今日の朝もラストがアナスタシアの寝室の扉をノックする。アーヴェントからの朝食の誘いを伝えた後、アナスタシアの朝の支度を手伝う。丁度髪をとかしてくれている時だ。

(どうしよう……ラストに相談してみようかしら……)

 化粧台の鏡に思い悩むアナスタシアが映る。ラストも気づいたようで、鏡越しに微笑んで見せる。

「アナスタシア様、何かお悩みのご様子ですね」

「うん。そうなの。ちょっとラストに相談したいことがあって……」

「何でも仰ってくださいねっ」

 ラストは明るい様子で言葉を口にする。その雰囲気がアナスタシアも気にいっているらしく、今では何でも相談できる関係になっていた。

「実はね……」

 鏡越しにアナスタシアはあることをラストに話してみることにした。その話を聞いたラストはポンっと両手を合わせながら笑顔を見せる。

「それはとても素敵なお考えだと思いますよ。ナイトには私から伝えておきますね」

「引き受けてくれるかしら……?」

「アナスタシア様のお願いなら快く聞いてくれると思いますよっ」

 どうやらナイトにも用があるようだ。ラストもそうだが、ナイト達や他の使用人達ともアナスタシアは良好な関係を今では築いていた。メイド長のラストも使用人達からアナスタシアの良い評判をよく耳にする。それはとても喜ばしいことだった。

「アナスタシア様、準備が整いました。アーヴェント様がお待ちですので食堂に行きましょうか」

「そうね。あまりお待たせしたらいけないわね」

 今では恒例の光景になったが、アーヴェントが待つ食堂に行く時のアナスタシアはとても嬉しそうな表情を浮かべていた。食堂につくと、アーヴェントが明るく出迎えてくれた。

「おはよう。アナスタシア」

「おはようございます、アーヴェント様」

 椅子に掛けた二人の食卓にラスト達が料理の乗った皿を並べる。ナイトも料理の説明を快くしてくれる。食事が始まると、今日の予定をアーヴェントがアナスタシアに説明することが日課になっていた。

「今日は一日、商談があるんですね」

「ああ。今日は夕方までずっと別邸にいると思う」

「お身体には気を付けてくださいね」

「わかっているよ」

 二人はお互いの目を見つめながら柔らかく微笑み合う。食事を終えて、お茶の淹れられたコップに口を付けた後アーヴェントがアナスタシアに声を掛ける。

「アナスタシア、今日は何か予定はあるのか」

「はい。今日は色々としてみようと思ってます」

 何か含みがある言い方だったが、楽しそうに話すアナスタシアの顔を見るとアーヴェントはそれだけでも満足げな表情を浮かべていた。彼女が楽しく一日を過ごしてくれることが何よりの喜びだからだ。

「そういえば、領地の者達から美味しそうなリンゴを貰ったんだ。あとでナイトに何か作らせようか」

「アーヴェント様はリンゴ、お好きなんですか?」

「ああ。子供のころから食べているからな」

 何気ない話題でも二人は楽しそうに話していた。そんな会話をしているとお茶も飲み終わりアーヴェントが仕事に出かける時間を迎える。

「それじゃ、行ってくるよ」

「気を付けて行ってらっしゃいませ」

 食堂から二人で玄関ホールまで来るとアーヴェントは別邸へと出かけていく。準備をしたゾルンも一緒だ。アナスタシアは綺麗なカーテシーを見せながら、笑顔でアーヴェント達を送り出す。後ろについていたラストがアナスタシアに声を掛ける。

「それではアナスタシア様、参りましょうか」

「ええ」

 二人は目を合わせるとラストが先頭を歩き、玄関ホールを後にする。向かった先は厨房だ。厨房への扉をラストが開ける。丁度、ナイトが心待ちにするようにアナスタシアを迎えてくれた。

「アナスタシア様、ラストから用件は聞いております。じゅ、準備も出来ておりますっ」

「ナイト、忙しいのに急なお願いを聞いてくれてありがとう」

「そんなお礼なんて結構ですよ。わ、わたくしがアナスタシア様のお力になれるなんて光栄です」

 照れで頬を赤く染めたナイトが言葉を口にする。どうやらアナスタシアはナイトに手伝ってもらって何かを作るようだ。ラストが用意してくれた可愛い花柄のエプロンをつける。とてもお似合いだ。ラストのセンスが光る。

(本格的に料理をしたことはないけれど……ミューズ家ではメイが持ってきてくれた残り物に少し手を加えたりはしていたから包丁とかの使い方は大丈夫よね)

 ふとアナスタシアはミューズ家で行っていた家事のことを思い出す。あのボロ小屋で衣食住をしていた経験もあり、料理をすることに抵抗はないようだ。

「そ、それでは打ち合わせをしましょうか」

「私もお話に混ぜて頂けますか?」

「ええ。もちろんよ。みんなで話し合いましょう」

 作る品の確認をアナスタシアとナイト、ラストの三人で行う。ナイトはとても器用にアナスタシアの希望を聞きながら必要な材料と調理器具を用意してくれた。その間にアナスタシアは水道で両手を綺麗に洗う。

「ありがとう、ナイト。助かるわ」

「いえいえ、これくらい朝飯前ですからっ」

 そんな時、厨房の隅に置かれていたあるモノにアナスタシアが気づき、ナイトに声を掛ける。

「ナイト、()()も使いたいのだけれど……」

「もちろん構いませんよっ」

 笑顔でナイトが了承の合図を送る。アナスタシアもとても嬉しそうだ。打ち合わせが終わると、いよいよ調理に入る。料理長でもあるナイトが指示を出し、アナスタシアがそれに合わせて調理を行う。二品ほど作るようで、まずアナスタシアはナイトが用意してくれた材料をボールにいれて混ぜ合わせる。

「まずはバターを入れて、そこに砂糖と卵黄を入れます。そのあと薄力粉を少し振ってよく混ぜます。少し力が要りますのでお気を付けください」

「わかったわ」

「アナスタシア様、とってもお上手ですね」

「もうラスト。そんなに褒めないで……照れてしまうわ」

「わ、わたくしもそう思います。とてもお上手ですよ、アナスタシア様っ」

 手を動かしながらアナスタシアは顔を赤める。その様子を見たラストとナイトが微笑む。厨房は明るい雰囲気に包まれていた。

「混ぜ合わせたモノは少し置いておきましょう。その間に次の作業に移りましょうねっ」

 ナイトが次の工程を優しく案内する。焼きあがったパンをアナスタシアに切らせる。その後、具材となるハムや菜園で採れた野菜を洗って飾りつけの準備をする。

(料理ってこんなに楽しいものだったのね……ラストも私が不得意な所を手伝ってくれるし、ナイトもしっかり私にわかりやすく説明してくれてる)

 アナスタシアが幸せそうな表情を浮かべながら作業を続ける。今は先に作っておいた生地を叩いて伸ばし、型抜きをするところだ。ナイトが用意してくれた専用の型で生地を抜いていく。型抜きした生地は熱しておいた竈で焼き上げる。その間に切ったパンと洗っておいた具材を合わせていく。

「あとは生地が焼ければ出来上がりですね。アナスタシア様、お疲れさまでした」

 ナイトが柔らかく微笑む。
 
「ありがとう。これもナイトやラストが手伝ってくれたおかげよ。ありがとう」

 いえいえ、と二人はアナスタシアの言葉に応える。時間はお昼前を迎えていた。今日、アーヴェントは別邸で昼食をとるとのことだったのでそこは気にしなくて良かった。

「それでは私はお客様を食堂にお連れしますわね」

「ラスト、お願いね」

 ラストはお任せください、とアナスタシアへ目で合図を送る。一礼して先に厨房を後にした。

「それでは焼きあがった生地を見てみましょうか。あと最後の盛り付けもしましょうねっ」

「ええ。宜しくお願いね」

 アナスタシアとナイトは楽しそうに調理の仕上げに取り掛かるのだった。

 一方、食堂にはラストに案内されたグラトンとフェオルの姿があった。二人ともラストにいきなり連れてこられたので困惑している様子だ。

「なあ、ラスト。なんでいきなり食堂に呼びつけたんだ? 確かに腹は減ってるけどよ」

「ボクもふしぎでなりません」

 ふふ、とラストが笑ってみせる。

「今にわかりますよ」

 そんな会話をしていると食堂にエプロンに身を包んだアナスタシアが入ってくる。後ろにはナイトがついていた。手には皿を大事そうに抱えている。

「奥様……? なんでそんな格好してるんですかい?」

「アナスタシア様、エプロン姿とてもおにあいです……でもどうして?」

困惑しているグラトンとフェオルの顔を見たアナスタシアは笑みを浮かべながら、持ってきた皿を二人の前に置く。続けてナイトも持ってきた皿を置いた。そこには焼きたてのクッキーとサンドイッチが皿の上に並んでいた。クッキーはフェオルが背負っているクマを象った形をしていた。

「こりゃぁ、美味そうだ……でも何でまた……?」

「わあ……可愛いクマさんですね。それに美味しそうなにおいがします」

 目の前に出された品に二人が驚いていた。そこでアナスタシアが二人に言葉を掛ける。

「二人にはアーヴェント様が熱を出した時に手伝ってもらったでしょう? フェオルには無理を言って魔法を使ってもらったし、グラトンは屋敷に到着した時にアーヴェント様を寝室まで運んでもらったから。何かお礼がしたくて。それでナイトに頼んで、手伝ってもらったの」

「これを奥様が……? オレ達の為に?」

「ほあ。光栄ですぅ」

 笑顔を浮かべるアナスタシアを見ながらグラトンとフェオルが反応してみせる。さっそくフェオルが素早い動きでクマの形のクッキーを口にいれる。

「とても甘くておいしいです」

「それじゃぁ……オレも」

 美味しそうにクッキーを頬張るフェオルを見たグラトンもそっとサンドイッチを掴むと大きな口に放り込み、咀嚼する。

「おお、めっちゃくちゃ美味しいじゃないすか」

「本当?」

「奥様に嘘なんてつきませんよ。本当うまいっす。何個でも食えそうだ」

 グラトンは次々にサンドイッチを美味しそうに食べ始める。

「む……独り占めはいけませんよグラトン」

「はは、こういうのは早い者勝ちなんだよ」

 フェオルがサンドイッチに手を伸ばす。そんなフェオルの頭を右手で押さえつけながらグラトンは満足げに左手でサンドイッチを掴み、頬張る。その光景をアナスタシアはとても楽しそうに見つめていた。

「グラトンも意地悪しないであげてちょうだい。フェオルもまだ沢山あるから、そんなにムキにならないでね」

 そう言いながらアナスタシアも食卓につく。ラストもナイトも一緒だ。こうして賑やかな昼食の時間が流れていくのだった。