翌日、朝食を終えたアナスタシアはアーヴェントに手を引かれ、屋敷の隣に佇む別邸へと足を運ぶ。遠くから見ていてわかっていたが、いつも暮らしている屋敷とはまた違った雰囲気を感じていた。

「さあ、入ってくれ」

 アーヴェントの言葉で玄関先に立つ執事服の者達が別邸の扉をゆっくりと開けてくれた。アナスタシアは一礼した後に建物の中へと足を踏み入れる。建物自体は三階建てで、玄関ホールはふきぬけになっていた。金色の装飾などがあらゆる箇所に施されている本邸とは少し違い、黒と茶色を基調にした壁や装飾が目につく。

(お屋敷とは違って、別邸はとても落ち着いている造りになっているのね……お仕事で使っていらっしゃるからかしら……)

「アナスタシア、初めての別邸はどうかな?」

 周りを見回しているアナスタシアに向かってアーヴェントが尋ねる。

「とっても落ち着いた造りになっているんですね」

「ああ、そうなんだ。元々は父が使っていた建物を改装したのだが、仕事の商談を行う場所ということで昔からの雰囲気を引き継いだ造りにしているんだ」

「そうなのですね。私もとても気にいりました」

「そう言ってくれると、俺も嬉しいよ。ありがとう」

 そう言葉を口にしながらアーヴェントが微笑む。いつもの笑顔とまた違い、宝物を誉められた少年のようなあどけない笑顔だった。それを見たアナスタシアはときめく。

(アーヴェント様はこんな表情もなさるのね。少しずつアーヴェント様のことを知っていける……なんて幸せなのかしら)

「それじゃあ、屋敷の中を案内するよ」
「はい。宜しくお願いします」

 主に仕事の話、商談などは一階の奥にある専用の部屋を使うのだと説明を受ける。二階はアーヴェントの別邸での執務室、仮眠などをとる寝室、談話室などを案内された。その他にも部屋はあるが使っていない部屋が多いという。

(……?)

「あの……アーヴェント様、一つ聞いてもよろしいでしょうか?」

 一階から二階にかけてアーヴェントに説明を受けたアナスタシアに疑問が浮かんでくる。呟くようにその疑問を口にする。

「ああ、何でも聞いてくれ」

「今、説明をして頂いた一階と二階でお仕事の用は足りているような気がするのですが……三階には何があるのですか?」

「アナスタシアはとても賢いな。確かに、俺の仕事だけで言えば二階までで事足りる。だが、それ以外にも仕事をしてくれている者がいるんだ。その者達がいるのが三階なんだ」

(使用人の皆の他にどなたかいらっしゃるってことかしら……?)

「いるかどうかは俺でも確認しないとわからないんだが……とりあえず三階を案内するよ」

「はい。宜しくお願いします」

 二階の階段から三階へと上がる。間取りは二階とほぼ一緒だが、部屋の数が若干違う。アーヴェントはその数ある扉の中から一つの部屋の扉を開ける。中は客室のようだ。

「ここに居ないとなると一人は留守にしているな」

(一人、ということは何人かいる……?)

「さてもう一人はどうかな……」

 アーヴェントが少し難しい表情を浮かべながら口を開く。アナスタシアの前を歩き、ある廊下の一番奥の部屋の前まで来た。

 コンコン―アーヴェントが扉に向かって軽くノックをする。だが中からの反応はない。扉のノブを握って回してみるが鍵がかかっている音が廊下に響いた。それでも中からは何の反応もない。

(鍵がかかっているってことは中に誰かいるってことよね……)

 アーヴェントは頭の後ろを右手で掻きながら軽くため息を吐く。その後、振り向くとアナスタシアに話しかけた。

「この部屋の主は仕事の経理周りはもちろん、我が家の金庫番も務めているんだが……いかんせん気難しい上に人見知りが激しくてな。恐らくアナスタシアが来たことを察したんだろうな」

(金庫番もされている方……一体どんな方なのかしら)

 アナスタシアがどんな人物なのかをふと考えていると、その様子を見たアーヴェントが焦った様子で言葉を掛ける。

「あ、気にしないでくれ。アナスタシアが悪いわけじゃないんだ。気を悪くしたのなら謝る」

「いえ、大丈夫です。ただどんな方なのか、気になってしまっていただけです」

「悪い奴ではないんだ。今度、機会があったら紹介するよ」

「はい。楽しみにしていますね」

 アナスタシアが自分を責めてないことがわかってアーヴェントはほっとした様子だ。アナスタシアも不思議と悪い気はせず、逆に相手に会える機会が来ることを期待していた。

「それじゃ一旦戻ろうか」

「はい」

 アナスタシアの手を引いてアーヴェントが階段まで戻る。すると二階からゾルンの声が聞こえてきた。聞けばゾルンもアーヴェントが別邸で仕事をする時は手伝いや身の回りのお世話をするためにこちらにいることが多いのだという。

「アーヴェント様、そろそろ休憩をなさってはいかがでしょうか。アナスタシア様も初めての別邸を見て歩いてお疲れかと思います」

「ああ、そうだな」

「既にお茶の準備は済んでおります。談話室へご案内致しますね」

「ああ、助かる。アナスタシア、それじゃあ休憩も兼ねてお茶にしようか」
「はい。アーヴェント様」

 アナスタシアには落ち着いた雰囲気が漂う別邸でのお茶会はいつもとはまた一味違ったものに感じられた。