アーヴェントが快復してから数日が過ぎたある日。朝食の席にはアーヴェントとアナスタシアの姿があった。最近は前日にアナスタシアから朝食を共にしたいという話も出るくらい二人の仲も次第に良いものになってきていた。二人の様子を見守っているラストやナイト達も楽し気に見える。

「アーヴェント様、体調はいかがですか?」

 ここ数日のアナスタシアの会話の始まりはアーヴェントの体調の確認から始まっていた。それほどアーヴェントが熱で床に伏したことを気にかけてくれているのだろう。アーヴェントもバツが悪そうな表情をしながらも、ラストから聞いたアナスタシアの話を思うと毎回ちゃんと体調の報告をしていた。

「今日も体調はとても良いよ。心配してくれてありがとう、アナスタシア」

「それは良かったです」

(少し心配だったけれど、あれからアーヴェント様の体調もいい日が続いていて良かった。それにこの頃のアーヴェント様の笑顔は以前よりも優しくなった気がする)

 笑顔でアナスタシアは返事をする。アーヴェントも柔らかい表情で頷いてみせた。今までよりも更に優しい笑顔を見せるアーヴェントにアナスタシアはときめきを覚えるのだった。

(考えてみれば私、アーヴェント様を看病していた時……手を握られていたのよね。あの時は必死だったから平気だったけれど、今思い返すと……ちょっぴり恥ずかしい……)

 ふとアナスタシアはアーヴェントに握られた右手を左手で何度か撫でる仕草をする。数日たった今でもあの時感じた温かさが残っているように感じられた。自然とアナスタシアに笑みが浮かぶ。その間にラスト達によって食事が運ばれてくる。

「それじゃあ、頂こうか」

「はい。頂きます」

 アーヴェントもアナスタシアも清々しい気持ちで料理を口にしていた。ナイトが腕によりをかけた料理はやはりどれも絶品だった。自然と料理を話題にした話で食卓が盛り上がる。一通り食べ終わった頃、アーヴェントからアナスタシアに声が掛かる。

「そうだ、アナスタシア。今日、これから時間をもらえるだろうか?」

「何か私に御用でしたか?」

「今日の商談相手がアナスタシアも同席して欲しいとのことだったのでな」

(私の同席を望まれているお客様なんて初めてよね……どなたなのかしら)

「わかりました。ご一緒させて頂きます」

「ありがとう。先方も喜んでくれると思う」

 朝食を終えた二人は食堂を共に後にする。アーヴェントに手を引かれて玄関ホールまでくると丁度仕事の支度をしたゾルンが待っていた。

「おはようございます。アーヴェント様、アナスタシア様」

「おはよう、ゾルン」

「先方はもう来ているか?」

 アーヴェントが尋ねるとゾルンは軽く頷き、言葉を口にする。

「はい。別邸の商談の間にご案内してあります」

「ありがとう。助かる」

「では、ご案内致します」

 ゾルンの案内でアーヴェントと共にアナスタシアも別邸へと向かう。別邸の一階の奥にある商談専用の客室に入るとそこには以前見たことがある人物が待っていた。部屋に入って来たアーヴェント達を見るとすっと立ち上がり、笑顔と共に深く一礼をする。

「あなたは……」

「ご無沙汰しております、アナスタシア様。ケネス・フリーデンです」

 ケネス・フリーデン子爵。それは以前アナスタシアが初めてアーヴェントの仕事を見学した時に訪ねてきた依頼人だった。その時、アナスタシアの一言によって背中を押されたケネスはダイヤの鉱脈のことをアーヴェントに伝えることが出来、それからの商談も良い関係を作れていると先日アーヴェントから聞かされていた。

「ケネス、嬉しい気持ちはわかるがまずは座ってくれ」

「はい。失礼致しました」

 以前よりも服装もしっかりしており、雰囲気もより紳士的に感じられた。ケネスの所作を見ながら、アナスタシアも席につく。

(以前よりもとても立派になられた印象を受ける……自信が溢れているというのかしら)

「アーヴェント様にはとても良い商談をさせて頂いております」

 明るい笑顔でケネスが言葉を口にする。

「アーヴェント様から伺っています。無事、鉱脈がみつかって宝飾品の事業が軌道に乗られたそうですね。おめでとうございます」

 前回の商談の後、融資が決まりケネスの領地にある鉱脈が開発されたのだ。その結果ダイヤ等の宝石の鉱脈が見つかり良質な宝石がシェイド王国や隣国であるリュミエール王国に流通し始めたのだ。加工などの面でもアーヴェントが融資をしたことにより事業は成功し、お互いに大きな利益が出たという話だ。

「それもこれも全てはアナスタシア様のおかげです! あの時、ダイヤの原石の話を切り出すか悩んでいた私に優しく声を掛けて頂いた御恩は一生忘れません。このケネス、アーヴェント様とアナスタシア様の為ならどんなことでも力をお貸しする所存でございます」

 とびきりの笑顔と瞳を輝かせながらケネスが頭を深々と下げる。

「頭をあげてくれ、ケネス。俺も良い商談相手が出来てとても嬉しい。その点では俺もアナスタシアに感謝しなければいけないな」

「そんな……私はただケネス様のお力になりたかっただけですから」

 恥かしがる素振りをするアナスタシアを見てアーヴェントとケネスは優しく笑みを浮かべていた。これ以上二人に褒めらると照れて話にならないと思ったアナスタシアは話題を振る。

「それで、今日はどんな商談をされるのですか?」

 にこやかな表情を浮かべながらケネスが言葉を口にする。

「今日はアーヴェント様に頼まれていたものをお持ちしました」

「そうか。もう出来たのか」

 アナスタシアは首を軽く傾げる。アーヴェントは身を乗り出しながら楽し気な様子で口を開く。ケネスは鞄から宝飾品用の箱を取り出し、二人に見えるように開けてみせる。そこには綺麗な装飾が施されたネックレス等が入っていた。

(わあ……とても素敵。まだ宝石はついていないようだけれど、とてもきめ細かい仕事がされているのが私にもわかる)

「こちらは採寸用のものになります。今日はアーヴェント様がアナスタシア様のためにネックレス、イヤリング、指輪をご用意したいとのことでしたので、それも兼ねて訪問させて頂きました。もちろんアナスタシア様にお礼を言うのが一番でしたが」

「わたしに……?」

 驚いたアナスタシアがアーヴェントの方を振り向く。アーヴェントは優しく微笑みながら頷く。

「以前、話をした終戦記念祝賀パーティ用にと思ってケネスに頼んでおいたんだ。アナスタシアには一番良いものを贈りたいと思ってな」

 少し照れを見せながらアーヴェントが頬を軽く掻く仕草をする。それを見たアナスタシアの胸は嬉しさで溢れていた。そっと両手を胸に添える。

(私のために……ああ、私はなんて幸せ者なのかしら)

「今回は採寸用なので、アーヴェント様がアナスタシア様に試着してみてください。色々なサイズのものをご用意しましたので」

「ケネス、助かるよ」

 通常なら職人などが採寸をするが、相手が婚約前のご令嬢となれば気を使う点が出てくる。そのため、ケネスは事前に用意した採寸用のものをアーヴェントの手でアナスタシアに試着してもらおうということになったのだ。アーヴェントが立ち上がり、アナスタシアの背後に立つ。ケネスもアナスタシアの横に立つと採寸用の宝飾品を並べた箱を手にする。

「それではイヤリングから」

「ああ。アナスタシア、痛かったら遠慮なくいってくれ」

「は、はい……」

 そっとアーヴェントがアナスタシアの両の耳に採寸用のイヤリングをはめていく。耳を軽く押さえるアーヴェントの指から温かさが伝わってくる。次第にアナスタシアの顔が赤く染まっていく。

(こんなに近くで、しかもアーヴェント様に耳を触れられてる……っ)

 緊張と照れと嬉しさが混じりながらも、採寸は続く。イヤリングの大きさは大体決まったようだ。採寸が出来たものをケネスが別の小箱に大切にしまう。

「では次はネックレスを」

ケネスから採寸用のネックレスを受け取ったアーヴェントがアナスタシアに声を掛ける。

「それでは、失礼するよ」

「は、はい……!」

 今度はネックレスを首の前に回し、後ろで嚙合わせる。今回の物は少し大きかったようで、外した後、別の物を同じように首に回す。その度にアーヴェントの手がアナスタシアのうなじのあたりに当たる。更にアナスタシアの顔が赤く染まっていく。

(アーヴェント様の手がうなじにあたってる……心臓のドキドキが止まらない)

 ネックレスもちょうどいい物が見つかったようだ。最後は指輪だ。アーヴェントはアナスタシアの横に屈むとケネスから採寸用の指輪を受け取る。そしてアナスタシアの左手を軽く掴むと薬指に優しく指輪を通す。この一連の仕草だけでもアナスタシアには抜群に効いていた。

(ああ……どうしましょう……嬉しさと恥ずかしさでどうにかなりそう……っ)

 その様子を愛おしそうにアーヴェントは見つめながらいくつかの指輪をアナスタシアの薬指に嵌めていく。その中でぴったりのものを選ぶとやっと採寸が終わりを迎えた。アーヴェントとケネスはそれぞれの席に戻り、アナスタシアもやっと一息つくことが出来た。

「それではこれで製作に取り掛からせて頂きますね」

「ああ、宜しく頼む」

「お願い致します」

 二人がケネスにお礼を述べると、思い出したようにケネスが言葉を口にする。

「そうです。この度、王都に宝飾品のお店を出したんです。注文いただいた物もそこで作る予定になっております。もし王都にお出でになるときは是非お立ち寄りください。私も責任者としておりますので」

「ああ、その時は寄らせてもらうよ」

 そう言葉を交わした後、今回の商談は幕を下ろした。ケネスは最後までアナスタシアへの感謝の言葉を口にしていた。誠実さがにじみ出ているようだと、アーヴェントも感心していた。玄関先までケネスを送るということでアーヴェントとゾルンが部屋から出て行く。残されたアナスタシアは嬉しさを噛みしめていた。

(私のためにアーヴェント様がご用意くださるもの……思えば誰かから何かを贈ってもらうなんて本当に久しぶり……それも()()()()から……)

「!」

 そっとアナスタシアが両手を胸に当てる。心臓の音がとても大きく伝わってくる。その時、アナスタシアはあることを確信するのだった。

(ああ……私、本当にアーヴェント様のことが好きなのね……その想いがどんどん大きくなっていくのがわかる)

「アナスタシア、待たせてしまってすまない」

「いえ、大丈夫です」

 物思いにふけっていたアナスタシアだったが、アーヴェントが部屋に戻って来た時には普段の様子に戻っていた。だが微かに頬には赤みが残っていたのだった。