別邸の一室で昼食を共にしたアナスタシアとアーヴェントはラストが用意したお茶を口にしていた。そこでアーヴェントが話を切り出す。

「アナスタシア、午後は久しぶりに一緒に庭園を見て周らないか?」

 午前中、アナスタシアに自分の仕事を手伝ってもらったことでアーヴェントはとても機嫌が良かった。その流れで今度は庭園を一緒に周りたいと誘ってきてくれたのだ。

(今日はアーヴェント様とずっと一緒にいられるのね……今度は庭園へデートに誘って頂けるなんて……)

 嬉しさで赤らめた頬に両手を添えながら、湧き上がる嬉しさを抑えつつアナスタシアは返事の言葉を口にする。

「はい。是非、ご一緒させてください」

「ありがとう、アナスタシア」

 優しく微笑みながらアーヴェントがお礼の言葉を口にする。自然とアナスタシアも笑顔になる。ちょうどその時、ラストがノックをした後部屋に入ってきた。どうやら外回りで出かけていたゾルンが帰宅したことを伝えにきてくれたようだ。

「アーヴェント様、ゾルンが帰宅しました。一度、アーヴェント様とお話したいとのことです」

「そうか。わかった」

 ラストに返事をしたアーヴェントが今度はアナスタシアに声を掛けた。

「アナスタシア、今から少しゾルンと話をするから先に庭園で待っていてくれるか?」

「はい。わかりました。どうぞ、急がずにゆっくりお話をしてくださいませ」

 こうして昼食の時間は終わりを迎え、アーヴェントは別邸内の執務室へ向かった。残されたアナスタシアはラストと共に待ち合わせ場所である本邸の中庭の奥にある庭園へと足を運ぶのだった。温かい陽射しを十分に浴びた庭園はいつもより綺麗に見えた。

「本当に素敵な庭園ね。私の好きだった庭園にも似ているし……見ていると心が落ち着くようだわ」

 後ろをついてきてくれているラストも楽し気に語るアナスタシアを見て微笑んでいた。

「それはよかったです。ここはアーヴェント様のお気に入りの場所ですからね」

 庭園の入り口付近で話をしていると、奥から緑の羽帽子をかぶった庭師のアルガンがやってきた。剪定用のハサミを手にしている。アナスタシアに気付いたアルガンが帽子を軽く持ち上げながら一礼してみせる。

「これはアナスタシア様、ご機嫌麗しゅうございます」

「こんにちは、アルガン。これから庭園のお手入れ?」

「はい。ちょうど、茂ってきた草木達のご機嫌をとろうと思っていた所ですよ」

 にこやかにアルガンが言葉を口にする。相変わらずとてもいい感性の持ち主だとアナスタシアは感じていた。アルガンはラストにも声を掛ける。

「やあ、ラスト。メイド長の仕事、お疲れさまだね」

「アルガンほど熱心に働いてはいませんわ。あなたは花や草木に人気すぎますからね」

「ははは、確かにそうだね。モテる男はつらいよ」

 そんな冗談を二人は交わす。フェオル達を見ていても感じていたことだが、この屋敷では使用人同士の仲もとても良いものにアナスタシアの目には映っていた。おそらくアーヴェントの人柄が影響しているのだろう。

(昔よくお父様も仰っていたわね。『良い主人には良い従者が集まるもの』だって……ラスト達を見ているとそれを実感する。以前のミューズ家もそうだったものね……)

 ふとアナスタシアは亡き父であるラスターが当主を務めていた頃のミューズ家のことを思い出していた。哀しげな表情を刹那浮かべていた所をアルガンに見られていたようで、彼が声を掛けてきた。

「どうかなさいましたか、アナスタシア様」

「あ、ごめんなさい。私、ちょっと考え事をしていたみたい」

 はっと我に返ったアナスタシアが慌てた様子で返事をする。それを見てアルガンは微笑む。

「今日は庭園をご覧になりにいらしたのですか?」

「そうなの。アーヴェント様にお誘いを受けたの」

「それは大変喜ばしいことですね。お二人に見てもらえるなんて、ボクも花達も光栄です」

 再びアルガンは羽帽子を軽く持ち上げてみせる。アナスタシアは思いついたように手を前で合わせながら彼に話しかける。

「待ち合わせをしているのだけれど、まだアーヴェント様はお仕事中みたいなの。もし良かったらそれまでアルガンの仕事を見学してもいいかしら?」

「そうでしたか。そういうことなら、どうぞご自由に見学なさってください」

「ありがとう、アルガン」

 二人が微笑み合う。話が終わるとアルガンは庭園の一部を見て周りながら、草木の調子を確認する。立ち止まると何度かその場で頷き、持っていた剪定用のハサミを使い始める。その様子はまるで髪をとかすかのように優しい手つきだった。

(アルガンの仕事ぶりはとても繊細で、草木や花々を大事にしているのがわかる……)

「その子達が手入れをして欲しいって言っていたの?」

「はい。この草木達はこの辺りでは特に自由に茂っているので、つい調子にのって重くなってしまうんですよ。困ったものです」

 アルガンは草花の声が聞こえるということで、自然とそのような会話になる。だが、アナスタシアはそれを少しも変だとは思わなかった。本当にアルガンには草花達の声が聞こえているのではないかと思うほど、自然な振舞いだったからだ。それにアナスタシアは彼の持つ素敵な感性には尊敬の念を抱いていた。

「アルガンは草花達に人気があるのね」

「ボクの自慢の子達ですからね」

「どんな所が好きなのか聞いてもいいかしら?」

 ふとアナスタシアは気になっていたことを尋ねてみることにした。アルガンは嫌な顔一つせずに答えてくれた。

「皆、自由だから……ですかね。降り注ぐ陽射しを浴びたくて我先にと、躍起になって花を咲かせ枝木を伸ばしていく姿が好きなんです。とっても愛らしいでしょう?」

 軽く近くの木々に手を添えながらアルガンが言葉を口にする。その口ぶりを聞いているとまるで人間を相手にしているようにアナスタシアには感じられた。

「植物たちも人間や魔族みたいな所があるってこと?」

「そうですね。だからボクはこの子達が好きなんでしょうね」

 優しく目を細めながらアルガンがアナスタシアの方を見つめる。

「アナスタシア様はこのお屋敷にはもう慣れましたか?」

「ええ。みんな良くしてくれるし、アーヴェント様も……本当に私を気にしてくれているから」

 愛おしそうな表情を浮かべるアナスタシアを見てアルガンは言葉を続ける。

「なら、もう少し自分に素直になってもよろしいかもしれませんね」

「え?」

「ああ、この子達が言っているんですよ」

 アルガンは軽く笑みを浮かべながら語り掛ける。

「私、素直じゃないのかしら……?」

「多分、この子達はアナスタシア様にはもっと『我がまま』になって欲しいんだと思いますよ」

 その言葉にアナスタシアは目を丸くしてみせる。そんなことを言われるとは思ってもみなかったからだろう。ラストは二人の話す様子を黙って見つめていた。

「『我がまま』に……?」

「ええ、そうですよ。遠慮せずに自分の想ったこと、感じたことを素直に口にしたり、行動に移したり……この先きっとそういう気持ちが必要になる時がくる、ってこの子達が言ってます」

 その言葉を聞いたアナスタシアはしばし、物思いにふける。

(その時、私はアルガンが言ったように振舞えるのかしら……それは今までの私にとってはとても難しいことだった気がする)

「……うん。草花達の言葉、覚えておくわね」

「是非、そうしてみてください。この子達も応援していますから」

 三度(みたび)、羽帽子を軽く持ち上げながらアルガンは微笑む。するとそこにアーヴェントの声が聞こえてきた。

「アナスタシア、待たせて悪かった」

 駆け足でアーヴェントがアナスタシアの前に近づいて来た。彼女も嬉しそうな表情を浮かべる。

「いえ、そんなことありません」

 アナスタシアはアーヴェントを待っている間、アルガンに話し相手になっていたことをアーヴェントに説明する。

「アルガン、アナスタシアが世話になったみたいだな」

「アーヴェント様、お気になさらずに。ボクもアナスタシア様とお話出来て嬉しかったです。草花達もとても嬉しがっていましたし」

 そうか、とアーヴェントは柔らかい表情を浮かべる。黙ってアルガンも頷く。そこにラストが口を挟んできた。

「それじゃ、アルガン。私達はこれくらいで失礼しましょうか」

「そうですね。後はお二人でお楽しみくださいませ」

 そう言ってラストとアルガンは庭園を後にする。二人を見送ったアーヴェントは頃合いを見て、アナスタシアに右手を差し出す。

「それじゃ、庭園を見て周るとしようか。アナスタシア」

「はい……アーヴェント様」

 そっとアナスタシアはその右手を取る。腕を組みながら二人は庭園を見て周る。お互いの好きな花や草木の話をしながら歩いていく。

「アーヴェント様は他にどんなものがお好きなんですか?」

 ふとアナスタシアがアーヴェントの顔を見上げながら尋ねる。すると少し考えた後にアーヴェントは満面の笑顔を浮かべて語り掛けた。

「やはり一番好きなのはアナスタシアかな」

(……! お顔が近いです、アーヴェント様。それにそんなお言葉をいきなり口にするのは卑怯ですっ)

「あ……えっと……その……嬉しいお言葉ありがとうございます」

 不意打ちに対応しきれず、顔を真っ赤に染めながらアナスタシアは俯く。だが組んだ腕はしっかりと握り返していた。その素振りがアーヴェントの両の深紅の瞳には愛おしく映っていたのだった。

「アナスタシアは本当に花のように可愛らしいな」

「もうっ……そのくらいにしてくださいませ」

「はは、済まない」

 アナスタシアは握りしめたアーヴェントの手を両手で何度も上下に振ってみせる。恥ずかしさと照れで胸がいっぱいになった末の仕草だった。顔を赤めていたが、アナスタシアは本当に幸せそうに見えた。

 昼下がりの時間を二人は庭園を見て過ごした。二人にはこの何気ないひと時がとても尊いものに感じられていたのだった。