「わぁ……本当に広くて素敵な菜園ね」

 庭園の奥に広がる菜園にアナスタシアの姿があった。菜園の中に伸びる舗装された通路に立ち、目を輝かせながら周りを見渡していた。ここで採れた野菜たちを日々、口に出来ている幸せをアナスタシアは直に感じていた。

 今日は天気もよく、アーヴェントも仕事で留守にしていることから、まだ見たことがなかった菜園に足を運んでいたのだ。そこで庭師のアルガンと出会い、彼に色々と話を聞いている途中だった。

「ふふ。そんなに感動してらえるとこの子達も嬉しいでしょうねぇ」

 傍で作業をしながら庭師のアルガンが明るい表情を浮かべる。彼のお気に入りの羽帽子が軽く揺れているのが見えた。

「でも、アルガン。お仕事中だったのよね? 私、お仕事の邪魔をしていないかしら……」

 庭園に来たとき、アナスタシアに気付いたアルガンは気さくに声を掛けてきてくれた。それからはアナスタシアの見たいところに案内し、説明をしながら作業の手を動かしていた。アルガンは困った顔一つ浮かべていなかったが、自分のせいで仕事の効率が落ちているのではないかとアナスタシアは心配になっていたのだ。

「アナスタシア様、そんな顔をしないでください。邪魔をしているどころかボクは助かっているんですよ」

「助かっている……? どうして?」

「アナスタシア様がこの菜園に来てくれたことで野菜達がとても喜んでいるんですよ。みんな美味しく食べてもらいたくて我先にと実ってみせています」

 アルガンは花や草木はもちろん、野菜達の声が聞こえるのだという。本当かどうかは定かではないがアナスタシアはしつこく聞くことはなく、彼の感性をとても評価していた。実際、周りの野菜達に目を向けると、どれも実りよく育っているのがわかった。

「そう言って貰えると私も嬉しい。ありがとう、アルガン」

「こちらこそ、ありがとうございます。アナスタシア様」

 それから二人は再び菜園をゆっくりと周る。アルガンは菜園の野菜のことや、世話のやり方などをアナスタシアに説明してくれた。

 その時、アナスタシアはあることに気付く。今いる菜園は屋敷の中庭を通り庭園の更に先にある。位置的には屋敷の裏手ということになるのだ。庭園に足を運んだ時もちらっと見えていたのだが、屋敷を正面から見た時に左側には大きな建物が建っていた。その建物が菜園からも見えていたのだ。

「ねえ、アルガン。一つ聞いてもいいかしら」

「幾つでも聞いて構いませんよ。アナスタシア様になら何でもお答え致しますよ」

「あの建物は何なのかしら? 屋敷を正面から見た時に左側の奥にある建物よね?」

 ああ、と羽帽子を一度軽く上げたアルガンも裏手に見える建物の方を見ながら口を開く。

「あれは、アーヴェント様の仕事場ですよ。まだ聞いていらっしゃいませんでしたか?」

「アーヴェント様の?」

「ええ。あの建物はお仕事の商談などで使う専用の別邸なんですよ。アーヴェント様に御用のある人達は皆、あちらの別邸に足を運んでいます」

(昼間、馬車の音が幾つも聞こえているのに屋敷に訪れる人の姿が見えない、と思っていたけれど……あれは別邸の方に用があった為だったのね)

 その事実を把握すると、アナスタシアがこれまで疑問に持ち続けていたことにも自動的に答えが出る。

(アーヴェント様は外周りのお仕事で出かける日以外は、お帰りが早いのよね。夕方には帰宅されていつも夕食に誘ってくださっているもの。あれは別邸でお仕事をされているからだったのね。ようやくわかったわ)

「アルガンは別邸には行ったことはあるの?」

「ええ、何度かありますよ」

「そうなのね……」

 ふむ、とアルガンは羽帽子を軽く上げる仕草をしながら微笑む。今のアナスタシアは誰の目から見ても何を考えているか丸わかりだったからだ。

「アナスタシア様、別邸に行ってみたいのですね」

「えっ……どうしてわかったの?」

「ふふ、勘ですよ」

 照れた表情を浮かべながらアナスタシアは頬に手を当てる。やはり図星だったようだ。そんなアナスタシアにアルガンが語り掛ける。

「行ってみたいのなら今日にでもアーヴェント様にお聞きになればいいと思いますよ」

「でも……お仕事をしている場所だから……ご迷惑じゃないかしら……」

 不安になっているアナスタシアにアルガンが優しく返事をする。

「きっと大丈夫ですよ。アーヴェント様ならきっとお許しになってくれますよ」

 アルガンの言葉に背中を押されたのか、先程まで不安だったアナスタシアの表情がぱあっと明るくなる。両手を胸の前で合わせて、どう切り出すか考えているようだ。

(それじゃあ、今日の夕食の時にでも聞いてみようかしら……ああ、とっても楽しみ)

「ふふ、ボクも朗報をお待ちしておりますね」
「ありがとう、アルガン」

 ちょうどその時ラストがアナスタシアを迎えに来てくれた。楽しそうな表情を浮かべながらアナスタシアは屋敷へと戻っていく。アルガンは軽く羽帽子を上げて、礼をして見送った。

 その日も帰宅したアーヴェントに夕食へ誘われたアナスタシアは早速、別邸のことを尋ねることにした。

「別邸……? ああ、そういえば仕事場の説明はちゃんとしていなかったな」

「はい。いつもお茶のお誘いをして頂いているあの執務室がお仕事の場かと思っていました」

「はは。あそこは残った仕事を片付けたり……アナスタシアと二人きりで語らう場所だからな」

 不意にアーヴェントがテーブル越しに顔を近づけて微笑む。それは反則だといわんばかりにアナスタシアがそっと両手を胸に当てながら顔を赤らめる。

(不意打ちの笑顔……ついドキドキしてしまうわ……)

「ふふ、本当にアナスタシアは可愛らしいな」
「……あ、ありがとうございます」

 赤らめたままの顔を見られたくないアナスタシアは俯き加減でお礼の言葉を口にする。流石に悪いと思ったのか、アーヴェントから話を振ってきてくれた。

「もしかして……別邸に行ってみたいのか?」

(……!)

 聞きたいとずっと思っていた内容をアーヴェントから話してくれたことで、先程まで俯いていたアナスタシアの顔がふっと持ち上がり、アーヴェントを見つめる。それもまた不意打ちで、アーヴェントの心を射ていたのはまた別の話。

「はい、是非行ってみたいです」

「そうか。なら明日は商談の予定もないはずだから、案内するよ」

「ありがとうございますっ」

 アナスタシアは満面の笑顔を浮かべる。それほど、行ってみたかったのだろう。そのことが彼女の笑顔からみてとれたアーヴェントもまんざらでもない表情を浮かべていた。