「また父上と母上に小言を言われてしまった……くそ!」

 執務室までの廊下を険しい表情を浮かべながら王太子ハンスは歩いていた。どうやら、今回も婚約者となったフレデリカの妃教育の進捗の悪さに対してシリウス王達に苦言を呈されたらしい。王の間に呼び出される理由は最近そればかりになっていた。

「フレデリカが悪いわけではないと言っているのに……父上達と来たら全く分かっていらっしゃらないのだから始末が悪い」

 執務室の扉を強く開き、室内へと足を踏み入れたハンスはそのまま執務机の椅子へと腰を下ろした。机の上に積まれた書類は以前よりも数倍に増えていた。それを見たハンスの機嫌は更に悪くなったように見えた。

「おまけに……これだ……! 騎士団の人員を増員しても、魔獣が減るどころか増える一方だ……おかげでオレの仕事が一向に減らないっ」

 ハンスは金色の髪をくしゃくしゃと掻きながら苛々を募らせていた。いずれは魔獣が増えていることもシリウス王達にも知る所となるだろうが、今の所報告はしていなかった。フレデリカのことに加えて、魔獣のことも自分のせいのように言われてはたまったものではないと思ったからだ。

「今の内に何とか手を打たなければ……そもそも騎士団の連中が悪いんだ。オレがこんな目に合っているというのに魔獣を掃討することも出来ないという無能なのだから」

 右腕で肩肘をつきながら、左手の人差し指を何度も机の上を叩く仕草をする。言葉を口から出せば出すほど苛々も募っていく。すると執務室の扉がノックされ、兵士の一人が入室してきた。

「なんだ! もう魔獣の報告はいらんぞ?!」

 高圧的な態度を取るハンスに対して兵士は気圧されながらも用件を伝えた。その内容を聞いたハンスの顔は先ほどまでの不満をあらわにしたものから、一転して青ざめていく。

「な……オレの管轄している辺境の領地で流行り病が出た……だと!?」

 ハンスの公務の一つとして将来王となるための条件として、いくつかの領地の管理も任されていたのだ。といっても、ほとんど力を入れておらず今回もその領地で風邪のようなものが出たと聞いた時も魔獣の対応に追われていたハンスは何も手を打っていなかったのだ。それが大きな裏目に出たのだ。

「こ、このことは父上達には言うなっ! 絶対だぞ!?」

 机を強く叩きながら吐き捨てるように報告しにきた兵士に口止めをする。しかし―と兵士は事の重大さを理解しているように言いかけるが、ハンスは更に言葉を浴びせる。

「いいか、領地管轄の責任者はこのオレだ! 王太子であるオレの言うことが聞けないというのか!?」

 そこまで言われてはその兵士は口を閉じるしかなかった。ハンスに退室を求められた兵士は執務室を後にする。後に残ったのは息を荒げたハンスだけだ。

「くそ……何故、今こんなに悪いことが続くんだ……」

 フレデリカの妃教育の進捗の悪さで苦言を呈されるよりも、まずいことが確実に起きていた。自分が管理している領地で流行り病が出てしまったとシリウス王が知れば自分の王太子としての資質を問われてしまう。誰よりも王になりたいと考えているハンスにとってこのことは何としても隠し通さなければいけない事由だったのだ。

「何……流行り病など少し経てば治まる……今は父上に黙っておけば済むことだ……」

 ハンスは青い顔を浮かべながら空笑いをしていた。報告にきた兵士が持っていた領地に関する資料をそっと机の中に仕舞う。自分に不都合なことは目に入れておきたくないということだろう。

「父上も議会で色々と矢面に立たされている。父上が病などで倒れることがあれば、オレが王になるときも近い。そうなれば愛しのフレデリカを妃に出来る……議会で力を持っているレイヴンの後ろ盾も得たんだ……オレが次の王になるのはもはや必然なのだ。どこぞの施設で療養している駄目な弟とオレは違うのだからなっ……」

 机の上に置いた右手をハンスは力強く握りしめる。その顔には膨れ上がる野心が浮かび上がっていた。

「レオといえばアナスタシアの奴、レイヴンから聞いたところによると父上の命で『吸血鬼』と呼ばれている魔族の公爵の元に嫁がせたと言っていたな。最後にあった夜会の時に見た姿もみすぼらしかったからな。今頃、慣れない魔族の国で虐げられているのだろうな。城に通っている時もオレを放っておいて泣いているレオを気遣っている所が昔から気に食わなかった。それにあの奇異な両の瞳もおぞましかったのだから全くいい気味だ……!」

 ハンスは今の不満のはけ口を弟のレオや元婚約者のアナスタシアに向けて発散していた。すると何かが頭をよぎったように呟く。

「まてよ……アナスタシアが嫁いだのは()()だったか……?」

 ハンスはおもむろに積み上げられた書類の山からある資料を探しはじめるのだった。

 自分のことしか考えていないハンスの行動が更に自らの首を絞めていくことになるとはこの時はまだ想定もしていなかったのだった。