アナスタシアの言葉で背中を押された依頼人の男性は今回の商談で見せた中で一番真剣な表情を浮かべていた。相手の必死さが伝わったようでアーヴェントが男性にもう一度椅子に掛けるように促す。

「話を聞かせてもらおうか」

 アーヴェントが言葉を掛けると、男性は鞄から大事そうに一つの小箱を取り出しテーブルの上に置く。その箱をゆっくりと開くと中には輝く透明な石の塊が入っていた。

(わあ……とても綺麗な石。向こう側が見えるほど透き通っている……。この方はこれを大切にお持ちになっていたのね……)

 それを見たアーヴェントとゾルンの顔つきが変わったようにアナスタシアには見えた。

「こ、これを見て頂けますでしょうか……」

 震える声で男性が小箱をアーヴェント達の方に差し出す。

「失礼致します」

 そう言ってゾルンが小箱を持ち上げると丸眼鏡を直しながら石の塊をじっと見つめる。その様子をアーヴェントが静かに見守っていた。男性も固唾を飲んで様子を伺っている。しばらくすると、ゾルンは手にしていた小箱をアーヴェントに手渡しながら言葉を掛ける。

「間違いなく、ダイヤモンドの原石です。それも純度がかなり高いと思われます」

「そうか」

 静かに頷いたアーヴェントが男性の方に視線を移し、尋ねる。

「これを何処で?」

「実は管理している鉱山でこれが発掘されたのです。ですが、まだこれ一つしか見つかっておらず鉱脈を探す段階で止まっておりまして……中々お見せするのも憚られていたのです」

「なるほど……領地の整備には鉱山も含まれていたということか」

「はい。そうなのです」

 アーヴェントは黙って頷く。そして横に立つゾルンに言葉を掛けた。

「ゾルン、お前はどう思う?」

「これ程の純度の高い原石が眠っている鉱脈があるとすれば、領地の大きな資産になります。またそれを加工して販売する設備とルートさえあれば莫大な利益が生まれる可能性があります」

「確かにな……だが、鉱脈を見つけるにしても資金の援助が必要だろう。融資の話もそこから始めることになる」

 アーヴェントが険しい顔を浮かべていた。依頼人の男性も同じような表情だ。先ほどよりも部屋の空気がピリピリしているようにアナスタシアは感じていた。

(とても空気が重い……私には鉱山関係のお話や商談についての知識がないから今の状況が良いのか悪いのかもわからないわ……)

 ゾルンが不安そうな表情をしていたアナスタシアに気付く。彼女が何を考えているのかを察してくれたようでアーヴェントに進言してくれた。

「アーヴェント様、アナスタシア様は今の状況のご理解が難しいようです。補足として私が説明しても宜しいでしょうか?」

「ああ、そうだな。そちらが良ければ、だが」

 アーヴェントは依頼人の男性にその許可を求める。

「私は問題ありません」

「ではゾルン、頼む」

「かしこまりました」

 一礼した後、ゾルンがアーヴェントの隣に座るアナスタシアの横に移動する。

「アナスタシア様、現在の商談は大きな分かれ道に差し掛かっている状況になります」

「分かれ道……?」

「はい。当初の融資のお話は領地の整備というものです。ですが、それに対して融資するメリットが残念ですがこちらにはありませんでした。しかし、鉱脈で採れたというダイヤモンドの原石で状況は変わりました。お互いに莫大な利益が発生するかもしれない可能性が出てきたのです」

(ゾルンは私が理解できるように説明してくれているのね……とてもわかりやすい)

「はい。そこまでは理解出来たわ」

「ですが、問題はここからです。あくまで可能性、という所がポイントになります。この話にこちら側が乗るのであれば先ほど、アーヴェント様がおっしゃったように融資の話は鉱山で鉱脈を探すための資金繰りの段階から始めることになります」

「それではいけないの……?」

「融資をしたとして、鉱脈が見つからなかった場合こちら側に損害が出る可能性が大きいです。さらにその融資した資金を正しい用途で依頼人の方が使ってくれるのか、という問題が出てくるのです」

 ゾルンはこの場にいる全員に聞こえる声で話す。もちろん、ゾルンがアナスタシアに説明してくれた内容はアーヴェントはもちろん、依頼人の男性も理解していることだ。再び男性が固唾を飲んでいた。そしてアーヴェントが口を開く。

「ゾルンの言ってくれたように、あとは相手をどれだけ信頼出来るか……という一点に尽きる。可能性に賭ける、賭けないの責任は俺達が背負えばいいことだ」

(信頼……)

 額に汗を搔きながら、依頼人の男性が口を開く。

「私もその点は重々承知しております……ですが、今の段階では他に示せるものもありません……」

 相手は諦めたように俯き、目をつぶるしかないようだ。その様子を見たアーヴェントはふとアナスタシアの方に視線を向けた。

「アナスタシア、聞いてもいいだろうか」

「はい。なんでしょうか……?」

「そんなに緊張しなくてもいい。いつも通り答えてくれればいいんだ」

 商談の途中だが、アーヴェントはいつもの柔らかい笑顔を見せてくれた。緊張していたアナスタシアの心と体がふわっと軽くなる。

(ああ、このお顔はとても安心できる……ちゃんと私が答えるのを待っていてくれるお顔だわ)

 アナスタシアはゆっくりと頷く。

「どうして依頼人が宝石の原石を出しあぐねていたのがわかったんだ?」

「それは、依頼人の方が商談の間とても大事そうに鞄に手を当てていたからです」

 なるほど、とアーヴェントは頷く。ならば、と更に質問をする。

「ではアナスタシアはどうして、この依頼人を信頼出来たのだろうか?」

「信頼……ですか?」

「ああ。俺やゾルンはいつも商談に入る時は相手の顔色や所作を見てある程度その人物の性格などを計り、話を進めている。今回の彼もそうだ。しっかりとした挨拶、受け答えを見る限り嘘をつくような人物ではないと思ってはいたんだ。だが、初めての商談の場に居合わせただけのアナスタシアがそこまで見ていたとは思えないんだ」

(アーヴェント様達はそこまで細かくお相手を見ていたのね……気づかなかった)

「確かに、アーヴェント様のおっしゃる通りです……私はそんな所まで見ていませんでした……」

「だから教えて欲しい。どこで彼の本質を見極められたのかを」

(あ……)

 アーヴェントの最後の質問に対してだけはアナスタシアははっきりとした理由を述べることが出来ると確信する。アーヴェントやゾルン、そして依頼人の男性もアナスタシアの方を見つめていた。

「私は……最初にこの部屋に入った時からこの方が良い人だと思っていました」

 アナスタシアの言葉を聞いて、アーヴェントが優しく尋ねる。

「それはどうしてだ?」

「私が部屋に入った時、依頼人の方と目が合いました。でもこの方は私の両の瞳を見ても嫌な顔一つ浮かべませんでした。それに一目見れば私が魔族でないこともわかったはずです。けれど、奇異な目は向けられませんでした……私の主観になりますがその時点で悪い方ではないと思っていました」

(……叔父様や叔母様、そしてフレデリカ……今までの人達はみんな、私と目を合わせただけでまるでおぞましいものを見るような顔をしていたもの。でも……この方はメイと同じように真っすぐ私を見てくれていたのがわかった……)

 なるほどな、とアーヴェントが納得した表情を浮かべながら頷いていた。そして依頼人の方を向くと今度は相手に尋ねる。

「俺が人間族の女性と婚約したことは知っていたか?」

「……はい。旦那様のご婚約は王命ということもあり、この国で知らない者はいないでしょう。私もその一人です」

「ではアナスタシアの両の瞳を見ても動じなかったのは何故だ? それも噂で知っていたのか?」

「いえ……お相手が人間族のご令嬢なのは知っておりましたが、両の瞳の色が違うというのは知りませんでした。私自身が緊張していたこともありますが、部屋に入って来たアナスタシア様がその両の瞳で微笑まれた時……何故か自然と安心できたのです」

 おどおどしながらも依頼人の男性はアーヴェントの質問に真摯に答えていた。アナスタシアの横に立っていたゾルンも静かに頷いていた。

「そうか……その答えで俺の答えも決まったようだ」

「え……?!」

「俺の婚約者が信じてもいいと思った相手なら俺も信じてみたいと思ったのだ。融資の話、今度またゆっくりと話し合おうか」

「あ……ありがとうございますっ! ありがとうございます!!」

 こうして突然舞い込んだ商談はひとまずの終わりを迎えることになった。依頼人の男性は何度も深くお礼をしながら、屋敷を後にした。この後は日取りを決めて詳しい融資の話を進めていくことになったとアーヴェントからアナスタシアに説明があった。

 依頼人を見送った後、二階の談話室へと戻って来た二人は途中だったお茶会を再開する。その場で隣に座ったアーヴェントがアナスタシアに笑顔で声を掛けた。

「先方も喜んで帰っていった。商談が上手くいったのもアナスタシアが依頼人の背中を押してくれたからだ」

(緊張が解けたところで、またこんなにアーヴェント様のお顔が近い……)

「い、いえ。私は気になったことを口にしただけですし……」

「ふふ。アナスタシアは本当に控えめだな。なら、俺がご褒美をあげないとな」

「え?」

 満面の笑みをアーヴェントが浮かべながら右手をそっとアナスタシアの頭の上に乗せると頭を数回撫でる。これがご褒美らしい。

(こ、これがご褒美っ!? アーヴェント様に褒められた上に頭を撫でて頂いてしまったわ……嬉しいけれど、とっても恥ずかしい……っ)

 この後アナスタシアの顔が真っ赤に染まり、頭からはまるで煙が噴き出しているように見えた。そんなアナスタシアを見て、アーヴェントは再び柔らかい笑みを浮かべるのだった。