していられるものでもありません。いずれはアナスタシア様に説明する時がきます。『このこと』だけではなく『全て』を、です」

 アーヴェントは右手で自分の顔を覆う。俯くと何度か首を左右に振る仕草をする。その後、大きなため息が漏れた。

「正直……こんなに早く決心をしなければいけない状況になるとは俺自身考えていなかった。わかってはいるが……『全て』を彼女に話すなら俺も気持ちの整理が必要だ。済まないが、アナスタシアへの情報を規制するこの数日間……俺も時間が欲しい」

 その表情からは悲痛さが伝わって来ていた。

「かしこまりました」

 ゾルンはそれ以上何も言わなかった。

 アーヴェントは机の上に置かれた二通の手紙、そして報告書を手に取るとふいに立ち上がる。そして火を起こしておいた暖炉に近づくとそれらを燃え盛る炎の中に投げ捨てた。すぐに皆、燃え尽きていく。深紅の両の瞳はそれをじっと見つめていた。

「これでいい……。さて、俺はアナスタシアに朝食の弁解に行ってくるとしよう」

「なら、私は先ほどの件をフェオルとグラトンに頼みに行って参ります」

「ああ、頼む」

 アーヴェントとゾルンは軽く微笑みながら執務室を後にした。

 それからしばらく経った時のことだ。

 誰もいないはずの執務室に一つの人影が現れたのだ。その人影は静かに火が消えた暖炉に引き寄せられるように近づいていく。灰が積まれた暖炉の前までくると、そっと手を燃え尽きた灰の山に差し出した。

 すると驚くべきことに灰になったはずの二通の手紙がまるで、燃やしていなかったかのような綺麗な状態に復元されたのだ。

「欲にまみれた手紙……まだ役目は終わってはいない」

 二通の手紙を持った何者かの人影がそう小さく呟くと、ゆっくりとその姿は執務室から消え去るのだった。

 アーヴェントとアナスタシアに最大の試練が訪れようとしていた。